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一馬日報(手記) 文芸活動記録

『毎日のルーティンを決めた話』

取りあえず書き出したルーティンを壁に貼ってみた次第。

 こんにちは、kazumaです。まだ文章は打てるらしい。

予期せぬ位置に打たれるピリオド、白内障覚書

 先日、白内障に罹り、左目がかすむようになってしまった。手術をすればこのかすみは取れるらしいが、視力がまだあるので手術をすべきかためらっている。定期検査を受けることになり次回は三ヶ月後の十二月。

 左目で本を読もうとした時に愕然とした。僕が信じてきたものはこんなに脆く、一見関係のないように見える外的な出来事のためにいままでの日常が簡単に消え去るのかと、おののいた。何の意味もなさない読み取り不能な文字の羅列は、文字通りただの染みに過ぎなかった。あれだけ親しんだ言葉の連なりは、僕の全く知らない暗号に変わってしまった。幼児が四六時中手放さないでいたぬいぐるみを、誰か知らない大人に突然取り上げられてしまったときみたいに。

 その瞬間に、僕は思った。無限に書き続けていられると思っていたものはそうではなく、有限で、際限なく読み続けられると思っていたものは、自分以外の何者かによって予期せぬ位置にピリオドを打たれ、本人の意志とは関係なく、いとも簡単に終わるのだと。

思い返してみれば……

 以前の仕事は毎日ほぼ六時間ぶっつづけでパソコンを見ながら作業していた。何らかの負荷が掛かっていたのかもしれない。僕は以前の会社でも辞めるときに何らかの病を患って辞めた。大学の頃は、精神系の病をやり、そのときは両手両腕が塩素系の薬剤に掛かってぼろぼろになっていた。スニーカーのスエード生地に付いた異様な色のシミのことを僕はまだ覚えている。友達には笑われたが僕はちっとも笑わなかった。翌日も僕はその靴を履き続け、ボロボロの手でボールペンを握って授業を受けた。

 昔の友人に、お前は暗くなったと言われ、大人になったあとで街中で指を差して揶揄された。僕はそうやって通り過ぎていく人間たちの顔を、もう決して友人とは認識せずに黙ってやり過ごした。他人の人生を、平気で革靴の底で叩き、踏み潰して歩く人間に話すことなど何もないような気がする。

 病の再燃、アトピーの発症に続き、今度は眼をやってしまった。何だか僕は最低賃金と引き換えに取り返しのつかないものを次から次へと失っていく運命にあるらしい。もうこんな馬鹿げたことは沢山だった。僕は会社という組織の中で生きていくことをやめた。元々、精神疾患のハンデがある中でこれ以上続けていくことは限界に近かった。僕はひとが歩いていく道と同じ道を歩めない種類の人間だった。残されているのは獣道だけだった。

見知らぬ別れ道に入り込む前に

 世の中はいまコロナ一色で、誰にも先は見通せない。職を失い、友達を失い、左目さえある意味では失った中で、いまできることはいまやらなかったら、何かが間に合わないような気がした。

 僕は何となくだけれど、獣道だろうが何だろうがとにかく生き延びて、ライターの仕事なり、古本の仕事なり、つなぎのアルバイトなりを続けて、ひとの目を忍び、この世の端の端の端で、お爺さんになるまでものを書いて生きていくのだと思っていた。事実そうするつもりでいるのだが、問題はそれを現実の方が許すかどうか、まったくもって分からないということだ。

 明日には突然、ものが見えなくなるかもしれない、本を読んだり、文章を書いたりすることができなくなるかもしれない。はたまた市中感染に遭い執筆どころではなくなるかもしれない。金銭面で生活にあえぎ、筆を折るどころか首の骨まで折ってしまうかもしれない。そういう可能性はいま現実にすぐそばにあって、ただ運よくその分かれ道に入っていなかっただけなのだと。

 退職にあたってルーティンを決めた。ひとりで生活していくのなら、集団で生活する以上に規律が必要だ。手順をいちいち考える手間も省けるし、今日は何をすればいいんだっけと迷うこともない。箇条書きで記してみる。

今後毎日行うルーティンについての一考察

・毎朝、6時半から7時半の起床

 朝の時間は執筆にはいちばん貴重な時間なので。毎朝、決まった時刻に起きることがズレてしまったら、簡単に一日のスケジュールは崩壊する。規律のないところに生活は成り立たない。

・起きたら必ず窓を開けて換気

 空気の入れ替えは、感染症対策の意味もあるが、精神面でのメリットが大きい。閉じたままでは空気が淀んでいく。精神面でも停滞していく。外部の音が聞こえて、外の風が入ってくることは、ひとりぼっちの部屋に外と繋がっている現実感を与えてくれる。カンヅメは締切前の作家がやればいい。僕はいやです。

・シャワーを浴び、身支度を整える

 もう書かなくても自明なくらいの習慣になっているけれど。起き抜けは寝癖がひどいので、シャワーを浴びて直すようになったら、かれこれ七年くらい続いてしまった。眠気覚ましの意味合いもある。自分の部屋で過ごすにしてもきちんとした服装を着ることは、執筆する上でもそれなりの意味がある。執筆前の準備というかイニシエーションというか。実は外には着ていかない作家ごっこのジャケットがあるのだけれど、時々誰もいない部屋でこっそり羽織ったりしている。

・wi-fiなどすべての通信機器の電源、接続を落とし、机に向かって執筆開始。

 インターネットを見ながら小説は書けません。大事なことなのでもう一度言います。インターネットを見ながら小説は書けません。自戒です。MacだろうがiPadだろうが、iphoneだろうが、執筆中は一旦、回線ごと闇に葬ってください。少なくとも僕は無理です。通信ごと遮断する袋があるので、小型機器にはそれを使ってます。執筆時の机の上はノートと万年筆、そしてインターネットの概念がないポメラ、以上です。

・執筆後に朝食、プロテインやサプリメント類を摂取。

 単純に朝飯前にしておいた方が集中しやすいので。食後はプロテインなどを取ると書いてますが、とくに現在、体育会系とかそんなことはなく。タンパク質の不足がメンタル面にも影響する可能性があるとかないとか言われてますね。メンタル面をやっているので、僕はドーピングでもしないとおそらくまっとうな連中には勝てません。どんな手を使ってでも不調が回復するならそれでよいと考えています。

・柔軟や自重の筋トレ、散歩〜ジョギング程度の軽度な運動をする。

 執筆時間やパソコン作業の時間が長引けば長引くほど、一日の運動量が減ってしまうので。ちょっとだけでも体を動かしていると、結果的にものを書く体力を作ることにもなっていきます。往年の村上春樹さんみたいにばりばりのランナーではなくとも、自分のペースで動けていたらそれでいいのかなと。

・日中は書房の運営、ライティングの案件を片付ける。

 日中はお仕事です。個人の時間と切り分ける意味もあります。

・書房は一日一冊、ライティングは一日一案件を目標に。

 とりあえず、はじめて何かに取り掛かるときのハードルは低くしてやっていこうと思っています。とはいえ、塵も積もればなんとやら。書房の方は、はじめ思い描いていたサイトに徐々に近づいてきたなと思います。ライティングの方はまだまだこれから。

・必ず一回は外出すること(コンビニ・スーパーの買い出しでも可)

 一日中部屋にこもり続けても、一応生活はできるんですけど、やっぱりロクなことにはならないですね。どれだけ一人が好きでも、一回くらいは外の空気を吸っていると、いい意味で変わってきます。別に執筆のお供のおやつを買いに行くのでもいいですし、人目を忍んで夜中にコンビニまで歩くのもあり。病院へ行くのだって立派な外出ですから。

 何か目的があって出かけるといちいち迷わずに済みます。余裕があればちょっとだけ寄り道して本屋や古本屋へGO、です。あと河川敷はひとが少ないので、僕みたいな人間嫌いにおすすめのスポットです。人混みは可能な限り回避するルートを選びます。

・執筆スペースや書房の本に埃がつかぬようまめに掃除する

これも執筆前の下準備のつもりで。書房の本に関しては、人様への売り物なのでなおさらです。僕がネット書店で働いていた時に目にするクレームで多かったのは本の状態そのものを除けば、本に付着していた異物でした。なるべく、というか、ぜったいにそういうクレームをもらいたくないので、気をつけます。

 大抵、部屋が荒れている時には精神が荒れています。たまに、坂口安吾や「のだめ」みたいな天才肌もいますが、ああいうのは半分フィクションだと思っています。一般人に当てはめて良いものではありません。

・読書はスキマ時間にちびちびと

 以前は通勤電車の行き帰りでよく読んでいました。病院の待合などもいいですね。スマホを触っている人をよく見かけますが、案外その時間で読書ができたりします。僕はラウンドジップ型の全面を覆うタイプのポーチに文庫本を入れて持ち歩いています。文庫タイプのカバーが好きで五、六枚を入れて使いまわしていますね。もっとも青系の色が好きなので似たような色ばかりですが。ちびちびと味わうように読むのがいちばんぜいたくな読み方です。文庫本は日本が生み出した最良の形だと思っています。ペーパーバックのざらしみたいな紙質ともぜんぜん違いますし。

・SNS、スマホアプリ等の過度な利用は控える

 これは僕の悪い癖なんですが、どうも情緒的に不安なときってTwitterなんかだとついつい連投してしまうんですよね。それも長文のやつを何回も。わかっててやってるんなら全然いいんですが、無意識でやっている時は文章を打っているというより、打たされているという感覚に近いんです。それで何か言った気になって、いいねもつけばそれで満足かもしれませんが、実際の原稿がまったく手についていなかったり、日頃のケアを怠って体調を崩してしまうのは本末転倒かなと。

 僕の勝手なイメージですが、Twitterなど外部のSNSを頻繁に駆使して作品の外で論説していくタイプの作家よりも、Twitterなんてまったく使わないか、ほとんどひとことだけ呟くようにして使っている作家の方が何となく信頼できる語り手のように見えるのはなぜでしょう。といってもついつい使っちゃうんですけどね。わかります、僕もそうです。スクリーンタイムを確認して愕然とする前に一時間以内くらいに収めたいところではあります。僕は代わりにブログでぶちまけるようにしました。

・夜間(日中のルーティン終了後)、二回目の執筆時間。

 この時間は何を書いてもいいようにしています。朝に書いた小説のつづきでもいいし、日々のことを綴った個人的な日記でもいい。ブログ記事で好きなことを好きなだけ書くこともありますし、書房にアップするデータを書いていてもいい。なんでもあり。そういう自由度を持たせておくと、モチベーションを保ちやすい気がします。

・20時服薬、22時就寝(但し、筆が乗る場合はこの限りでない)

 僕は毎日服薬している安定剤兼眠剤のような薬があるのですが、これがないと眠れないし、日中も飲み忘れると情緒不安定になります。ただでさえ精神がプディングとか豆腐だとかやわやわにもかかわらず、飲まなかった日には土台ごと揺らいでいく感じです。一瞬、それでも副作用からは解放されるので、一日だけ自由に動きたいだとかそういう最後の切り札的には使えますが、そのあとは早晩確実に潰れてしまうので定まった時間で毎日常用します。

 22時就寝は早すぎる、と思われる方がいるかもしれませんが、精神的な面を考えると無理は禁物で、確かにこれくらいの時間に布団に入っておいた方が翌朝が自由に動けます。脳みそもぎりぎりクリアです。といっても、僕は元々が夜型の執筆タイプでしたし、夜中の三時を回ってあかりがついていることもありました。筆が乗ってきたら、止まらずにいくし、止まるべきでもありません。行ける時にはいきましょう、無理な時は無理せずです。

・就寝時はスマホ等をシャットダウンし、遮断袋に入れて引き出しにしまう。

 入眠時の妨げになるものランキング、不動の第一位なので、さっさと電源を落として寝るのが吉です。人為的に潰せるものは、潰しておきましょう。あとwi-fiとかの通信を落とした時に胸がすっとするのは僕だけですかね。頭の痛みなんかも引くように思えます(なんでだろ、いまだに謎)。

