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一馬日報(手記) 広報(アナウンス・告知) 文芸活動記録

『前途多難』

僕に未来、なんてものがあるだろうか。

今日は近況報告だけ。しばらくネット上にも現れなくなると思う。理由は簡単だ。現実が厳しすぎるからだ。

いま通っている職場が潰れるのではないかという話が出ている。正確にいえば会社そのものが潰れるわけではないのだが、僕のいる部署そのものがなくなるんじゃないかという話だ。

休憩時間はその話題で持ちきりになっている。僕らのような使いっ走りはいくらでも替えが利くと思われているのだろう。一番お世話になって、仕事の上でも庇ってくれていたひとが退職することが決まった。今までの体制とは丸々変わってしまうようなので、あと三ヶ月か四ヶ月持てば良い方だ。僕はじき仕事を失うだろう。次の道を探さなくてはならない。

正直に言って、僕がいま暮らしている環境は、小説どころの話ではない。もうこれ以上、誰かとやり取りをするのに割く時間も余裕もどこにもない。

明日の仕事がどうなるかも分からない、病の進行はひととのコミュニケーションをさらに難しくしていく、家の中では要介護の祖母がいて、四六時中叫んでいる。今日は朝の五時に叩き起こされて、ばあちゃんが汚していった床をずっと拭いていた。一時間後に掃除が終わって祖母は、弟の名前を呼んで「ありがとう」と言った。祖母の中では「僕」という人間はもう存在していないはずの人間だったらしい。ばあちゃんはもう、僕の知っているばあちゃんではない。

今度は父方の方の祖母のところにも顔を出してくれと言われる。散々僕から時間やら人間関係やら何もかもを奪っておいて、今更それは何なのだろうと思っている。僕には彼らがやろうとしていることがよく分からない。死ぬまで問題を後回しにしているようにしか見えない。

宗教は僕がこの世でいちばん憎んだものだ。そんな文字は見るだけでも吐き気がすると思ったものだ。僕のぜんぶを奪ったものだ。家族どころか、他の人間にさえ、まだ話しかけることが残っているのだろうかと疑問がある。都市の駅前をネクタイを締めて颯爽と歩いていくサラリーマンや、ベビーカーを引いた子連れの母親や、同年代のふざけた格好をして騒ぎ立てては歩いていくひとびとに、僕は耐え難い断絶のようなものを感じる。これ以上、何か話すべきことがまだあるのかと、疑っている。彼らに向かってわかるように話す必要があるのだろうかと。

小説を書いて、これは僕に宛てられたものではないですね、と言われる。十人に聞けば十人全員が僕が書いているものが何なのかさっぱり分からないと言う。そのうちに何人かは怒り始める。こんなわけの分からないものを書くなと、そんなものをひとに読ませるなと。

いま思うと、彼らの言葉も怒りももっともだと思う。僕は最初から自分と自分に似たやつのためだけにしか書いていなかった。同じ苦しみを知っているやつにしか話さなかった。そんなものを送りつけられたり、読まされたりするのは苦痛でしかないだろう。いかに僕に固有の事情(育った環境や病やハンディキャップ、何かを書き付けずにはいられない理由)があろうと、そんなことは一般の読者にはまったく関係のないことなのだ。

駅前の路上でバンドマンが唄っている。ギターを持って、ドラムを持ってきて、時々バイオリンなんかも加わったりする(コロナの前の話)。

道ゆく人の中にはその演奏に足を留めるひとがいるが、そのほとんどは目の前を通り過ぎていく。僕もそうだ。路上でエド・シーランやオアシスやルイス・キャパルディみたいなやつに会うことはない。でも彼らは、街ゆく人々にその声を聴かせようと一生懸命に唄っている。育ってきたバックグラウンドも価値観も家庭環境も仕事も暮らしぶりもまったく違う、完全にランダムにその道を歩いているに過ぎない、不特定多数の連中に向かって臆面なく語りかけるようにギターを弾いている。僕は見向きもせずに通り過ぎていって、その音色もまるで覚えていない、でも彼らが確かにそこで唄っていたということは覚えている。通り過ぎていったあとでまばらな拍手が聞こえる。

