執筆活動
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『ライ麦畑のホールデンを探して』

kazuma(管理人)
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伝えたいことがあって、戻ってきた。あれから僕はずっとものを書いて暮らした。

何一つ確からしいことは言えないまま、時間だけが過ぎた。初めてペンを握ってから、八年の歳月が経った。その頃に信じていたのは、大学ノートに書き綴られていくボールペンの黒い文字の跡だけだった。僕はそのペンの跡をなぞって、追いかけ続けたが、言葉はまるでつかまえられなかった。

現実の中に立っている僕は、いつもものが言えなかった。お前に口は付いているか、と小さい頃によくからかわれたことがある。言いたいことを、言いたいように言える、かつての友人達が羨ましかった。僕はあまり一般的と呼べる育ち方はしていない。これまでの経歴を並べてみても、ひどいものだ。言いたいことは隠し続けて生きた。僕には段々と言いたかったことが見えなくなった。ひととの関わり方が分からなくなった。気がついたときには、大人と呼ばれる年齢になって、社会の底に放り込まれた。

僕が惹かれていたのは、いつまでもライ麦畑で立ち尽くしているホールデン・コールフィールドだったり(彼のポケットにはまだきっと妹のために買った割れたレコードの欠片が残っているだろう)、自分の居場所が街中にまるで見つからないホリー・ゴライトリー(彼女の玄関の札は『旅行中』のままだ)だったり、あるいはバナナフィッシュの浜辺で、シビルにさよならを言ったシーモア・グラス(何一つ別れの理由を明かさないまま、オルトギース自動拳銃の引き金を静かに引いた)のことで頭が一杯だった。

八年前の十二月、僕の手元に残されていたものは、安っぽい黒のボールペン、書きかけの大学ノート、数冊の文庫本、それだけだった。他のすべてのものは、皆、僕の前から去って行くか、あるいは、僕の方から背を向けて去ったか、そのどちらかだった。

なぜ、ものを書き始めたかと言われたら、僕にはそれしか残されていなかったから、としか答えようがない。白い机の上に転がっていたボールペンをひっつかんで、大学ノートにぐりぐりと文字を書き殴っていったら、いつの間にか頁が終わっていた。それが最初の物語だった。

僕はその日、誰も居ない部屋で横たわった。扉から出ることも入ることも出来なかった。いまでも、その部屋から一歩も出てはいないんじゃないかと感じることがある。そのときからうまく眠りに就くことができなくなった。

言葉の他には何にも信じていなかった。何にも信じないことを信じることが、自分の身を守る唯一の方法だった。そうでなければ、僕は多分、いまとは全く違う人生を送っていただろう。もしかしたら小説なんて一文字も書かない人生があったかもしれない。

たったひとつ、言いたいことを言うために、随分と遠回りをした。これはただの昔話だ。

あれから僕はホールデン・コールフィールドのあとを追った。赤い鹿撃ち帽を被り、並んで回転木馬を眺めていると雨が降ってきた。アパルトマンの一室を留守にしてばかりのホリーと、病める文学青年と一緒に、街の中でいなくなった海賊猫を探した。猫は結局見つからなくて、いまでも僕はまだそいつを探している。バナナフィッシュの浜辺に残されたシーモアとシビルの足跡を辿った。彼がどうして引き金を引かなくちゃならなかったのかを考えた。

僕がものを読むのは誰かの元に辿り着きたかったからかもしれないと思う。すべてのひとが遠ざかっていくように見えていた。目の前にひとが居ても、そのひとと分かり合う方法があるようにはとても思われなかった。常に見えない壁があった。差し伸べられた手を掴めなかった。だから代わりに僕は、手元にある文庫本を掴んでいた。もういなくなった人間の書いた文章を辿っていった。虚構の言葉の手なら、僕は安心して掴むことができた。書かれた言葉の向こうでなら、ひとに触れられるように思えた。嘘の中でなら、ほんとうのことが言える気がした。