・生きることがつらくなったら以上のことは全で無視して、好きなだけ好きなことをする。

 はい、ここが一番重要です。人生そのものがつらくなったら、毎日のルーティンなんてさっさと放り投げていいんです。そういうときに必要なのは、この世界はしんどいことだらけだとか義務だらけで縛られている、ああいやなことだけれどやらなければいけない、とかそういうことじゃないんです。もっと自分がほんとうにしたかったことをするために生きているという感覚を取り戻すことです。ヤなことばっかりだけど、これは誰が何と言おうと楽しいってことを思い出すことです。

 僕は小さい頃から塾に入れられて、受験勉強に明け暮れていた時期があります。その頃、周りの子供たちはみんな公園を走り回って、フェンスの向こう側のグラウンドでボールを蹴ったりしてなにやら楽しそうでした。教材のテキストでいっぱいの塾のカバンを持ちながらとぼとぼと歩く少年の頃のぼくには、彼らの顔がほんとうに生き生きして見えるんです。受かってから、ボールを蹴ってみたりもしたんですが、やっぱり違うんですね。何度もフェンスに向かって蹴りました。でも僕はその時に、その場所で、みんなと一緒にボールを蹴っていたかったのです。やりたかったことを後に回したら、もうあとはひたすらボタンの掛け違えしか起こらないんです。

 だからもしどんなことでもやりたいことを見つけたとわかったときには、その瞬間をぜったいに逃しちゃいけないんです。それが周りの大人がダメだと言おうが、世間が許さないと言おうが、親が禁止しようが、友人たちが引き止めようが、そういうものを全部ひっくり返してでも、やりたいことのある方向へ進んでいかないと、この人生そのものが前には進んでいくことはおろか、いずれおそかれはやかれその人生を送るひと自身が窒息してしまうように思うんです。だからそういうときには、自分を延命させる措置だと思って、他のことは全部無視して好きなことだけをやる時間をつくりましょう。僕はそれがものを書くことと読むことだと信じていたからここまでやってこれたのでした。

最後の方は駆け足になってしまいましたけれども、以上がルーティンについてのお話、でした。

kazuma

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日常のない男の話

 こんにちは、kazumaです。何と言えばよいか、わからないけれど、いつの間にか今年の夏が終わった。実を言うと、僕はちょうど昨日が退職の日だった。休日に職場から電話が掛かってきて、もう来なくてもいいんだ、と言われた。別にそれは悪い知らせではなく、僕が何かをやらかしたというわけでもなくて、単に会社の上の人間が有給の計算を間違えていて、もう出なくても退職の日の分までそれが使えるからと言うことらしかった。三年半働いて、有給をほとんど使わなかったので、丸一ヶ月分くらい、残っていたらしい。僕は明日の準備でもはじめようかと思っていたところで、お世話になった先輩に礼を言って電話を切った。わりとあっけなく、僕が守ってきたささやかな日常は無くなった。こんなもんか、昔はどうだったっけ、これからどうしようか。そういう一切を投げ出して、フローリングの床に横たわる。カポーティの小説よりもあっさりと現実の幕は閉じる。綺麗な位置に句点が置かれることもなく。

 僕は作家になりたかったが、なれなかった。昔の友人たちの顔は今では遠くかすんでいる。多分、街ですれ違うことがあったとしても、僕は目も合わさず、挨拶もしない。そこに知り合いなど最初からいなかったように振る舞うだろう。学生の頃から連絡を取り合っていた最後の友人とも縁を切った。僕の昔と現在の両方を知っている人間は、もう親類以外にはいない。僕がなぜ変わったのか、誰にも見分けが付かない。鏡に映る自分の眼が、まるで別人のように見える。その瞬間に僕は不意に怖くなって回転式の全身鏡を壁の方へと裏返した。なにに怯えているのかも分からぬまま、壁にできたいくつもの窪みを眺めていた。そのひとつひとつの凹みを見るたびに、手当たり次第に投げつけたものの記憶を、その時の感情を、まざまざと思い出した。その壁と向き合いながら、僕はものを書いている。

最近、ヘッセの『荒野の狼』を読みはじめた。屋根裏部屋に突如として棲みついた不思議な男の話。まだ冒頭くらいで大して進んではいない。荒野の狼、と呼ばれる男は階段に腰掛けて、南洋杉の匂いを嗅いでいた。それは荒野の狼が決して得ることのできない、ささやかな彼女らの日常を、男に思い起こさせるからだった。この平和な時間に、小さな隙間から身を入り込ませて、たとえたった一時間でもその場に身を浸していたいと、男はそう願うのだった。

 読書の時間は通勤時の電車でやっていた。六駅くらいのたった十三分間を繰り返した。いつも降りる一駅前で頁を閉じて、座席の中で目を閉じて思い返した。ホームに降りる頃には、僕は自分が何者であったかも忘れて、そのまま職場のエレベーターの階数ボタンを押していた。どうやったらこの歯車の狂った人生を受け入れることができるのか、わからなかった。昔は、きっといつか、こんな不可解な窪みに入り込んだ人生の意味も、必ずわかるような地点があるのだと思っていた。いまにこの無限につづく繰り返しの日々が、このためにあったのだとわかる瞬間が訪れるのだと、終末論の預言を信じる信者とほとんど同等か、あるいはそれ以上の強度で、信じていた。でも、蓋を開けてみればゴドーなんていつまで経ってもやってこないし、なんなら彼が誰であるかもまるで分かりはしなかったのだ。

 学生の頃に欲しかったものは、働いたお金で大体手に入れた。執筆にまつわるものに関しては、惜しまずに使ったので、もうこれ以上ないくらい、道具は揃っている。でも二十代の貴重な時間をほとんど最低賃金の労働で溝に投げ捨てるような生き方をした。ありとあらゆる人間関係を断ち切った。オフラインの画面でタイプするとき、はじめて僕はそこで息が吸える気がした。僕の歩んできた道は間違いだっただろうか。

 人間不信の感はずっと拭えずにいる。職場を辞めるたびに、もう社会でやっていくことは難しいんじゃないかって毎回思う。作業の内容は好きで続けられるのに、いつも対人面でだめになっていく。ひとりで壁に向かって喋っている方がよほどいい気分だ。ちょうどこんな風に。安定剤と眠剤を口の中で噛み割って眠る。明日はきっと違う日が来るのだ、明後日には来るのだ、来週には来るのだ……、そんな風に錠剤を噛み割り続けて十年が経とうとしている。なんにも変わらなかった。舞台から降りても劇は続いていた。僕にいったい何の役ができるだろう。こんなのはただの道化と同じではないのか。

 十年経ってもだめなら、もう十年やればいいじゃないか。どうせいまはなかったはずの人生を生きているのだから。そういう言葉が、胸の内から聞こえてくる。文章を書いて生きていくということを、最後に試してみてもいいんじゃないか。それが自分の望んだ物語の書き手ということではなかったとしても。

朝から小説を書いて過ごした。昼に書房の本を一冊上げて、ライティングの案件をやり、興味関心のあることはブログに綴る。それですぐに食べていけるわけではないけれど、何もかもを諦めてベルトの革を梁に掛けるよりはよほど気が利いている。もう僕は夜中に河川敷の縁から身を乗り出したり、すべてを呑み込んでしまう化け物のようなあの河の色を見たりしたくないのだ。

ネットを眺めていると、毎日ものを書いている人がいた。辞めた後はそういう生き方をしてもいいかもしれない。それでどこに辿り着くのかは分からないけれど、このまま船が沈んでいくのを待っているよりは、きっといい。

繰り返す日常がなければ、僕らはいとも簡単に狂っちまう生き物だから。

彼は自分の孤立、水中の遊泳、根の喪失をはっきり確信していたから、市民の日常の行動をみると、たとえば、わたしの正確な通勤とか、召使いや電車の車掌の話し方をみていると、時には実際に全く皮肉ぬきで感動することがあった。(略)

しかし、わたしは次第に思い知らされたのだが、彼は実際わたしたちの小さな市民世界を、彼の真空地帯から、異様な荒野の狼の気持で、ほんとに感嘆し、安全確実なものとして、はるかな及びがたいものとして、行くべき道のない故郷、平和として、愛していた。彼はわたしたちの正直な通いの女中に、いつも心からうやうやしく帽子を脱いであいさつした。また、伯母がちょっと彼と話したり、洗濯物のつくろいや外套のとれかかったボタンのことを注意すると、時に注意深く大事そうに耳を傾けた。それはまるで、どこかの隙間からこの小さい平和な世界へ侵入して、ほんの一時間でもそこに住みたいと、いうにいわれぬ絶望的努力をしているかのようだった。

(『荒野の狼』)ヘッセ著 永野藤尾訳 講談社文庫より引用)

21.09.11  

kazuma

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「未来の空想」

新しい執筆の相棒、M1 Macbook Air。ついに未来に来てしまった。

こんにちは、kazumaです。久々の記事投稿だ。

退職が目の前に迫っている、あと一ヶ月ほどで僕はいまのネット書店のバックヤードからいなくなる。特にこれから先にアテがあるわけでもない。辞めたあとは、ライティングと書房と別のアルバイトを見つけて食いつなぐと思う。

作家志望の回想

ものを書き始めたのは十九の頃からだが、それから十年間、合間を縫っては小説を書いてきた。ほとんど文芸関係のことに費やした。悪くはなかった、それなりに文章らしいものは書けるようになってきた。おかげで他のものはみんな溝に捨てた。交友関係も片っ端から切れていった、精神的な病も抱えることになった。それでも僕は歩いてきた道が間違いだったとは大して思ってもいない。こうなるしかないものは、こうなるしかなかったのだ。

最初の五年間はほとんど公募まっしぐらだった。書き続けていればいつかは通るぐらいに思っていた。大学の単位もゼミ授業以外はすべて取り終えていたので、執筆にかけられるだけの十分な時間があった。卒業後は作家になると息巻いてそれがどういうことかもわからずに就職活動さえまともにしなかった。単純に人と話をするのが絶望的なくらい嫌いで、本の活字を読んでいる方が遥かにましだったから。東京の会社でやっていけるタイプじゃない。典型的な、もっともダメな文学部生だ。

卒業後は地元に戻ってスーパーで働いた。朝の六時に起きて、薬の副作用に苦しみながら、文章や本とは全く関係のない仕事をした。僕は一番憧れていたものにもう関われないのだと思いながら、野菜の段ボールの角で手を切って、カーゴに無分別に投げ込まれたその茶色い束を見ていた。あの時に指先から流していた血のことを今でも覚えている。真冬の冷凍倉庫の中で帰ったら小説を書こうと、今日こそはと、そう思いながら自分では全く食べもしない冷凍食品の在庫を震える指で数えていた。

僕が深夜の三時に椅子から転げ落ちて倒れていた頃に、友人たちはそれなりに浮き沈みがありながらも、家庭を手にしたり、いつの間にか父親や母親になっていたり、真っ当な職を得て、ちゃんと暮らしているようだった。ひとり、ふたりと疎遠になった。馬鹿げた夢を見続けているのはどうやら僕だけだったらしい。かつての友人たちはもう、僕の連絡先の中にはない。容易に辿り着くことも彼らにはできないだろう。

書いたものは紙屑だけだ

ちょうど書き始めてから五、六年が経とうとしていたとき、ある人からこんなものは小説でもなんでもないと言われた。それまで、僕は我流でやみくもにものを書いていた。六年もの歳月を、ほとんど手癖だけで書いていたのだ。それまで正面切って、書いたものを切り捨てられたことはなかった。批判する値打ちさえない作品を書いていたから。

その後、僕は文学学校やもの書きのグループを出入りするようになって、リアルの知人たちにも時折、書いた作品を手元に押し付けて(無礼千万かもしれないが)、意見を求めた。返ってくる感想はやはり芳しいものではなかった。じゃあ僕が今まで書いてきたものはいったい何だったのだろう。何かが崩れていくような音がした。目の前の原稿の束が、作家であることの証明ではなく、ただの紙屑へと変わっていった。

その辺りを境にして、僕の誇大妄想でできた奇妙でグロテスクな紙の城に、現実の影が忍び寄ってきた。自分のことを果たして胸を張ってもの書きと言えるのか? このまま文学とは全く関係のないアルバイトを続けながら、肥大化した自意識のカタマリのような文章を延々と打ち続けるのか? それで誰かひとりでも喜んだりするのか? 