翌朝、同じ道を歩いている時に気が付いた。小説を書くと言うのは、いまこの目の前の道を歩いている全く知らない別の人間に向かって無差別に語りかけることなのだと。そのやり方が路上で演奏するという形ではなかっただけで、本来はそういうことなのだと。

だからこれから僕がもし誠実な態度で小説を書きたかったら、取れる道は二つしかない。

ひとつは自分がやっていること、考えていること、経験したものごとが、誰かに理解される可能性は少しもないと思って、ほんとうに自分と、自分に似たやつのためだけに書き続けると言う道。この道を進むのなら、それはヘンリー・ダーガーの進んだ道のように、死ぬまで自分のために書き続けて、書いたものは誰にも一切公表せずに、部屋の押し入れにでも放り込んでおくこと。それがひとに読ませるような類のものではないと、彼にとってもわかっていたのだろう。ある意味でそれは、アウトサイダー・アートを描く人間にとっての誠実な、これ以上ない態度だと思う。ヘンリー・ダーガーの作品は、老後にアパートを引き払うときに家主によって発見されたというが、その時、部屋にあるものはすべて処分してもらって構わない(そこに置かれていた小説も含んでいた)とヘンリーは言ったという。

だから僕がもしこのまま自分と、自分に似た(≒ニアリーイコールで結べる)やつのため「だけ」に書き続けるのなら、直接原稿を手渡しするどころか、ネット上に公開することも、あるいはひとの目に触れる可能性があると考えられるところに作品を置いておくのは、読者に対して「極めて」不誠実な態度なのだ。罵声を浴びせられたってもう文句は言えないだろう。

そもそも小説という形式がはなから要求している最低条件が、それが作者のために書かれたものではなく、その小説を読む可能性があるすべての人間にとって少なくとも理解できる言葉で書かれたものであるということだ(その中身のすべてが実際に理解されるかどうかは問題ではない)。そしてその中身というものが、たとえば、作者固有の経験から来るかなしみであったり、苦しみであったりしたならば、それが作者固有のものでなくなるように、それを物語の中で手放して、誰かにとっても置き換え可能なものになるように工夫を凝らして伝えようとする行為そのものが、僕にとっての小説なのだ。

実際にそれを読んで全員が全員理解できるものでなくともかまわない、サリンジャーの作品を読んでも、サリンジャーの抱えていた当の苦しみそのものが分かるわけではない。戦地に赴いて塹壕の中でものを書き綴っていた人間の気持ちなんて分からないし、分かるなんて言葉を一言でも使ってはいけない。それを言えるのは同じ経験をしたことのある人間だけだ。

でも、ホールデンが湖を見て冬になったらあの家鴨たちはいったいどこへ行くんだろうな、と言ったときの気持ちは、あくまでも僕の中で、何か伝わってくるものがある。サリンジャーが戦地に赴いて死んでいった人間を目の当たりにするときの気持ちは絶対にわからないけれど、そのホールデンがぽんとタクシー運転手に向かってつぶやいたときの気持ちというのは、僕の中にもあるものに思えるのだ。その瞬間に、僕は通じるものがあると感じるのだ。そういうものがあるから、僕は小説にずっと憧れているのだ。自分固有のものを超えていくときに現れる表現を目の当たりにする度に。

ヘンリー・ダーガーのやったことは凄いと思うし、人間としても尊敬に値する生き方だと僕は思っている。何も恥じることなどない。でも仮にその作品を読んだとして、そこに通じるものがあると感じられるかはよくわからない。僕が凄みを感じているのは、ヘンリー・ダーガーそのひとの生き様というか、生きていく上での姿勢(周囲の環境にどれだけ恵まれていなかろうが、一生を通じて、死ぬまでたったひとりで創作を続けた)ところであって、おそらく作品そのものに、ではないだろうと思う。僕がサリンジャーの作品に向かい合った時に感じている憧れとは、まったく別ものなんだと思う。