僕は縦に並んだ文字の羅列や、滲んだ青いインクの染みを通して、その奥にいる人間のことをほんとうに少しずつ(おそるおそる)信じるようになった。一文字一文字を辿っていくと、ホールデン・コールフィールドが立ち現れて僕の肩をつかまえた。崖から落ちていくのはまだ早いと、彼は僕の代わりに言いたいことを何でも言ってくれているように思えた。世の中なんて皆インチキで回ってる、と彼は喚いた。でもそこにいたような連中のことでさえ、後で振り返って見ればすべてが懐かしくなるものなんだ。そんな言い回しを聴いているのは、何故かひどく心地よかった。それから、ホールデンを生み出したサリンジャーの人生を辿った。本を読む度に、信じられる言葉がぽつりぽつりと雨垂れのように見つかった。気がついたらそれは自分の目蓋から落ちた泪だった。もちろん、相変わらず現実の方では打ちのめされっぱなしではあったけれど、本を開けば、味方は沢山いた。いま現実に悩んでいることについて、それよりも遙か昔に苦しみ、深く傷付き、その疵痕を書き残していった生身の人間がいたということが、僕には嬉しかった。大げさな言い方をすれば、そんな文章を読んでいる間は、救われるような気さえした。ひとりぼっちではなかったのだと、自分だけが苦しんでいた訳ではなかったのだと。

だから僕に書き残せる文章があるとすれば、僕と似たようなことで苦しんだひとに伝わるような物語が書きたかった。誰からも好かれるようなストーリーや、読んだ多くのひとを惹きつけるような物語は決して書くことはできない。指で数えられるぐらいのひとのためにしか、僕はものが書けないだろう。それでいいと思っている。大きな物語がひとを助けることが出来るとは僕は思っていない。そこから零れていったひとたちのことを、僕はまだ覚えている。

プロになれるとか、なれないとか、そんなことが問題ではなかったと思う。ものを書き続ける限り、そのひとがもの書きである証明はそれで十分だ。それでご飯が食べられる作家と、そうでない作家がいるだけだ。

僕はただ書き続けたかった。この世にはきっと沢山のホールデン・コールフィールドがいる。何処にも落ち着く場所を見つけられないで往来で沈み込んでしまうホリー・ゴライトリーや、いま正に右のこめかみに拳銃を当てて、撃鉄を静かに起こそうとしているシーモア・グラスがいるかもしれない。いや、僕は彼らがいると思っている。ほんとうにいる、と思っている。

そういうひとたちに向かって、ひと言でも伝えられることがあるのなら、僕は青いインクが掠れてなくなるまで、話がしたいと思っている。物語を通して、夜通し語り合いたいと思っている。現実の僕は口下手で、ものひとつまともに言うことはできないが、虚構の紙の上でなら、万年筆の先を滑らせて、言葉をタイプし続けることはできるから。

この世の何にも信じられずに生きていた十九の頃の自分に、手を差し伸べてくれた青い言葉があったように。僕も同じような言葉が言えるようになりたいと、それだけを信じてペンを掴んだ。僕が離さないでいられたのは、ただそれだけだった。他のものはみんな、つかまえられなかった。

これからここに書き残していくのは、そのひとことをきちんと届けられるようになるまでの試行錯誤の日々だ。綺麗に編集し、校正によって整えられた小説ではなくて、言うなればバディ・グラスがグラス家を映したホーム・ムービーのような個人的な散文の記録だ。しょうもないことでどじったり、しくじったり、ヘマをやってばかりいる僕自身の文芸生活を、書き留めておこうと思う。何かの役に立つかもしれないし、そうではないかもしれない。でも、そんなことはどうだっていい。

僕はただもう一度、小説の話がしたかった。

ひとりぼっちのホールデン・コールフィールドのために。

2020.02.02

kazuma

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