当時、僕が書いていた文章について、ほぼ全員が一致して指摘したことがあった。この文章の中には、何もない。形がどれだけ整っていても、空っぽで、そこには他者が存在していない。読んでいて何も感じない。書き手は傲慢で、読者を置き去りにしている。

そういうものを人に読ませるのですか? 時間の無駄ではないですか? あなたは誰のために書いているんですか……。

誰のために書くか? 小説とはなんなのか?

書けば書くほど、誰のために書くかわからなくなった。僕が思い込んでいた小説像と周囲の人間が思う小説像には致命的と言えるほどの乖離があるのではないか。僕は小説についてちっともわかっていなかったと認めざるを得なかった。それがわかるまで、何年の時間を掛けようと、ダメなものはダメなのだ。行き詰まった。

スーパーを退職したあと、次の職に移る前に古物商の資格を取った。本に関わる仕事をどうしても諦めきれなかったからだ。その後、一馬書房を開店してからいまのネット販売の中古書店の会社に入った。

思えば少しずつ僕は諦めていった。思い描いたような作家の生活(そんなものはハナからない)、友人たちのようなまっとうな暮らし(特殊な事情と病を抱えていては望めない)、社会でなにがしかの役割を果たして生きていくこと(世の端っこにぶら下がっているだけでもう精一杯だ)。

誰かが歌っていたことだけど、信じたものは皆メッキが剥がれていく。

僕は十年経っても同じ場所をぐるぐると廻り続けている。皆は何者かになっていくが、僕は一生、何者にもなれない。相変わらず宙ぶらりんの痛々しいダンスを真っ白なノートの上で踊っている。それでもものを書いて生きていく夢を棄て切れなかった。このペン先が描く青い線がいつかふつりと切れてしまわないかと怯えながら。

再読

この前、noteに上げた短編作品の読み直す機会があった。作品としては無視されたり、批判されたりもしたけれど、思ったより悪くなかった。自分で言うのもなんだけれど、思ったより悪くなかった。そのことにちょっとびっくりしている。なんだか言いたかったことに少しずつ近づいていっている気がするのだ。

僕はかつて作家志望で、十年経っても作家になれなかった人間だ。でも、それを嘆く必要はまったくないと思っている。書き続けることだけがものかきであることの必要条件で、それ以外にはなにもいらないのだ。

世の中は段々と、僕みたいなへんくつ人間も、そうでない人にとっても棲みづらいような場所になってきている。声を上げるならいまだと思う、自分の思った方向に進みたいならいまだと思う。そういうタイミングの渦中にいる。選択肢の分かれ目に立っていると思う。

未来について思うこと

僕は言葉で人を助ける手助けがしたい。仕事はネットのライターとして、個人としては小説を書くことで、あるいはkazumawords.のブログやnoteを通して発信することで、僕の言葉で届かなければ、一馬書房の活動で古本を届けることによって。

僕は商業作家にはなれなかったかもしれないけれど、もの書きにはなれたよ、ライターになれたよ、古本屋の店主になれたよ、この十年間もその先も、ものを書くことだけは諦めなかったよ、そんな風に未来で言いたいのだ。

M1 Macを買った話

今からちょうど一週間ほど前に、貯金をはたいてM1 Macを買った。僕はこれまでずっとWindowsを使い続けてきたのだけれど(その理由は以前話した)、ちょうど十年の節目と、退職も重なって、そろそろ僕は新しい方向へと歩き出したかった。大学時代に深夜まで働いていたアルバイトのお金を僕は十年、机の中に残していた。封筒は昔の地方銀行のもので、しわくちゃになった封筒からは旧紙幣が数枚出てきた。亡くなった祖母が贈ってくれた物もあった。少ない給料から毎月一万ほど天引きして、なんとかやりくりして、認定整備品の新古品を十万以内で安く手に入れた。この文章はいま初めてMacで書いている。新しい相棒はsurfaceとギリギリまで迷ったが、これから何年も使っていくことを考えて、人生で初めてMacを選んだ。後悔はない。

あとは書いて生きてくだけだ。周りのものがすべてなくなっていっても、僕の書いたものが残ることはなくとも、かつて会った人びとが遠ざかっていっても、僕はずっと一(はじめ)からこの机の前に座っている。昔、病棟の中でひとりで空想し続けていた頃のように。この檻のような場所から出たら、きっとこんな風に生きるんだと、信じていたことを、僕はいまやろうとしている。

僕にとっての小説

誰も彼もが忘れていった人間の話を僕はしたいのです。あらゆるコミュニティから切り離され、この世のどこにも居場所を求められず、一人ぼっちで街をさまよい、心を閉ざし、慰めになるのはただ空を見上げるような空想ばかり、信じられる人は一人もいない、そういうひとに読んでもらえる話を僕はずっと書きたかった。

kazuma

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「日陰者の文学」

『バナナフィッシュのいない夏』の執筆を終えて。

短編新作『バナナフィッシュののいない夏』について

こんにちは、kazumaです。三週間ほど前に短編の新作を書き上げた。『バナナフィッシュのいない夏』というタイトルで、noteにアップしている。バナナフィッシュ、とあるように、今回の作品はJ・D・サリンジャーの『バナナフィッシュにうってつけの日』のオマージュだ。新作短編はこれで第三作目となる。だいたい三から四ヶ月にひとつ、短編を発表するのが、僕にとってはちょうどいいリズムだったらしい。また秋ごろに発表できればと思う。作品を読んで、ひとりでもサリンジャーに興味をもつきっかけになってくれれば、本望だ。

新作短編はこれまですべてオマージュで、一作目の『赤い風船、笑うピエロ』はカポーティの『ミリアム』から、二作目の『ハイライトと十字架』は同じくカポーティから『ティファニーで朝食を』、そして本作がサリンジャーの『バナナフィッシュにうってつけの日』から。作品そのものを真似ているわけではないが、その本たちからイメージを膨らませてつくった。重要なキーとなるモチーフを各作品から拝借しているので、厳密にオリジナルの作品とは呼べない。次回作は、そうではなくて、僕自身の興味関心からつくった作品をつくりたい。

Twitterには時々出没しているが、SNSは少し控え目にしている。ぽつんぽつんと雨垂れのようにつぶやくのがいちばんいい距離感だと思うのだけど、使っていると時折豪雨のように連投してしまうことがあるので、意識的にセーブしている。メンタルの調子が悪い時に、たまたま目にしてしまった通り魔のような言葉に引っかかってしまうこともある。そういうときは、電源ごと落として通信をまるごと遮断してしまう袋に入れてしまう。それからテーブルの引き戸の奥に入れておく。床に転がって心ゆくまで考え事をする。寝てしまうのがいちばんだ。

近況

近況、と言えるほどのことはないけれど、いまの職場を退職することが決まった。辞めたあとはライターを目指そうと思っている。半年ほど前からランサーズでライティングやタスクの簡単な案件を受けるようになった。まだ雀のなみだほど。ただパソコンひとつで、文章を書いて上げれば、それでお金がもらえるというのは僕にとっては魅力的だった。それで食べていくとなるとよほどのことだろうと思うが、ものを書いて食べていくという夢を僕は棄て切れなかった。この時期、僕は小説や文学とはまったく関係のない文章を書いた。購入したもののレビュー、街中のおすすめスポット、病に関わることについて、大学の研究モニター、英文のサンプル作成、ECサイトの使用感、などなど。

僕はひとと関わることにものすごく難がある。同じ年代の人間がとっくに身に付けているであろう世間話ひとつできない。世の中にあるものをほとんど知らない、それでも生きていかなくてはならない。僕にはメジャーの生き方はできない。マイノリティはマイノリティの道を見つけなくてはならない。ひとと関わることが難しくとも、病を抱えていこうとも、僕は僕の役を引き受けなくてはならないのだ。それはメジャーだろうが、マイノリティだろうが同じだ。部屋の外に一歩出れば起こる、ありとあらゆる納得のいかない出来事を目の前にして、それでも僕らはそれらを改変することはできない。職場に行けば、些細なことで非難される、鼻持ちならないやつに出会う、道を歩けば偏見やこころないひとの目に晒される、ごくわずかの親しい友人にさえほんとうの悩みは理解されない、同じ屋根の下で価値観のまるで違う人間と暮らす、これまで生きてきたなかで出会った人達から遠く隔てられたところにいるように感じる、そういうすべては僕個人のちっぽけな意識や納得の域を遥かに超えて進行する。自分ひとりであがいてみてもどうにもならない。いくらそれを嘆いたり、批判したり、恨んだとて、対立的な概念を持ち出しているうちは、克服されない。原因の根が過去からやってきたものを改変することはできないのだ。

福田恒存の『人間・この劇的なるもの』

いま読んでいる本は福田恒存の『人間・この劇的なるもの』という本なのだけれど、その中でこんなたとえがある。劇中の人物を演じる演者は、この劇の行く末をすべて知っていながら、なおその舞台にいる合間はいま正にそのことを知ったように演じなくてはならない、という。

役者のせりふは、戯曲のうちに与えられており、決定されている。かれの行為にはわずかの自由も逸脱も許されぬ。どんな細部も、最後まで、決まっているのだ。いいかえれば、未来は決まっているのだ。すでに未来は存在しているのに、しかも、かれはそれを未来からではなく、現在から引き出してこなくてはならぬ。かれはいま舞台を横切ろうとする。途中で泉に気づく。かれはそれに近づいて水を飲む。このばあい、気づく瞬間が問題だ。泉が気づかせてはならない。かれが気づくのだ。かれが気づくまでは泉は存在してはならないのである。

すでに決定されている行動やせりふを役者は、生まれてはじめてのことのように新鮮に行い、新鮮に語らねばならぬ。ここでも二重性が問題になる。戯曲のうちには、それを読んでいるものもいようし、二度見るものもいよう。それでも、彼らははじめてのものとして享受したがる。そのためには、役者は未来に眼を向けてはならぬ。現在を未来に仕えさせてはならぬ。かれは現在のみに没頭する。芝居の最後まで知っていて、しかも知らぬかのように行動すること。

『人間・この劇的なるもの』新潮文庫 福田恒存著

ここにどうやら、ままならない世界で生きるためのヒントが隠されているように思えてならない。もしかしたら、僕の人生は一から百まで、最初からすべて決まっているのかもしれない。生まれてくる家は選べない、誰の子供になるか選べない、どういう環境で育つのかも選べない、それによって左右される行き先も、自分では選んだと思っている人生の別れ道も、ほんとうには選んだ訳ではなかったのかもしれない。最初から劇の筋書きがあって、それによって与えられた役割を演じるだけに過ぎないのかもしれない。先のことを考えると雲行きはあやしく、何となく行き着く先は昏いように見える。もう最初から結末が見えているような気がしてくる。にもかかわらず、実際にはそれらは見えていないのだ。まだ見てはいないものを、さも見たかのように扱ってはならないのだ。

学芸会の記憶

僕が人生で唯一しなくてはならないことは、僕の役割を演じることだ。小学校の頃、学芸会があった。僕は舞台の隅でダンボールに緑色のマジックで塗った草むらを持って立っていた。とくに台詞があるわけでもない。主役の座はいつも必ずクラスの華やかな人間が取っていて、僕はいつも余りの役を引き受けた。一言も話さずにただ草むらの段ボールの後ろに息を潜めて、時間が来たら袖へ引っ込んだ。そして入れ替わり立ち替わり演じていく同級生たちを眺めていた。スポットライトの当たる主役の子らは、舞台から降りて普段の日常に戻っても主役なのだ。彼らに草むらで息を潜めて待つ人間の気持ちはわからないだろうと思った。そして同様に、常に人の輪の中に立ち続けていることの辛さも、僕には分からなかった。

タイムラインと友人

つい先日、あるタイムラインを見たときに偶然、学生時代の友人の投稿に気がついた。彼は僕と同じように地元へ戻ってきていて、病院の中で会った。似たような背景を持って育っていて、彼はそのことで苦しんでいるように見えた。僕は何といえばよいのか分からなかった。連絡先だけを交換して、また会おうと言って数年が経った。タイムラインの投稿には彼が梁で首を吊ったことが書かれてあった。生きていることが悲しくて苦しいと書かれてあった。写真のマークのところに彼の顔はなく、別の画像に挿し変えられていた。僕は何か言わなければいけないことがある気がした。