だから僕は自分の書く世界の中に、他者が読み込むことのできる余白を残しておかなければならないだろうと思う。そうして書かれたものが、はじめて誰かにことばが届く可能性が残された作品になりうるだろうと思うから。

ブログや書房での活動はすると思うけれど、しばらく音信不通になります。僕は僕の人生で手一杯です。直接にやり取りをするというより、作品を書いて表していくことが、僕自身の答えになると思っています。だからしばらく待っていてください。次の作品を書き上げたときに、戻ってきます。

kazuma

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一馬の手記 2021.5.17

日常の記録。今後もこの形式で呟いていこうと思うので、どうぞよろしく。

終わらない思索と試作の旅に出よう。

210517

1729

自分の頭で考える、ということを、したい。

1730

ショーペンハウアーの『読書について』を、大学生のとき以来に再読している。まだ冒頭だが、読書に関して、いままでやってきたことを片っ端から粉砕するような内容が書かれてあるので、かなりノックダウンされている。清々しいほどに。僕は真逆のことをやってきた。二十歳の頃の僕はいったい何を読んだ、というのだろう。ただ文字の上をさらっていっただけじゃないか。読書をはじめる前に読書する本。それも順序としてはかなり早い段階で目を通しておいた方が良かった類いの。

1736

『多読に走ると、精神のしなやかさが奪われる。自分の考えを持ちたくなければ、その絶対確実な方法は、一分でも空き時間ができたら、すぐさま本を手に取ることだ。これを実践すると生まれながら凡庸で単純な多くの人間は、博識が仇となってますます精神のひらめきを失い、またあれこれ書き散らすと、ことごとく失敗する羽目になる』

『読書は自分で考えることの代わりにしかならない。自分の思索の手綱を他人にゆだねることだ』

『少なくとも読書のために現実世界から目をそらすことがあってはならない。読書よりもずっと頻繁に、現実世界では、自分の頭で考えるきっかけが生まれ、そうした気分になれるからである』

『これに対して博覧強記の愛書家は、なにもかも二番煎じで、使い古された概念、古物商で買い集めたがらくたにすぎず、複製品をまた複製したかのように、どんよりと色あせている。型通りの陳腐な言い回しや、はやりの流行語からなる彼の文体は、他国の硬貨ばかり流通している小国を思わせる。すなわち自分の力ではなにも造り出せないのだ。』

<ショーペンハウアー『読書について』鈴木芳子訳 光文社文庫版>

これが僕のやってきたことへの批判でなくて、何だろう。僕は現実世界から目を逸らすために小説を書きはじめたし、目の前の景色を放り出してずっと印字された10ポイント足らずの活字の流れを追っていただけだ。日常の細々としたことを別にすれば、僕がやろうとしてきたことは、自分の頭で考えることとは真逆のことだ。

1753

現実から逃れるために書かれた言葉はおそらく誰の心にも響かないだろう。

1754

昨日はサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』のバナナフィッシュを読み直していた。いま書いている短編第三作の参考にしようと思っていて。短編の一作目はカポーティの『ミリアム』からアイデアを膨らませ、二作目は『ティファニーで朝食を』からホリー・ゴライトリーをモデルに、作中のある人物に当て書きをした。三作目はサリンジャーの『バナナフィッシュ』から僕が受け取ったものを使って何かを作れないかと。すべてやっていることはモノマネのようなものかもしれない。でも僕は一度、いままでに影響を受けた作品を一通り一巡しながらものを書くことを身に付けたいのだ。

1801

リアルの友人とこっそりもの書き会をやっている。第三作目の冒頭に作ったものを読んでもらった。冒頭は二つ作った。今回は三人称で書くと決めているので、最初に一人称で書いたものをベースに、もう一度三人称に書き直したものを見比べて指摘を貰った。僕はほぼ八年間、誰のアドバイスも受け入れずに一人称ばかり書いていた。そういうことはもうやめようと思った。僕には思いつきの一筆書きだけで作品が出来上がるような才能など微塵もないことを受け入れようと思った。だからもう一度、短編から取り組み直している。友人は、確かに一人称の方が意識の流れに淀みがなくて、読者が入り込みやすいように書けてはいるが、三人称の方をきちんと書けるようになってから、もう一度一人称に帰ってきたら、と助言をくれた。慣れない三人称の方で試作した文章は、僕の癖で視点の入り混じりがあったので、文章に違和感がなくなるまで、上から一文節ごとに潰していって、問題のある箇所、少なくとも視点の入り混じりで作品の減点とならないよう、根気よく修正に付き合ってもらった。