日陰者の文学

僕は一生、草むらの中で暮らすだろう。陽の当たるところには出られないだろう。じっと息を潜めて、夜が明けるのを待つだろう。それをこれから何千回と繰り返して、僕は何者にもならないだろう。

僕が小説の中で叫ばなくてはならないのはそういう負い目を背負ったひとに向かってである。何らかの避けられない理由によって、陽の当たる場所に出られなかった彼/彼女らの物語を。

別に僕自身が叫んだところで、誰にも届かないかもしれない。もの書きがひとり書くのを辞めたところで誰も哀しみはしない。また日常が淡々とはじまっていくだけだ。にもかかわらず、僕は周囲にとって大して叫ぶ必要もない悲しみや苦しみについて、ずっと話していたいのだ。そのことが何よりも大事なことのように思えるのだ。草むらに光を当てて、彼はここに居るのだと僕は言いたい。それがたとえ余計なお節介に過ぎないものであったとしても。

kazuma

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一馬日報(手記) 文芸活動記録 書評・ブックレビュー

「ライ麦畑は何処にある?」

こんばんは、kazumaです。最近、また姿をくらましていた。インターネットから離れているとラクになることがある。Twitterから少し距離を置いたのは正解だったのかもしれない。他にも人間関係をリセットすることがあった。祖母が亡くなって、友達もなくした。いまの職場も退職することが決まり、秋には僕はいなくなる。

かなしくないといえば嘘になるが、それでもどこかやっと繋がれていた首輪が取れたように、清々した気分でもある。僕は改めてひとと一緒にやっていくことが難しい種類の人間であることを、目の前の誰かから突きつけられる度に理解する。もうずっと前にわかっていたことだったかもしれない。いまも迷いの中にいる。モラトリアムは終わらないまま、僕は生きていくんじゃなかろうか。

世の人にほとんど知られることもなく、ひっそりと創作を続けること。ほとんどヘンリー・ダーガー的な生き方に近いやり口で、僕は生きている。ひとが望んだような道を選んで生きるのだとしたら、僕はほんとうはそういう生き方を望んでいたのかもしれない。

僕がいまやりたいことといったら、書房の活動とネットのライターとしてのライティング、小説をポメラでパチパチ叩きながら作り続けること、それぐらいしか残っていない。あとはみな、人生に付随したおまけ程度のことに思える。

「サリンジャー戦記」という村上春樹と柴田元幸の翻訳ペアが書いた本をちょこちょこ読んでいるのだけれど、その中で「ライ麦」のホールデンについて語っているところがあって、興味深く読んでいる。

あの物語に即物的な救いみたいなものを求めると間違った方向へ行きやすい、というようなことが書かれてあった。ホールデンの兄、DBはJD(サリンジャー)の言い換えで、あれが一種の自己治癒のために書かれたものであるならば、ホールデンもまた作者の分身であり、自分がもうひとりの自分に向かって会いに行こうとしていることになり、その辺のことをホールデンがちゃらちゃらとこともなげに語ってしまっているところが怖いと村上さんは述べていた。

ひとりでは支えきれない悩みやバックグラウンドに押し潰されそうな人間が、それを一挙に解決してしまうように見える短絡的な回答に飛びつくと、ジョン・レノンを殺したマーク・チャップマンと同じ道を辿ってしまう。phony=インチキ、偽善なるものはすべて排除しなくてはならない、そうでなくてはinnocent=純潔、純真なるものを守れなくなるから、とそういう風にこの物語を読み取ってしまったとしたら、そうなるだろう。

でも、この物語はひとりの少年がこの世に身の置き所を探し続けた葛藤と探求の物語であって、ホールデンは外側から見れば確かに社会に反抗している捻くれ者の少年に見えるのかもしれないが、その外側に現れる行動だけを見て、それをホールデンだというのなら、ホールデンを殺しているのはむしろその読者だというべきだ。

ホールデンは単に自己を、あるいは誰かに触れられればすぐに壊れてしまうものを、外界から守るためにわざと大人たちに反発、脊髄反射ともいえる抵抗をしているのであって、わざわざ自分からphonyなる人物のテリトリーに入っていって殴りに行くようなことはしていない。サリンジャーだってそんな話はひとことだってしたくなかっただろうし、実際に彼は一切そんな話はしていないのだ。自身が精神的な病(PTSD)を抱え込んだ元になったと思われる戦争の時の話を一切していないことを考えれば、それだけで十分な説明になるだろう。

ただ一方で現実のサリンジャーはその後、隠遁生活を送るようになる。物語の終盤に差し掛かる頃に、ホールデンはどこか遠いところへ行こうと思いつく。縁石から通りに歩いて行こうとするとき、その向こう側までたどり着けないんじゃないかと考えるシーンのあとで。もう二度と実家にも戻らず、学校へも行かない。西部に向かってヒッチハイクで行って、近くに森のあるガソリンスタンドで働くとホールデンは言う。

でも、仕事の種類なんか、なんでもよかったんだ。誰も僕を知らず、僕のほうでも誰をも知らない所でありさえしたら。そこへ行ってどうするかというと、僕は啞でつんぼの人間のふりをしようと考えたんだ。そうすれば、誰とも無益なばからしい会話をしなくてすむからね。誰かが何かを僕に知らせたいと思えば、それを紙に書いて僕のほうへおしてよこさなきゃなんない。そのうちには、そんなことをするのがめんどくさくなるだろうから、そうなれば僕は、もう死ぬまで誰とも話をしなくてすむだろう。みんなは僕をかわいそうな唖でつんぼの男と思って、ほうっておいてくれるんじゃないか。

「ライ麦畑でつかまえて」J・D・サリンジャー 野崎孝訳 白水社 308、309頁

ここには現実のサリンジャーのphonyなるもの=俗世から身を守るための術、あるいは回答めいたものが書かれてある。この一連の件は逃避的であるにもかかわらず、妙にひとを惹きつけるような美しさを備えた妄想のように僕には思われる。向かいの通りまでもう歩くことができないという感覚を知っている人間にとっては、あまりにも蠱惑的に映るホールデンの夢想なのだ。そしてサリンジャーはニューハンプシャーのコーニッシュに自宅を建て、そこに壁を張り巡らせて暮らすことになる。

生きれば生きるほど、僕はひととはやっていけないなと思うようになった。ホールデンが望んでいるものは、僕が望んでいるものにかなり近いのだ。サリンジャーが壁の中で暮らしたくなるような気持ちは、僕にも分からないでもないのだ。半分、僕はもうそっち側に足を踏み入れているのだと思う。誰も僕のことを知らない街で、僕も誰のことも知らない街で暮らす。アントリーニ先生の言っていた堕落についての言葉が思い起こされる。その堕落には底というものがない。

世の中には人生のある時期に、自分が置かれている環境がとうてい与えることのできないものを捜し求めようとした人々がいるが、今の君もそれなんだな。いやむしろ、自分の置かれている環境では、探しているものはとうてい手に入らないと思った人々というべきかもしれない。そこで彼らは捜し求めることをあきらめちゃった。実際に捜しにかかりもしないであきらめちゃったんだ。わかるかい、僕の言うこと?

同上 292頁

村上さんは「ライ麦」のいちばん良い読者は、そこに意味や回答なんかを求めたりしない読者だと言った。僕だってそう思う、サリンジャーが物語の中で見出した意味や回答や、救いといったものは、サリンジャー自身の人生で見出した回答であって、それが僕自身の回答とイコールで結べるものではない。

ホールデンのその身の置き所を探し続ける過程を見るべきであって、それをすっ飛ばして辿り着いたところを見るのではいけない。僕は僕で、ひととはやっていけないなりに、やっていく道筋を探さなくてはならない。僕にとってのphonyなるものを否定し続けることによって、それを乗り越えることはできない。ホールデンはあくびをして聞いていたみたいだけど、アントリーニ先生の言葉は簡単に無視できるものではない。

「『未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある』」

同上 293頁

この言葉の意味は、二十代のはじめに読んだ頃には分からなかった。でも終わりが近づくにつれて、何となく、その意味が取れるようになった。そんな大人の論理が馬鹿げていると一蹴するホールデンの格好のよさというのもわかる。でも理想が叶わないからといって、そうやって生きていくのが恥だからといって、僕は僕を投げ捨てることはできなかった。それをやろうとして僕は失敗した。だからホールデンと同じ道を辿って、病棟の中に入った。そこで見た景色のことを、僕は何といってよいかまだ分からないでいる。そういう誰にもいえないかなしみがあったから、僕はそれをことばにして誰かに伝えたかった。そのためになら、どんなに恥をかいても、惨めな一生を過ごしても、誰からも顧みられなくても、ひとから後ろ指を差され笑われても、生きていなくてはならないのだと思った。「ライ麦」は僕に生きることを教えてくれたただひとつの本だ。

いまはずっとひとりで書いている。未発表原稿の短編第三作をつくっているところだ。もう少し、僕が信じているものについての話をできたらいいなと思う。物語の中でならまだほんとうの声が出せる気がするから。

kazuma

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一馬日報(手記) 広報(アナウンス・告知) 文芸活動記録

『前途多難』

僕に未来、なんてものがあるだろうか。

今日は近況報告だけ。しばらくネット上にも現れなくなると思う。理由は簡単だ。現実が厳しすぎるからだ。

いま通っている職場が潰れるのではないかという話が出ている。正確にいえば会社そのものが潰れるわけではないのだが、僕のいる部署そのものがなくなるんじゃないかという話だ。

休憩時間はその話題で持ちきりになっている。僕らのような使いっ走りはいくらでも替えが利くと思われているのだろう。一番お世話になって、仕事の上でも庇ってくれていたひとが退職することが決まった。今までの体制とは丸々変わってしまうようなので、あと三ヶ月か四ヶ月持てば良い方だ。僕はじき仕事を失うだろう。次の道を探さなくてはならない。

正直に言って、僕がいま暮らしている環境は、小説どころの話ではない。もうこれ以上、誰かとやり取りをするのに割く時間も余裕もどこにもない。

明日の仕事がどうなるかも分からない、病の進行はひととのコミュニケーションをさらに難しくしていく、家の中では要介護の祖母がいて、四六時中叫んでいる。今日は朝の五時に叩き起こされて、ばあちゃんが汚していった床をずっと拭いていた。一時間後に掃除が終わって祖母は、弟の名前を呼んで「ありがとう」と言った。祖母の中では「僕」という人間はもう存在していないはずの人間だったらしい。ばあちゃんはもう、僕の知っているばあちゃんではない。

今度は父方の方の祖母のところにも顔を出してくれと言われる。散々僕から時間やら人間関係やら何もかもを奪っておいて、今更それは何なのだろうと思っている。僕には彼らがやろうとしていることがよく分からない。死ぬまで問題を後回しにしているようにしか見えない。

宗教は僕がこの世でいちばん憎んだものだ。そんな文字は見るだけでも吐き気がすると思ったものだ。僕のぜんぶを奪ったものだ。家族どころか、他の人間にさえ、まだ話しかけることが残っているのだろうかと疑問がある。都市の駅前をネクタイを締めて颯爽と歩いていくサラリーマンや、ベビーカーを引いた子連れの母親や、同年代のふざけた格好をして騒ぎ立てては歩いていくひとびとに、僕は耐え難い断絶のようなものを感じる。これ以上、何か話すべきことがまだあるのかと、疑っている。彼らに向かってわかるように話す必要があるのだろうかと。

小説を書いて、これは僕に宛てられたものではないですね、と言われる。十人に聞けば十人全員が僕が書いているものが何なのかさっぱり分からないと言う。そのうちに何人かは怒り始める。こんなわけの分からないものを書くなと、そんなものをひとに読ませるなと。

いま思うと、彼らの言葉も怒りももっともだと思う。僕は最初から自分と自分に似たやつのためだけにしか書いていなかった。同じ苦しみを知っているやつにしか話さなかった。そんなものを送りつけられたり、読まされたりするのは苦痛でしかないだろう。いかに僕に固有の事情(育った環境や病やハンディキャップ、何かを書き付けずにはいられない理由)があろうと、そんなことは一般の読者にはまったく関係のないことなのだ。

駅前の路上でバンドマンが唄っている。ギターを持って、ドラムを持ってきて、時々バイオリンなんかも加わったりする(コロナの前の話)。

道ゆく人の中にはその演奏に足を留めるひとがいるが、そのほとんどは目の前を通り過ぎていく。僕もそうだ。路上でエド・シーランやオアシスやルイス・キャパルディみたいなやつに会うことはない。でも彼らは、街ゆく人々にその声を聴かせようと一生懸命に唄っている。育ってきたバックグラウンドも価値観も家庭環境も仕事も暮らしぶりもまったく違う、完全にランダムにその道を歩いているに過ぎない、不特定多数の連中に向かって臆面なく語りかけるようにギターを弾いている。僕は見向きもせずに通り過ぎていって、その音色もまるで覚えていない、でも彼らが確かにそこで唄っていたということは覚えている。通り過ぎていったあとでまばらな拍手が聞こえる。

翌朝、同じ道を歩いている時に気が付いた。小説を書くと言うのは、いまこの目の前の道を歩いている全く知らない別の人間に向かって無差別に語りかけることなのだと。そのやり方が路上で演奏するという形ではなかっただけで、本来はそういうことなのだと。

だからこれから僕がもし誠実な態度で小説を書きたかったら、取れる道は二つしかない。

ひとつは自分がやっていること、考えていること、経験したものごとが、誰かに理解される可能性は少しもないと思って、ほんとうに自分と、自分に似たやつのためだけに書き続けると言う道。この道を進むのなら、それはヘンリー・ダーガーの進んだ道のように、死ぬまで自分のために書き続けて、書いたものは誰にも一切公表せずに、部屋の押し入れにでも放り込んでおくこと。それがひとに読ませるような類のものではないと、彼にとってもわかっていたのだろう。ある意味でそれは、アウトサイダー・アートを描く人間にとっての誠実な、これ以上ない態度だと思う。ヘンリー・ダーガーの作品は、老後にアパートを引き払うときに家主によって発見されたというが、その時、部屋にあるものはすべて処分してもらって構わない(そこに置かれていた小説も含んでいた)とヘンリーは言ったという。

だから僕がもしこのまま自分と、自分に似た(≒ニアリーイコールで結べる)やつのため「だけ」に書き続けるのなら、直接原稿を手渡しするどころか、ネット上に公開することも、あるいはひとの目に触れる可能性があると考えられるところに作品を置いておくのは、読者に対して「極めて」不誠実な態度なのだ。罵声を浴びせられたってもう文句は言えないだろう。

そもそも小説という形式がはなから要求している最低条件が、それが作者のために書かれたものではなく、その小説を読む可能性があるすべての人間にとって少なくとも理解できる言葉で書かれたものであるということだ(その中身のすべてが実際に理解されるかどうかは問題ではない)。そしてその中身というものが、たとえば、作者固有の経験から来るかなしみであったり、苦しみであったりしたならば、それが作者固有のものでなくなるように、それを物語の中で手放して、誰かにとっても置き換え可能なものになるように工夫を凝らして伝えようとする行為そのものが、僕にとっての小説なのだ。

実際にそれを読んで全員が全員理解できるものでなくともかまわない、サリンジャーの作品を読んでも、サリンジャーの抱えていた当の苦しみそのものが分かるわけではない。戦地に赴いて塹壕の中でものを書き綴っていた人間の気持ちなんて分からないし、分かるなんて言葉を一言でも使ってはいけない。それを言えるのは同じ経験をしたことのある人間だけだ。

でも、ホールデンが湖を見て冬になったらあの家鴨たちはいったいどこへ行くんだろうな、と言ったときの気持ちは、あくまでも僕の中で、何か伝わってくるものがある。サリンジャーが戦地に赴いて死んでいった人間を目の当たりにするときの気持ちは絶対にわからないけれど、そのホールデンがぽんとタクシー運転手に向かってつぶやいたときの気持ちというのは、僕の中にもあるものに思えるのだ。その瞬間に、僕は通じるものがあると感じるのだ。そういうものがあるから、僕は小説にずっと憧れているのだ。自分固有のものを超えていくときに現れる表現を目の当たりにする度に。

ヘンリー・ダーガーのやったことは凄いと思うし、人間としても尊敬に値する生き方だと僕は思っている。何も恥じることなどない。でも仮にその作品を読んだとして、そこに通じるものがあると感じられるかはよくわからない。僕が凄みを感じているのは、ヘンリー・ダーガーそのひとの生き様というか、生きていく上での姿勢(周囲の環境にどれだけ恵まれていなかろうが、一生を通じて、死ぬまでたったひとりで創作を続けた)ところであって、おそらく作品そのものに、ではないだろうと思う。僕がサリンジャーの作品に向かい合った時に感じている憧れとは、まったく別ものなんだと思う。

だから僕は自分の書く世界の中に、他者が読み込むことのできる余白を残しておかなければならないだろうと思う。そうして書かれたものが、はじめて誰かにことばが届く可能性が残された作品になりうるだろうと思うから。

ブログや書房での活動はすると思うけれど、しばらく音信不通になります。僕は僕の人生で手一杯です。直接にやり取りをするというより、作品を書いて表していくことが、僕自身の答えになると思っています。だからしばらく待っていてください。次の作品を書き上げたときに、戻ってきます。

kazuma

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一馬の手記 2021.5.17

日常の記録。今後もこの形式で呟いていこうと思うので、どうぞよろしく。

終わらない思索と試作の旅に出よう。

210517

1729

自分の頭で考える、ということを、したい。

1730

ショーペンハウアーの『読書について』を、大学生のとき以来に再読している。まだ冒頭だが、読書に関して、いままでやってきたことを片っ端から粉砕するような内容が書かれてあるので、かなりノックダウンされている。清々しいほどに。僕は真逆のことをやってきた。二十歳の頃の僕はいったい何を読んだ、というのだろう。ただ文字の上をさらっていっただけじゃないか。読書をはじめる前に読書する本。それも順序としてはかなり早い段階で目を通しておいた方が良かった類いの。

1736

『多読に走ると、精神のしなやかさが奪われる。自分の考えを持ちたくなければ、その絶対確実な方法は、一分でも空き時間ができたら、すぐさま本を手に取ることだ。これを実践すると生まれながら凡庸で単純な多くの人間は、博識が仇となってますます精神のひらめきを失い、またあれこれ書き散らすと、ことごとく失敗する羽目になる』

『読書は自分で考えることの代わりにしかならない。自分の思索の手綱を他人にゆだねることだ』

『少なくとも読書のために現実世界から目をそらすことがあってはならない。読書よりもずっと頻繁に、現実世界では、自分の頭で考えるきっかけが生まれ、そうした気分になれるからである』

『これに対して博覧強記の愛書家は、なにもかも二番煎じで、使い古された概念、古物商で買い集めたがらくたにすぎず、複製品をまた複製したかのように、どんよりと色あせている。型通りの陳腐な言い回しや、はやりの流行語からなる彼の文体は、他国の硬貨ばかり流通している小国を思わせる。すなわち自分の力ではなにも造り出せないのだ。』

<ショーペンハウアー『読書について』鈴木芳子訳 光文社文庫版>

これが僕のやってきたことへの批判でなくて、何だろう。僕は現実世界から目を逸らすために小説を書きはじめたし、目の前の景色を放り出してずっと印字された10ポイント足らずの活字の流れを追っていただけだ。日常の細々としたことを別にすれば、僕がやろうとしてきたことは、自分の頭で考えることとは真逆のことだ。

1753

現実から逃れるために書かれた言葉はおそらく誰の心にも響かないだろう。

1754

昨日はサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』のバナナフィッシュを読み直していた。いま書いている短編第三作の参考にしようと思っていて。短編の一作目はカポーティの『ミリアム』からアイデアを膨らませ、二作目は『ティファニーで朝食を』からホリー・ゴライトリーをモデルに、作中のある人物に当て書きをした。三作目はサリンジャーの『バナナフィッシュ』から僕が受け取ったものを使って何かを作れないかと。すべてやっていることはモノマネのようなものかもしれない。でも僕は一度、いままでに影響を受けた作品を一通り一巡しながらものを書くことを身に付けたいのだ。

1801

リアルの友人とこっそりもの書き会をやっている。第三作目の冒頭に作ったものを読んでもらった。冒頭は二つ作った。今回は三人称で書くと決めているので、最初に一人称で書いたものをベースに、もう一度三人称に書き直したものを見比べて指摘を貰った。僕はほぼ八年間、誰のアドバイスも受け入れずに一人称ばかり書いていた。そういうことはもうやめようと思った。僕には思いつきの一筆書きだけで作品が出来上がるような才能など微塵もないことを受け入れようと思った。だからもう一度、短編から取り組み直している。友人は、確かに一人称の方が意識の流れに淀みがなくて、読者が入り込みやすいように書けてはいるが、三人称の方をきちんと書けるようになってから、もう一度一人称に帰ってきたら、と助言をくれた。慣れない三人称の方で試作した文章は、僕の癖で視点の入り混じりがあったので、文章に違和感がなくなるまで、上から一文節ごとに潰していって、問題のある箇所、少なくとも視点の入り混じりで作品の減点とならないよう、根気よく修正に付き合ってもらった。

僕みたいなとんでもない書き方をするもの書きに付き合ってくれた、理解のある友人に出会えたことに心から感謝している。

僕は得難い友人を得たのだと思う。八年も後になって。

遠回りはしたが、間違いではなかった。句読点と改行とアスタリスクの先にも続きはあるのだ。

1822

中村文則さんの新刊『カード師』が気になっている。毎日新聞の夕刊欄に新刊のお知らせと簡易インタビューが掲載されていた。noteでも感想文の募集をやっているようなので、間に合えば投稿してみたい。

1823

職場の人に休みの日に丸善に行かないかとお誘いがあった。『カード師』も気になっているタイミングだったし、読書漫画の『バーナード嬢曰く。』の5巻を手に入れたかったので、寄れたらいいなと思う。

1825

友人は本を読めなくなった時期があって、そのときにも梶井基次郎の『檸檬』だけは読めたというので、今度買ってきてやろうと思う。ちなみに読前の印象で「『檸檬』って、丸善を爆破する話だろ」と言うと、友人はくすりと笑ってくれた。

1828

街中を歩いていると妙に落ち着かなくて、電車の中に乗っているときもなるべくひとの顔を見ないように本の中に目を落としている。やっぱり僕はまともな人間にはなれないようだ。

1828

新しいスニーカーを買った次の日はいつも雨だ。人生で一度も外れたことがないジンクス。職場でその話をしたら僕は雨男だということになってしまった。

今日はこれで。そろそろ創作に戻ります。

またね。

kazuma

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一馬の手記 2021.5.13

こんばんは、kazumaです。最近、Twitterを先月から自粛していることもあって、なんだかちょこっとだけ言いたいことがあったり、考えをまとめたいときに言う場所がなくなっちゃったなと思っていた。あるんですよね、何か衝動的に走り書きでもしておきたいときが。なので、ちょっとブログで呟いてみることを思いついたのでした。TLだと独り言系のことは、どうもタイムラインを汚してしまうようだし、だったらブログでやればいいかと。これは単なるkazumaの走り書きなので、おそらく何かの役に立つようなことはないと思います。ほぼほぼ僕の備忘録ですが、ひとが読めるような記録にして残しておけば、考えもまとまりやすいかなと。一応、日付と時系列順に記載していきます。何というか生存報告の代わりです。重めのことも平気で書いていくかと思われますので、kazumaの生態を把握したい方だけでだいじょうぶです(需要あるんかな笑)

210513(年月日)

2008(記述開始時刻)

どうして僕には地獄行きの片道切符しかないのだろう。

2010

未公開短編第三作を書き始めた。

2011

iPhoneのアプリでNovel Studioという執筆アプリを入れてみた。なかなか良さそうだ。

2018(2324最終)

ウィトゲンシュタインを扱った本の中にヒントが書かれてあった。

もし仮に本人のみにしか了解し得ない事柄があるとしたら、そのことについては口を噤まなくてはならない。

個人の背負う悲しみも苦しみも、比較計量することができない地点にあるが故に。

僕の苦しみは僕の苦しみで、あなたの苦しみはあなたのものだ。そこに橋を架けることはできない。

誰も僕のことは分からないし、誰もあなたのことは分からない。

──ほんとうにそうだろうか?