僕みたいなとんでもない書き方をするもの書きに付き合ってくれた、理解のある友人に出会えたことに心から感謝している。

僕は得難い友人を得たのだと思う。八年も後になって。

遠回りはしたが、間違いではなかった。句読点と改行とアスタリスクの先にも続きはあるのだ。

1822

中村文則さんの新刊『カード師』が気になっている。毎日新聞の夕刊欄に新刊のお知らせと簡易インタビューが掲載されていた。noteでも感想文の募集をやっているようなので、間に合えば投稿してみたい。

1823

職場の人に休みの日に丸善に行かないかとお誘いがあった。『カード師』も気になっているタイミングだったし、読書漫画の『バーナード嬢曰く。』の5巻を手に入れたかったので、寄れたらいいなと思う。

1825

友人は本を読めなくなった時期があって、そのときにも梶井基次郎の『檸檬』だけは読めたというので、今度買ってきてやろうと思う。ちなみに読前の印象で「『檸檬』って、丸善を爆破する話だろ」と言うと、友人はくすりと笑ってくれた。

1828

街中を歩いていると妙に落ち着かなくて、電車の中に乗っているときもなるべくひとの顔を見ないように本の中に目を落としている。やっぱり僕はまともな人間にはなれないようだ。

1828

新しいスニーカーを買った次の日はいつも雨だ。人生で一度も外れたことがないジンクス。職場でその話をしたら僕は雨男だということになってしまった。

今日はこれで。そろそろ創作に戻ります。

またね。

kazuma

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一馬の手記 2021.5.13

こんばんは、kazumaです。最近、Twitterを先月から自粛していることもあって、なんだかちょこっとだけ言いたいことがあったり、考えをまとめたいときに言う場所がなくなっちゃったなと思っていた。あるんですよね、何か衝動的に走り書きでもしておきたいときが。なので、ちょっとブログで呟いてみることを思いついたのでした。TLだと独り言系のことは、どうもタイムラインを汚してしまうようだし、だったらブログでやればいいかと。これは単なるkazumaの走り書きなので、おそらく何かの役に立つようなことはないと思います。ほぼほぼ僕の備忘録ですが、ひとが読めるような記録にして残しておけば、考えもまとまりやすいかなと。一応、日付と時系列順に記載していきます。何というか生存報告の代わりです。重めのことも平気で書いていくかと思われますので、kazumaの生態を把握したい方だけでだいじょうぶです(需要あるんかな笑)

210513(年月日)

2008(記述開始時刻)

どうして僕には地獄行きの片道切符しかないのだろう。

2010

未公開短編第三作を書き始めた。

2011

iPhoneのアプリでNovel Studioという執筆アプリを入れてみた。なかなか良さそうだ。

2018(2324最終)

ウィトゲンシュタインを扱った本の中にヒントが書かれてあった。

もし仮に本人のみにしか了解し得ない事柄があるとしたら、そのことについては口を噤まなくてはならない。

個人の背負う悲しみも苦しみも、比較計量することができない地点にあるが故に。

僕の苦しみは僕の苦しみで、あなたの苦しみはあなたのものだ。そこに橋を架けることはできない。

誰も僕のことは分からないし、誰もあなたのことは分からない。

──ほんとうにそうだろうか?