じゃあライ麦畑を読んで感じたものは何だったのだろう。ホールデンが昔の奴の話をすると懐かしくなるって言ったときに感じたものは何だったのだろう。バナナフィッシュの浜辺を去ったシーモアが拳銃を撃ち抜いたとき、ホリー・ゴライトリーが「何度やっても繰り返し、同じことの繰り返し」と言ったときに、感じたものは何だったのだろう。

僕は彼らならわかってくれるとその時に信じた。

物語の領域は『私』の境界線上を離れた場所で生じる。

たとえそれが錯覚であったとしても。

言語ゲームの内側にあるとしても。

「この」かなしみが誰にも伝わらないとしても言葉にせずにはいられない地点がものかきにはある。

『わたし』のかなしみが『あなた』のかなしみに読み換えられる文章が生まれたときにそれは物語になる。そのふたつは決して同じではないし、同じにはならない。似ても似つかぬようになっているものだ。それぞれのかなしみは等価記号によって結べるものではないから。

しかし言語の特殊な回路を通じて全く別の地平に繋がることがあるように思う。他のどんなやり方よりも、静かに。

小説を書くということは本来置換不可能なはずのものをパラフレーズによって言い換えつづける、その繰り返しの営み、のような気がする。

読者がその物語を読者の物語として読み換えることが可能であるとき、その物語は既に作者の物語ではない。

書き手がやっているのは、それを読み換え可能なものに変える手助けのようなものではないだろうか。

誰かにとって読み換え可能なものにならない限りは、それはただのひとりごとだ。モノローグだ。物語はその向こう側にある。

僕にとっての「僕の」真実が、誰かにとっての「誰か」の真実であることはあり得ないが、その果実をぽんと放り出して誰かが受け取ることができれば、キャッチボールは成立する。ただしそのときにその果実はおそらく元の形はしていないだろう。それでよいのだ。

物語とははじめからそういうものだ。

サリンジャーがホールデンに託したものと、ホールデンから僕が受け取ったものは、おそらくまったくの別ものだ。

僕は受け取ったものをまた投げるのだ。それを受け取った誰かは、僕が投げたものとは別のものをまたいつか未来に向かって投げるだろう。文学というものがあるとしたら、その繰り返しの中に、ではないだろうか。

2020

カノンってよい名前だと思う。

2027

物語は誰のためにあるのだろうか。

2027

ヘンリー・ダーガーのような生き方が理想だといまでも思っている。

2041

ひとを呪って生きるくらいなら、無くしたものでもさっさと追いかけた方がマシだ。

今日は以上です。

kazuma

「さあ、これからどこへ行こうか?」と鳥は言った。

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『表現の方途』

 こんばんは、kazumaです。最近はちょっと創作について思いあぐねているところがあるので、その辺のことを記しておく。

 以前、書き終えた短編、『ハイライトと十字架』は作者としてはわりとよく書けた方だと思っているが、感想をいただくとやっぱりどこか粗が目立つようで、いくつか指摘をもらった。時々それについて考えている。だいたい読者に実際に届くのは、作者の思っているよりも、二、三割ほどさっ引いた感じで伝わると以前ひとに教えてもらったことがある。なるべく百パーセントに近づけたいと思っているが、使用している手段は言語なので、当然百パーセントにはぜったいにならないし、書き手側に手落ちがあれば、誤解を生んだりもする。しかし文字として表現されないことには、作者の思いやイメージが伝わることはない。僕はまずここから微妙な思い違いをやっていたようである。

 つまり、言葉によって表現される前から心象があって、それはとくに他者に伝えなくとも最初から存在していると見なしていた。結論から述べることになるけれど、そういう心象が最初から存在しているように見えるのは、今読んでいる本の言葉を借りれば、ヤマカッコ付きの<僕>=作者のなかにのみであって、それを第三者から見た時にそれが存在しているかどうかを知るためには、なんらかの表現手段のちからを借りなければなにも分からない、ということだ。

 場合によっては、それが確かにそのひとの中に根付いた、どんなに素晴らしいものが自分の内側に眠っていたとしても、それが表現されないことには、「他者にとっては」存在しないことと同じになってしまうのだ、という点について僕はたぶん思い違いをしているらしい。

 指摘された内容のひとつに、作者(の心情)が誰か(読者)に向けてわかってほしいと思って書かれたもののように見える、というものがあった。

 これは作品とかだけではなく、Twitterなどの普段の発言でもどうもそう見えるらしい。だとすると僕は、Twitterで呟くのと同じ感じを、小説でも与えてしまっていることになる。

 実はこの指摘は、三年前に別のひとからも感想として受け取っていた。そのひとは小説についての感想だったけれど、たぶんその当時のネット上の言動もだいたいそんな風に見えていたんじゃないかなと思う。その辺りのことで、多分僕は小説の書き方に関して、何か決定的な思い違いをしているんじゃないかという妙な確信があった。

 三年前の、そのひとの意見によれば、僕はそもそも根底から作品を作り直さなくてはならないのだと言われていた。僕が思い違いをしているということは作者自身である僕にもなんとなくわかるのだが、それがほんとうはどんな性質のものなのか、それがはっきりとは分からずにいた。いまもそこを思いあぐねている。

 ここで一旦、昔話になるが、僕がそもそも小説を書き始めたのは、ただ自分のためにだけだった。その頃、僕は碌でもない感じで病棟に入っていて、周りには知っている人ひとりおらず、わりと社会から隔絶された暮らしをしていた。

 その辺の細かい事情はどうでもいいので省くが、その頃から僕は他人に対して心を閉ざしていたので、事務的な内容以外はとくにひとと喋ることもなかった。こころを開くということ、それを表すことは、僕にとっては一番の難題だった。

 部活動をやっていた頃、『お前は何考えてるのかぜんぜんわからん、ちゃんと口に出して言えや』と同級生になじられたことがある。その時、確かに僕の中には心象として表したい気持ち=怒りのようなものが確かに先にあるのだが、いかんせん、とっさにはそんな言葉が見つからないので、歯痒い思いをしたことがある。僕はある意味では一番苦手な表現分野を選んでしまったのかもしれない。
 言葉にする、口にするということは、幼い頃の僕にとっても一番苦手な行為だったのだ。何かを口にするくらいなら、さっさと回れ右をして、話すことなんて何にもないんだというように、そっぽを向いて明後日の方角へ歩き出す。そういう感じの子どもだった。

 でも僕はやっぱりちゃんと口にしなくてはならなかったのだ、言葉にしなくてはならなかったのだ。同級生はかなり気に食わないやつだったのだが、それでも何について怒っているかを言わなければ、相手に対してフェアであるとは言えない。僕はこういうことを実は小説のなかでも無意識にやってしまっているのではないかという気がする。
 つまり、作者が作者の中だけで分かっていることを省略して書くことで、読者に対してその目の前で回れ右をしている。事情について言及されることはない。それが意図して選択した表現=敢えて表現しないことを選んだ表現、であるならまだしも、僕がやっているのはどこからどう見てもそうではない。何について登場人物が哀しんでいるのかを、理由も明かされないままに、少なくとも読者の側から汲み取れるようなものになっていない限り、僕の表現は僕の中においてしか通用しないものになってしまう。読者がそれを読んで怒るのも当然だ。単なる作者のひとりごとや愚痴を聞かされるのは現実だけでもまっぴらごめんだから。

 僕が三人称視点の物語がうまく書けないことの理由も何かそこに問題の根がある気がする。技術的な問題なら、その都度、対処していけば、いくらでも潰すことができる。ただ創作のスタンスがはなから違っていたら、それは決定的な読者との裂け目になるのだということを僕は八年経っても何もわかっていなかった。

 三年前の指摘を、別の人から指摘される、しかもどちらも小説については相当詳しい人物にそう言われるのだから、僕の小説の書き方には欠陥があると言わざるをえない。他の技術的な面で多少の成長があったとしても、それは小説の本質とはまったく関係がない。技術が本質を覆うことはあり得ない。僕の小説は三年前から、その根本的なところで変化が起きていない。もっと厳しく言えば、何も成長していないことと同じだ。

 では、僕の一人称小説、あるいは視点人物における「僕、わたし」と一般的な文芸において使われている「僕、わたし」とはいったい何が違うのか。どうして同じ言葉を使用しているのにもかかわらず、一方ではただのひとりごと、単なるモノローグ、あるいはそれにすら及ばない自分語りであるのに対し、他方の一般文芸で使われている「ひとりごと」あるいは「モノローグ」が単なるひとりごとではなく、モノローグという体裁を取っていても読者の胸を打つことができるのはなぜなのか。
 そういうことを考えた時、僕の小説で使われている「僕」は作者の中でしか通用しない完全に閉じた、作者のなかにしか見えない「僕」であって、他方の「僕」は、おそらくその物語を読んだ人間にとっても「ぼく、わたし」となりうるような開かれた「僕」なのではないか。だから体裁がどんなに拒絶しているものに見えようとも、他者によって置き換えて読むことのできる度量のある「僕」になっていればそれは小説としてありなのだ。単なる作者一個人の範疇を越えて、より広い範囲をカバーしている、そして他者がその「僕」の範囲内の中に常に含まれてしまうような「僕」。それが書けた時に、僕はほんとうの意味でただのお話ではなく、誰かにとっての物語でもある「小説」を書けたことになるのではないかと思う。 

 その表現方法を学ぶのがものかきにとっては必要であって、僕はその勉強をきちんとしてきたか? と問われれば、やっぱりまだそうではないと答えるしかない。
 ある意味で、そういう自分なりの表現方法を模索するところに辿り着くことが唯一のスタート地点で、そこに到達するまでに何年掛かろうと、問題にはならず、むしろここからがはじめて創作に取り掛かると言っていいところなのかもしれない。
 僕はずっと八年間、我流だけでやってきたが、我流だけで最後まで押し切ってどこかに到達できるのは、ほんとうに一部の天才だけであって、凡才である僕はどんなに惨めであっても、ここに来るまでにどれだけの年月を掛けていたとしても、先人の作品から表現の技術を学ぶところからはじめなくてはならないと思う。その上でオリジナルな、自分の表現したいものに合った表現の方法を見つけなくては創作にならない。

 僕に指摘をしてくれたひとたちは、みな独自の小説論、独自の小説に対する美学と哲学を持ち合わせていた。僕はまだそういうものを持っていない。そういう眼で、もの書きの、表現する側の眼で物語を読めていなかったからだ。そろそろ鑑賞者としての視点は捨てて、作家の側の視点、ものをつくっていく側の視点を持たねばならないよ、と僕は以前にはっきりひとに教えられていた。ほんとうは教えられて気づくのではなく、自分で気がつくぐらいでないといけなかったにもかかわらず。

 作家がなぜこういう表現を選んでいるのか、どうしてこの構造を使用しているのか、何のためにこの位置にこの文章が置かれているのか。もちろん素直な読者として読んで、作者としての何かしらのメッセージを受け取るということをおろそかにすることはないと思うけれど、そのメッセージを伝えるためにどんな手段が小説内で取られているのか、そこのところを研究することが、少なくとももの書きであろうとするのなら、必要になってくる視点じゃなかろうかと思う。

 僕はそのメッセージの方はちゃんと受け取ろうとしてきたと自負しているけれど、それがどんな伝え方によって伝わっているのかを一度も考えられてはいなかったと思う。だから小説をその視点で研究する必要がある。僕はいち読者としては物語は読めても、創作者としてはまだ一度も読めてはいなかったのだ。

 僕が書いたものがもし、作者にとってのみ通用するものではなく、誰かにとっても置き換え可能なものが書けた時、僕の苦しみが、登場人物のかなしみが、そのまま誰かにとっての苦しみであり、かなしみであるような物語が書けたとき、僕はその時にはじめて小説が書けたと胸を張って言っていいのだと思う。そしてそれを表すために先人たちの物語の作り方から学ぶ必要があるのだと思う。

 細かい技術の習得なんてある意味どうでもよいことなのだ、僕はそれよりも誰かの苦しみやかなしみを描けるようになりたい。それ以外に僕が書いてきた理由なんてないから。

 正解かどうかは知らない。でも僕はまだスタート地点に立とうとしているだけの見習いもの書きだった。

 これからは、小説の研究をしながら、短編の習作づくりに励みつづけると思う。群像の方は落選だった。当然だけど、僕はまだ小説が書けていないから。どうせ学ぶなら僕は一番好きな作家たちから学びたい。サリンジャー、カポーティといった作家の作品から。以前、ティファニーで朝食をの解題をnoteに上げようとしていたが、中断していたので、もう一度やってみようと思う。 

 今度は内容についての言及ではなくて、この物語がどのように語られているのかという意味でのものかきの研究。ノートを一冊作ってもいいかもしれない。長編は書き上げてkindleの電子出版をするつもりだったけど、そっちはまだいまのところはお蔵入りになりそうだ。いまは短編から作り直したい。何回も何回も、納得がいくまで。新作短編は三人称に挑戦してみるつもりだ。未公開短編の第三作になると思う。

やるならこのあたりで。小説の研究。あるいは解体。バラし。分解。

 近況だけどTwitterからは離れた。僕みたいなタイプはそもそもSNSに向いていなかったのだと思っている。無意識に発した言葉で、たぶん気がつかないところで他人を抉ることもあるし、僕自身抉られてもいた。もうそういうのはこりごりなんだ。しばらくはひとりでブログで喋っていようと思う。元々、僕はブログ畑の人間なので。その方が性に合っているみたいだ。あと、この独自ブログを読みやすいようにメニュータブを付けてみた。ちょこちょこ変わっていたりするのでチェックしてみてほしい。

kazuma

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一馬日報(手記) 文芸活動記録 記念行事

「商業作家(公募)を諦めたっていう話。」

書くことを諦めたわけじゃない。

 おはようございます、kazumaです。今日は休日なので朝からこの文章を打っている。ここで一旦、自分の文芸に関するスタンスを確認しておきたかったので、ブログに記しておく。タイトルはちょっとだけショッキングだが、このブログをはじめた最初の記事から公言していたことを改めて書いているだけだ。

 僕は大学を出たとき、まともな就職活動はしなかった。一次試験のペーパーテストだけ受けて途中で帰った。いまでも覚えているが、面接前の会社説明会で集められた志望者たち同士で二人組を作って、与えられたテーマについて話し合ってください、というものがあった。家族についてだとか、そんなどうでもいいテーマだったと思う。周りは制限時間の十分まで(むしろその時間を過ぎてからも)ずっと会話を続けていたが、僕たちの組は一分も会話が続かなかった、僕が全然喋らないやつだったからだ。そのとき、僕はこれからこれがあと何年繰り返されるのだろうかと思った。馬鹿馬鹿しくて仕方なかった。まともな育ち方をしなかったせいか、誰とも喋れる気がしなかった。話すことなんて最初からないだろ、何を言ったって伝わらないだろ、大事なことは小説の中だけで言っていればいいだろ、どこかでそう思っていたし、いまでもまだそう思っている。病棟の中で窓の外の景色を見ていたときから、まだ半年も経っていなかった。もうまともな世界に戻ることはないと、病院の敷地を出たときからずっとわかっていた。僕はその説明会でげらげら笑って喋り倒していた連中が一度も見たことのない景色を見たあとにその会場の椅子にひとりぼっちで座っていた。無言で中央線の改札を抜けてさっさとその場を後にした。二度と面接は受けなかった。

 いま思うとでっち上げだったのだろうと思う、都合のいい嘘だ。他に適当な嘘が付けないので(僕はどうも昔から頭がわるい)、他に卒業後の行き先を説明することができないので、まるで僕は最初から小説家になるつもりで生きてきたのだと「信じ」こもうとしていた。その暗示は、二、三年はうまく行った。自分が何を書いているのかも知らないし、それが一銭にもならない種類の小説であることをちっともわかっていなかったし、なによりその小説は中身のない空洞のようなもので、もはや小説と呼ぶよりもただの妄想に過ぎないものだった。いまでも僕はそんな妄想だけしか書いていない。大学からの卒業後の進路を記載する欄は空白にした。その時、過去のほとんど全ての人間関係を断ち、連絡先を葬った。

 僕には嘘でも生きていく目的が必要だったのだ。そうでもしないと、人生の無意味さに耐えられずに押し潰されてしまいそうだった。会社説明会から立ち去るばかりか、ベルトを部屋のフックに掛けるか、さもなくば河にでも身を乗り出してしまいそうだった。ある日、真夜中の河川敷の橋の上で真顔で立っていたことがある、大雨の日に誰も知らない街の橋の下で濡れたアスファルトにただ座っていたことがある、真冬の公園のベンチに座って夜が明けるのを待っていたことがある。全部、どうでもいいことだ。それになんの意味があるだろう?

 僕は八年間、小説を書き続けて毎年公募にも出したが、一度も賞をもらったことはない。もらわなくてよかったなと思う。こんな勘違いをした人間の書いたものに、何かの手違いがあったとしたら、僕はきっともっとおかしな人間になっていっただろうから。頭がわるくてよかった。冗談抜きでそう思う。誰にも共感されないただのお話を書き続けた。馬鹿げた八年間の過ごし方だった、でも他に生きる道なんて知らなかったのだ。壁に頭を打ちつけて暮らしたことのない人間になにがわかるだろう。

 卒業後に本の仕事と思って勤めた書店のアルバイトは半年も続かなかった。そのあとすべてを諦めて地元に帰り、スーパーの品出しのアルバイトを二年半続けた。いまは古本の通販会社のバックヤードでこそこそと鼠のように働いている。その間にも病は僕の中にずっと棲み続けた。惨めだった。信頼できる人間はひとりもおらず、書いて痛みを吐き出すことだけが生きている理由だった。何を言っても自分の思い描いたような形にはならず、輪郭はずっとぼやけ続けるままだった。作品を発表しても無視と傍観と批判と文句の嵐だった。こんなくだらないものを送ってくるなと突き返された。何度も、僕は面と向かって怒られたことがある。僕がそこに書いてあることの意味がまったくわからない、読者を馬鹿にしているのかと。文学学校の合評会に出したときは、十人中十人が僕の書いた小説にバツを付けた。でも、僕には彼らがなぜ怒っているのかまったく理解できなかった。飛び入りで参加してきた若い学生には、あなたはなぜこんなくだらない小説を書いているんですかとはっきり言われたこともある。さっさとやめてしまえ、と言わんばかりに。ただ僕には彼らの言っていることが正直に言ってあまり理解できなかった。なんだかどうでもいいことの揚げ足取りに見えた。同じ景色を見たことがない人間に向かって、ことばにならない苦しみをどう表せばいいのか、その方法がわからなかった。壁に穴を開けたことがある、指の関節が赤くなるまで殴ったことがある、部屋中のありとあらゆるものを蹴り飛ばしてひっくり返したことがある。僕は見た目通りの人間ではない。どんなに低く見積もっても、まともではない。サリンジャーの短編のタイトルを思い出す。『I’m crazy』。

 僕が書きたいのは純文学ではない、誰かに見られて賞賛を浴びるような小説ではない、中央の文壇に認められるようなものでも、不特定多数のいいねをつけられるような小説でもない。僕は僕と同じ苦しみを知っているやつだけに話をしている、最初からそいつにだけ話をしている、ひとりぼっちでいる、誰と一緒にいても一緒にはなれないホールデン・コールフィールド、あるいはアフリカの掘立て小屋まで行って、二度と帰ってくることのないホリー・ゴライトリー、バナナフィッシュの浜辺を去ってさっさと頭に拳銃でも当ててしまいたくなるシーモア・グラス、そういう人間に向かってだけ、僕は話をしている。なぜなら僕はそういう人間に向かってしか、話ができるような気がしないからだ。そういう連中以外には、言いたいことなんて何もないからだ。世の中の人間とは真逆の方向へ向かってずっと走ってゆく、そういうひとに向かって言葉のバトンを渡したいからだ。そしてそれ以外に、僕がこの人生でほんとうにしたいことはないからだ。進んでいく方向なんてどっちだってよかったのだ。どんな道を選んだって同じだったのだ。いま立っている場所から前に進みさえすれば。あるいは、この世の瀬戸際でその一歩を踏みとどまりさえすれば。

 なんの説明にもなっていないが、これ以外に僕にできる説明の仕方はない。商業作家を目指す理由は僕の中でなくなってしまった。僕がこれからも書き続けるのは、誰も見向きもしない小説であって、十冊も売れる見込みのない本であって、世の中の大多数から反感を買ってしまうような、そういうものだ。それは本来、最初から僕の中にあるものではなかった、僕が持つべきものでも、進んでいく道でもなかった。プロだろうがアマだろうが、小説を書き続けることに変わりはない。どっちでもいい。僕はいまのこの惨めな生活に納得している、僕が選んだのはこの道だったから。世の中の誰にも知られずに、部屋の片隅にうずくまって頭を抱えて泣いている人間の気持ちがちっともわからない人生なんて、僕はいやだった。そんなものは誠実でもなんでもない。華やかなものは何もいらない、それよりもその辺の道端の側溝で足を踏み外してもがいている、そんな人間の人生の方が僕にとっては誠実だと思う。泥の中でも咲くことのできる華がほんとうの華だ。そう昔、誰かに教えられた。それが僕の学生の頃に教わった、唯一のことだった。他のことは知らない、知りたくもない。真逆の方向へ向かって行く。僕はひとりぼっちになっても歩き続けていくだけだ。他に書くことなんてあるだろうか。

 これからは、というか、これからも、僕は古本の仕事なりなんなりを続けながらものを書いていくことになると思う。日中は倉庫で仕事をし、帰ってからの時間で書房のことをやったり、このブログを書いたり、あるいはこれから進めていくライター関連の案件をやることになると思う。ものを書いて食べていきたかった、その夢をすべて棄てたわけじゃない。形を変えて叶うこともあると思う。僕は食べていくための道としては、ライターを目指していくことにした。それだってすぐに叶うことではないが、これが僕の現実的な夢の着地点だった。

 そしてライフワークとして、僕はずっと世の中から隠れて小説を書き続けていけばいい。日中の仕事やらその他細々としたことは、みんな仮の姿だ。生きていくための嘘だ。ほんとうの嘘をつくために、僕はまだ生きていくことを選ぶ。小説を書くために生きていることはなにも変わらない。これが僕の作家志望の八年間の、そして現実の自分自身への折り合い。

 最後に近況報告を。SNS(Twitter)からは一旦離れた。いまは自粛期間として、新作の告知、ブログ記事の発表、書房の宣伝、ただの連絡先、その他にはとくに使うつもりはない。あそこで僕は心情を綴り続けたが、断片的な、文脈のない140字では、ほんとうに伝えたいことは何も伝えられないし、実際伝わっているようにも見えなかった。僕には誰かとつながることよりも、誰にもつながらない場所のなかで、ものを考え始めることが必要だったのだといまは思っている。

 僕はまたひとりぼっちの机の前に戻ってきた。昔のことが懐かしくなったら、いつかサリンジャーのような話が書きたい。暗やみのなかを通り抜けることでしか小説は生まれない。物語はほんとうはそういうもののためにあるとずっと昔から信じている。

 kazuma

 2021/04/09 13:16

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一馬日報(手記) 翻訳・和訳

blink-182『Adam’s song』を和訳してみた。

新しいタイプライターキーボードが届いたので、今日の記事はこれで打ちました!