じゃあライ麦畑を読んで感じたものは何だったのだろう。ホールデンが昔の奴の話をすると懐かしくなるって言ったときに感じたものは何だったのだろう。バナナフィッシュの浜辺を去ったシーモアが拳銃を撃ち抜いたとき、ホリー・ゴライトリーが「何度やっても繰り返し、同じことの繰り返し」と言ったときに、感じたものは何だったのだろう。

僕は彼らならわかってくれるとその時に信じた。

物語の領域は『私』の境界線上を離れた場所で生じる。

たとえそれが錯覚であったとしても。

言語ゲームの内側にあるとしても。

「この」かなしみが誰にも伝わらないとしても言葉にせずにはいられない地点がものかきにはある。

『わたし』のかなしみが『あなた』のかなしみに読み換えられる文章が生まれたときにそれは物語になる。そのふたつは決して同じではないし、同じにはならない。似ても似つかぬようになっているものだ。それぞれのかなしみは等価記号によって結べるものではないから。

しかし言語の特殊な回路を通じて全く別の地平に繋がることがあるように思う。他のどんなやり方よりも、静かに。

小説を書くということは本来置換不可能なはずのものをパラフレーズによって言い換えつづける、その繰り返しの営み、のような気がする。

読者がその物語を読者の物語として読み換えることが可能であるとき、その物語は既に作者の物語ではない。

書き手がやっているのは、それを読み換え可能なものに変える手助けのようなものではないだろうか。

誰かにとって読み換え可能なものにならない限りは、それはただのひとりごとだ。モノローグだ。物語はその向こう側にある。

僕にとっての「僕の」真実が、誰かにとっての「誰か」の真実であることはあり得ないが、その果実をぽんと放り出して誰かが受け取ることができれば、キャッチボールは成立する。ただしそのときにその果実はおそらく元の形はしていないだろう。それでよいのだ。

物語とははじめからそういうものだ。

サリンジャーがホールデンに託したものと、ホールデンから僕が受け取ったものは、おそらくまったくの別ものだ。

僕は受け取ったものをまた投げるのだ。それを受け取った誰かは、僕が投げたものとは別のものをまたいつか未来に向かって投げるだろう。文学というものがあるとしたら、その繰り返しの中に、ではないだろうか。

2020

カノンってよい名前だと思う。

2027

物語は誰のためにあるのだろうか。

2027

ヘンリー・ダーガーのような生き方が理想だといまでも思っている。

2041

ひとを呪って生きるくらいなら、無くしたものでもさっさと追いかけた方がマシだ。

今日は以上です。

kazuma

「さあ、これからどこへ行こうか?」と鳥は言った。

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『表現の方途』

 こんばんは、kazumaです。最近はちょっと創作について思いあぐねているところがあるので、その辺のことを記しておく。

 以前、書き終えた短編、『ハイライトと十字架』は作者としてはわりとよく書けた方だと思っているが、感想をいただくとやっぱりどこか粗が目立つようで、いくつか指摘をもらった。時々それについて考えている。だいたい読者に実際に届くのは、作者の思っているよりも、二、三割ほどさっ引いた感じで伝わると以前ひとに教えてもらったことがある。なるべく百パーセントに近づけたいと思っているが、使用している手段は言語なので、当然百パーセントにはぜったいにならないし、書き手側に手落ちがあれば、誤解を生んだりもする。しかし文字として表現されないことには、作者の思いやイメージが伝わることはない。僕はまずここから微妙な思い違いをやっていたようである。

 つまり、言葉によって表現される前から心象があって、それはとくに他者に伝えなくとも最初から存在していると見なしていた。結論から述べることになるけれど、そういう心象が最初から存在しているように見えるのは、今読んでいる本の言葉を借りれば、ヤマカッコ付きの<僕>=作者のなかにのみであって、それを第三者から見た時にそれが存在しているかどうかを知るためには、なんらかの表現手段のちからを借りなければなにも分からない、ということだ。

 場合によっては、それが確かにそのひとの中に根付いた、どんなに素晴らしいものが自分の内側に眠っていたとしても、それが表現されないことには、「他者にとっては」存在しないことと同じになってしまうのだ、という点について僕はたぶん思い違いをしているらしい。

 指摘された内容のひとつに、作者(の心情)が誰か(読者)に向けてわかってほしいと思って書かれたもののように見える、というものがあった。

 これは作品とかだけではなく、Twitterなどの普段の発言でもどうもそう見えるらしい。だとすると僕は、Twitterで呟くのと同じ感じを、小説でも与えてしまっていることになる。