 こんばんは、kazumaです。今日はちょっと趣向を変えて、気になっている洋楽の曲を紹介しようと思う。僕はけっこう執筆中も、あるいは考え事に煮詰まってしまったときに音楽を聴いていることが多い。曲を聴いていると余計なことは考えずに済むし、周りの雑音を消してしまえる。いまもタイピングをしながらBastilleなんかを聴いている。大体洋楽のポップソングやオルタナティヴロックを聴いているが、大抵はイギリスのアーティストだ。なぜかどうも曲が気になる時に、アーティストを調べてみるとイギリスのシンガーであったりすることが多い。読者諸兄はそんなことはないだろうか(読んでいる本が気が付いたら特定の国の作家に偏っていたり)

 学生時代はOasis、Ed sheeran、それからさっきのBastilleを好んで聴いている。他にもJames arthurやLewis Capaldiが好きだ。みんな英国のアーティストである。はじめは言葉の意味もわからず聴いているが、意味なんてわからなくとも伝わってくるものがあるのが音楽のよいところだ。

 気になったアーティストの曲はなるべくCDも買って歌詞も読むようにしている。依然として僕はサブスクリプションサービスや何やらについていけない準アナログ人間なのだ。未だにCDからiTunesに読み込んで、曲を入れているし、CDコンポで曲も流す。
 英語については僕は素人で、大学の別科にあった翻訳の授業にちょこっとモグリで顔を出していたくらいだ(そういうモグリで聴いていた授業の方がけっこう面白かったりするのだ)。義務教育課程の英語が何となくわかるかなという程度のものである。学生の頃は、Oasisの歌詞をノートに書き写して、自分で訳してみたりしていた。そのことをふとした瞬間に思い出して、そういえばこれブログでやってみてもいいのかもな、と思ったりしたので、この記事を書いている。

 曲を知るのは大抵youtubeを流しているときだ。お気に入りのアーティストの曲を探していると時折、自動で関連動画が出てきてちょっと勇気を出して飛んでみる。それで新しいアーティストを知ることが多い。今回、和訳してみたいタイトルはいっぱいあったのだけれど、練習ということで最近気になっていたあるバンドの曲を和訳してみようと思う。

 Blink-182というバンドがある。どうも彼らはアメリカのロックバンドで90年代から2000年台に掛けて活躍したバンドのようだ。僕も大してよく知っているわけではないことをまず前置きしておく。ギターなどの演奏経験もないので、音楽的に彼らがどんな技術を持っているか、ロックバンドの系譜のなかでどういう立ち位置か、そういうことには明るくない。

 コメント欄を見ているとミレニアル世代(millennial)のための曲、十年振り、二十年振りに懐かしんで聴いているようなひとたちが多かったので、海外の、僕と同じ世代のひとたちが親しんでいた曲なのだろう(僕はジェネレーションY世代である)。当時、僕は別にこの曲を知っていたわけでもないが、何となく2000年台の空気感が出ているように思えるので、国は違えど、懐かしむ気持ちは、何となく分かるような気がするのである。

 彼らはいい意味でバカっぽいロックバンドのMVや歌詞でも知られているようなのだが(他の動画コメントにはBlink-182のメンバーが脱いだりしてないだけマシだとか、書いてあったりした気がする)、意外と(?)シリアスな歌詞を書いていたりして、今回の『Adam’s song』もそれに当たる。妙に引っかかる感じの歌詞の書き方で、それが僕は気になったので取り上げることにしてみた。
 
 では、和訳をやってみようと思う。十年振りくらいに洋楽の翻訳をやるので、不慣れな部分には少し目を瞑ってほしい。間違いがあれば、ぜひコメント欄やTwitterのリプライ(@kazumawords)でこっそり教えてもらえればと思う。あとで修正をかけるので。ではいってみよう。

I never thought I’d die alone
ひとりぼっちで死ぬなんてちっとも思わなかったんだ

I laughed the loudest who’d have known?
ぼくが大声で笑っていたことなんて誰が知っているだろう?

I traced the cord back to the wall
コードを壁まで辿ってみたけれど

No wonder it was never plugged in at all
ぜんぜんプラグが刺さっていなくたって別に驚きゃしない

I took my time, I hurried up
時間をかけて 生き急ぎもした

The choice was mine I didn’t think enough
なんだって自分で選びもしたさ でもそれだけではもう足りないんだ

I’m too depressed to go on
前に進むにはあまりにも気が引ける

You’ll be sorry when I’m gone
僕が行ったら君は気の毒に思うだろうね

I never conquered, rarely came
うまくいくことなんてめったになかった

16 just held such better days
十六歳のときに過ごした日々の方がいつだってマシなんだ

Days when I still felt alive
まだ生きていると感じるいまなんかよりも

We couldn’t wait to get outside
僕たちは外へ出たくて待ちきれなかった

The world was wide, too late to try
世界は広くて、挑戦するには遅過ぎた

The tour was over I’d survived
この旅が終わって僕たちは生き延びた

I couldn’t wait till I got home
いまは家に帰るのが待ちきれなくなってんだ

To pass the time in my room alone
部屋でひとりぼっちの時間を過ごすためにさ

I never thought I’d die alone
ひとりぼっちで死ぬなんてちっとも思わなかったんだ

Another six months I’ll be unknown
きっと僕の知らない別の六ヶ月があったら

Give all my things to all my friends
僕の持っているものはみんな友達にあげる

You’ll never set foot in my room again
君はもう二度と僕の部屋に立ち寄ることはない

You’ll close it off, board it up
扉を閉じて 札を上げる

Remember the time that I spilled the cup
Of apple juice in the hall
僕が玄関でアップルジュースを落としていたときのことをまだ覚えていたらさ

Please tell mom this is not her fault
それはあんたのせいじゃないんだって母親に伝えてくれないか

I never conquered, rarely came
うまくいった試しなんかめったにないんだ

But tomorrow holds such better days
けれど明日がきっといい日だったらさ

Days when I can still feel alive
生きているって感じられるんだったらさ

When I can’t wait to get outside
外へ出るのが待ちきれないんだ

The world is wide, the time goes by
世界は広くて、時計の針は進む

The tour is over, I’ve survived
旅はもうおしまい、僕は生き延びた

I can’t wait till I get home
家に帰るのが待ちきれないんだ

To pass the time in my room alone
ひとりぼっちの時間をあの部屋で過ごすために

Blink-182 『Adam’s song』 訳:@kazumawords

 どうだろう、この歌詞。何か引っかかるところは、皆さん、ないですかね。

 妙に思わせぶりな歌詞ではありませんか。はじめの出だしのフレーズから終わりに至るまで、ある意味これは孤独な青年が何とかして大人になろうとしている瞬間を、そしてその瞬間を振り返って眺めているような、そんな歌詞と歌い方なんですね。

 確かにこれはsuicide(自殺)の文言、そのものは出てこないですけれど、明らかにそれを思わせる歌詞であることは間違いないです。そして、実際に、とても悲しいことですけれども、この曲を掛けながらコロラド州の少年が自殺を図り、亡くなったそうです。(https://www.barks.jp/news/?id=52010463)

 でも、バンドのメンバーはこの曲をただ自殺を匂わせることで曲を締め括っていたわけではなく、むしろそういった孤独の極限の瞬間を乗り越えた先のことを歌っているんじゃないんですかね。明らかにこの曲は未来の時点から、過去を振り返っています。

“But tomorrow holds such better days”が曲の転換点になっています。


 この曲の主人公Adam(アダムとエバのアダムなので、日本でいうところの「太郎」みたいな意味じゃないでしょうか。あるいは長男とかに誰でも付ける名前、『ある男の子』という意味合いくらいの、そうしているのは、誰でもAdamになる可能性があることを示唆しているのかな)は、昔はよく笑う男の子だった。コードを辿るとプラグが刺さっていなくて〜、のくだりは、どう訳すか迷ったんですけど、バンドの曲なんで、演奏器具のプラグが刺さっていることにも気が付かなかったということを描いているようですが、これはおそらく表向きの訳で、たぶんこれは暗喩じゃないですかね。コードが壁まで辿ってみたら刺さってなかったっていうことはこのアダムはいったい何をしようとしてたんですかね? 深読みだったらすいません、ですけど、コンセントにコードを挿して自分に巻きつけて感電死しようとしたけど刺さってなかったから助かった、という暗喩のセンで僕は考えました。

“I took my time, I hurried up, The choice was mine I didn’t think enough”のフレーズは、どうもこれは対応している歌詞があるみたいなんですね。ニルヴァーナの歌詞にそれがあるらしいんです、僕もコメント欄で知ったんですけど。

ヴォネガットの『スローターハウス5』に出てくるクリアウォーターの『カラマーゾフ』への言及と似たような感じでやっているんですかね。ちなみにそっちの方は「人生について必要なことはすべて『カラマーゾフの兄弟』のなかに書いてある。だけどもうそれだけじゃ足りないんだ」という箇所です。有名なので知っているひとは多いと思うけど。


コメント欄から引用すると、

Take your time, hurry up
Choice is yours.
-Nirvana(1991)

I took time, hurried up
The choice is mine I didn’t think enough.
-Blink-182(1999)

 YouTube コメント欄より引用しました。

 どうでしょう、まんまスローターハウスじゃないですか? 先行する偉大なアーティスト(あるいは文学者)に対応する歌詞(文章)で上げてくるのはほんとに胸熱展開ですね、といつも思っております。サリンジャーの作品の中でフィッツジェラルドの名前を見つけたりするときとかね。 

 余談で逸れましたが、この歌の少年はやっぱりどこかへ行こうとしているんですね。そして大人になる旅を一通り終えて、またひとりぼっちの部屋に帰ろうとするのが懐かしいなって歌っているわけです。大人になる旅っていうのは、ひとりぼっちの孤独と抱えこんだ自殺願望を乗り越えて、という意味でしょう。そのあとにI’ve survived(僕は生き延びた)とあるんだから。

 十六歳に過ごした日々が人生の中で一番最高の日々だった、でも明日は違うかもしれない、そういうことを彼らは歌っています。何気ない歌詞の中で一番胸を打つのは、やはりアダムがアップルジュースをこぼしたときのことですね。そんときのことを覚えていてくれ、思い出してくれって彼は友人か身内の誰かに頼んでいるわけです。それでその頼んだ内容が、それをこぼしたのは母さんの間違いじゃないんだよって伝えてくれと。でもこのシーンが伝えたいのは言葉通りの意味ではないんですね。どう見ても違う、彼が言いたかったのはおそらく彼はもうまもなく自殺を図る、あるいはどこかへ行こうとしている、扉は閉まって、部屋には札が掛かり、もう二度と君が立ち寄ることはないだろうと言っている。そのなかで母親に向かって、あなたが僕を産んでくれたことに間違いはなかった、僕が行く、あるいは死のうとするのはあなたのせいではないんですよ、ということです。そう思って聴いてみると、こんなに響く、文学的な歌詞はなかなか滅多にお目にかかるものではないんです。色褪せない曲っていう言葉はこういう曲のためにあると思いますよ。

 そんなわけで、いかがだったでしょうか。僕も久しぶりに電子辞書を叩きながらこのBlink-182の曲について解読してみました。曲の翻訳は謎解きみたいで楽しいんですよね。いつか短編くらいの海外作家の作品の翻訳もやってみたいなと憧れておりますが、いまは手慣らしということで。MVなんかもひとつの短編小説みたいな仕立てのものがあって、そういうのを観るのが好きですね。

 Blink-182については、いま風のものならばchainsmorkersとコラボしたP.S. I Hope You’re Happyがお勧めです。昔のドット絵のレトロなMVで、曲調はOwlcityのFireflies(一時期、流行りましたよね! え? 僕だけ?)とBlinkの別の曲(I miss you)のあいの子なんて言われてますが。どちらにせよミレニアル世代には刺さりますね。『I miss you』もミステリアスな名曲でおすすめです。発音がコメント欄でネタにされるのはご愛嬌。Blink-182のコメント欄には大抵面白いやつがいる。

今日はここまで。

See you agein soon.

kazuma

余談ですが、Bluetoothのタイプライター型キーボードを入手しました。実はこの文書もタイプライターキーボードで書いています。カシャカシャ音を鳴らすのめっちゃ楽しい。今日はごきげんです。またいつか紹介しようかなと。写真だけ上げときます。

追記:Twitterから気になった点上げときます。

https://twitter.com/kazumawords/status/1377628117267800065?s=21