 実はこの指摘は、三年前に別のひとからも感想として受け取っていた。そのひとは小説についての感想だったけれど、たぶんその当時のネット上の言動もだいたいそんな風に見えていたんじゃないかなと思う。その辺りのことで、多分僕は小説の書き方に関して、何か決定的な思い違いをしているんじゃないかという妙な確信があった。

 三年前の、そのひとの意見によれば、僕はそもそも根底から作品を作り直さなくてはならないのだと言われていた。僕が思い違いをしているということは作者自身である僕にもなんとなくわかるのだが、それがほんとうはどんな性質のものなのか、それがはっきりとは分からずにいた。いまもそこを思いあぐねている。

 ここで一旦、昔話になるが、僕がそもそも小説を書き始めたのは、ただ自分のためにだけだった。その頃、僕は碌でもない感じで病棟に入っていて、周りには知っている人ひとりおらず、わりと社会から隔絶された暮らしをしていた。

 その辺の細かい事情はどうでもいいので省くが、その頃から僕は他人に対して心を閉ざしていたので、事務的な内容以外はとくにひとと喋ることもなかった。こころを開くということ、それを表すことは、僕にとっては一番の難題だった。

 部活動をやっていた頃、『お前は何考えてるのかぜんぜんわからん、ちゃんと口に出して言えや』と同級生になじられたことがある。その時、確かに僕の中には心象として表したい気持ち=怒りのようなものが確かに先にあるのだが、いかんせん、とっさにはそんな言葉が見つからないので、歯痒い思いをしたことがある。僕はある意味では一番苦手な表現分野を選んでしまったのかもしれない。
 言葉にする、口にするということは、幼い頃の僕にとっても一番苦手な行為だったのだ。何かを口にするくらいなら、さっさと回れ右をして、話すことなんて何にもないんだというように、そっぽを向いて明後日の方角へ歩き出す。そういう感じの子どもだった。

 でも僕はやっぱりちゃんと口にしなくてはならなかったのだ、言葉にしなくてはならなかったのだ。同級生はかなり気に食わないやつだったのだが、それでも何について怒っているかを言わなければ、相手に対してフェアであるとは言えない。僕はこういうことを実は小説のなかでも無意識にやってしまっているのではないかという気がする。
 つまり、作者が作者の中だけで分かっていることを省略して書くことで、読者に対してその目の前で回れ右をしている。事情について言及されることはない。それが意図して選択した表現=敢えて表現しないことを選んだ表現、であるならまだしも、僕がやっているのはどこからどう見てもそうではない。何について登場人物が哀しんでいるのかを、理由も明かされないままに、少なくとも読者の側から汲み取れるようなものになっていない限り、僕の表現は僕の中においてしか通用しないものになってしまう。読者がそれを読んで怒るのも当然だ。単なる作者のひとりごとや愚痴を聞かされるのは現実だけでもまっぴらごめんだから。

 僕が三人称視点の物語がうまく書けないことの理由も何かそこに問題の根がある気がする。技術的な問題なら、その都度、対処していけば、いくらでも潰すことができる。ただ創作のスタンスがはなから違っていたら、それは決定的な読者との裂け目になるのだということを僕は八年経っても何もわかっていなかった。

 三年前の指摘を、別の人から指摘される、しかもどちらも小説については相当詳しい人物にそう言われるのだから、僕の小説の書き方には欠陥があると言わざるをえない。他の技術的な面で多少の成長があったとしても、それは小説の本質とはまったく関係がない。技術が本質を覆うことはあり得ない。僕の小説は三年前から、その根本的なところで変化が起きていない。もっと厳しく言えば、何も成長していないことと同じだ。

 では、僕の一人称小説、あるいは視点人物における「僕、わたし」と一般的な文芸において使われている「僕、わたし」とはいったい何が違うのか。どうして同じ言葉を使用しているのにもかかわらず、一方ではただのひとりごと、単なるモノローグ、あるいはそれにすら及ばない自分語りであるのに対し、他方の一般文芸で使われている「ひとりごと」あるいは「モノローグ」が単なるひとりごとではなく、モノローグという体裁を取っていても読者の胸を打つことができるのはなぜなのか。
 そういうことを考えた時、僕の小説で使われている「僕」は作者の中でしか通用しない完全に閉じた、作者のなかにしか見えない「僕」であって、他方の「僕」は、おそらくその物語を読んだ人間にとっても「ぼく、わたし」となりうるような開かれた「僕」なのではないか。だから体裁がどんなに拒絶しているものに見えようとも、他者によって置き換えて読むことのできる度量のある「僕」になっていればそれは小説としてありなのだ。単なる作者一個人の範疇を越えて、より広い範囲をカバーしている、そして他者がその「僕」の範囲内の中に常に含まれてしまうような「僕」。それが書けた時に、僕はほんとうの意味でただのお話ではなく、誰かにとっての物語でもある「小説」を書けたことになるのではないかと思う。 

 その表現方法を学ぶのがものかきにとっては必要であって、僕はその勉強をきちんとしてきたか? と問われれば、やっぱりまだそうではないと答えるしかない。
 ある意味で、そういう自分なりの表現方法を模索するところに辿り着くことが唯一のスタート地点で、そこに到達するまでに何年掛かろうと、問題にはならず、むしろここからがはじめて創作に取り掛かると言っていいところなのかもしれない。
 僕はずっと八年間、我流だけでやってきたが、我流だけで最後まで押し切ってどこかに到達できるのは、ほんとうに一部の天才だけであって、凡才である僕はどんなに惨めであっても、ここに来るまでにどれだけの年月を掛けていたとしても、先人の作品から表現の技術を学ぶところからはじめなくてはならないと思う。その上でオリジナルな、自分の表現したいものに合った表現の方法を見つけなくては創作にならない。

 僕に指摘をしてくれたひとたちは、みな独自の小説論、独自の小説に対する美学と哲学を持ち合わせていた。僕はまだそういうものを持っていない。そういう眼で、もの書きの、表現する側の眼で物語を読めていなかったからだ。そろそろ鑑賞者としての視点は捨てて、作家の側の視点、ものをつくっていく側の視点を持たねばならないよ、と僕は以前にはっきりひとに教えられていた。ほんとうは教えられて気づくのではなく、自分で気がつくぐらいでないといけなかったにもかかわらず。

 作家がなぜこういう表現を選んでいるのか、どうしてこの構造を使用しているのか、何のためにこの位置にこの文章が置かれているのか。もちろん素直な読者として読んで、作者としての何かしらのメッセージを受け取るということをおろそかにすることはないと思うけれど、そのメッセージを伝えるためにどんな手段が小説内で取られているのか、そこのところを研究することが、少なくとももの書きであろうとするのなら、必要になってくる視点じゃなかろうかと思う。

 僕はそのメッセージの方はちゃんと受け取ろうとしてきたと自負しているけれど、それがどんな伝え方によって伝わっているのかを一度も考えられてはいなかったと思う。だから小説をその視点で研究する必要がある。僕はいち読者としては物語は読めても、創作者としてはまだ一度も読めてはいなかったのだ。

 僕が書いたものがもし、作者にとってのみ通用するものではなく、誰かにとっても置き換え可能なものが書けた時、僕の苦しみが、登場人物のかなしみが、そのまま誰かにとっての苦しみであり、かなしみであるような物語が書けたとき、僕はその時にはじめて小説が書けたと胸を張って言っていいのだと思う。そしてそれを表すために先人たちの物語の作り方から学ぶ必要があるのだと思う。

 細かい技術の習得なんてある意味どうでもよいことなのだ、僕はそれよりも誰かの苦しみやかなしみを描けるようになりたい。それ以外に僕が書いてきた理由なんてないから。

 正解かどうかは知らない。でも僕はまだスタート地点に立とうとしているだけの見習いもの書きだった。

 これからは、小説の研究をしながら、短編の習作づくりに励みつづけると思う。群像の方は落選だった。当然だけど、僕はまだ小説が書けていないから。どうせ学ぶなら僕は一番好きな作家たちから学びたい。サリンジャー、カポーティといった作家の作品から。以前、ティファニーで朝食をの解題をnoteに上げようとしていたが、中断していたので、もう一度やってみようと思う。 

 今度は内容についての言及ではなくて、この物語がどのように語られているのかという意味でのものかきの研究。ノートを一冊作ってもいいかもしれない。長編は書き上げてkindleの電子出版をするつもりだったけど、そっちはまだいまのところはお蔵入りになりそうだ。いまは短編から作り直したい。何回も何回も、納得がいくまで。新作短編は三人称に挑戦してみるつもりだ。未公開短編の第三作になると思う。

やるならこのあたりで。小説の研究。あるいは解体。バラし。分解。

 近況だけどTwitterからは離れた。僕みたいなタイプはそもそもSNSに向いていなかったのだと思っている。無意識に発した言葉で、たぶん気がつかないところで他人を抉ることもあるし、僕自身抉られてもいた。もうそういうのはこりごりなんだ。しばらくはひとりでブログで喋っていようと思う。元々、僕はブログ畑の人間なので。その方が性に合っているみたいだ。あと、この独自ブログを読みやすいようにメニュータブを付けてみた。ちょこちょこ変わっていたりするのでチェックしてみてほしい。

kazuma

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「商業作家(公募)を諦めたっていう話。」

書くことを諦めたわけじゃない。

 おはようございます、kazumaです。今日は休日なので朝からこの文章を打っている。ここで一旦、自分の文芸に関するスタンスを確認しておきたかったので、ブログに記しておく。タイトルはちょっとだけショッキングだが、このブログをはじめた最初の記事から公言していたことを改めて書いているだけだ。

 僕は大学を出たとき、まともな就職活動はしなかった。一次試験のペーパーテストだけ受けて途中で帰った。いまでも覚えているが、面接前の会社説明会で集められた志望者たち同士で二人組を作って、与えられたテーマについて話し合ってください、というものがあった。家族についてだとか、そんなどうでもいいテーマだったと思う。周りは制限時間の十分まで(むしろその時間を過ぎてからも)ずっと会話を続けていたが、僕たちの組は一分も会話が続かなかった、僕が全然喋らないやつだったからだ。そのとき、僕はこれからこれがあと何年繰り返されるのだろうかと思った。馬鹿馬鹿しくて仕方なかった。まともな育ち方をしなかったせいか、誰とも喋れる気がしなかった。話すことなんて最初からないだろ、何を言ったって伝わらないだろ、大事なことは小説の中だけで言っていればいいだろ、どこかでそう思っていたし、いまでもまだそう思っている。病棟の中で窓の外の景色を見ていたときから、まだ半年も経っていなかった。もうまともな世界に戻ることはないと、病院の敷地を出たときからずっとわかっていた。僕はその説明会でげらげら笑って喋り倒していた連中が一度も見たことのない景色を見たあとにその会場の椅子にひとりぼっちで座っていた。無言で中央線の改札を抜けてさっさとその場を後にした。二度と面接は受けなかった。

 いま思うとでっち上げだったのだろうと思う、都合のいい嘘だ。他に適当な嘘が付けないので(僕はどうも昔から頭がわるい)、他に卒業後の行き先を説明することができないので、まるで僕は最初から小説家になるつもりで生きてきたのだと「信じ」こもうとしていた。その暗示は、二、三年はうまく行った。自分が何を書いているのかも知らないし、それが一銭にもならない種類の小説であることをちっともわかっていなかったし、なによりその小説は中身のない空洞のようなもので、もはや小説と呼ぶよりもただの妄想に過ぎないものだった。いまでも僕はそんな妄想だけしか書いていない。大学からの卒業後の進路を記載する欄は空白にした。その時、過去のほとんど全ての人間関係を断ち、連絡先を葬った。

 僕には嘘でも生きていく目的が必要だったのだ。そうでもしないと、人生の無意味さに耐えられずに押し潰されてしまいそうだった。会社説明会から立ち去るばかりか、ベルトを部屋のフックに掛けるか、さもなくば河にでも身を乗り出してしまいそうだった。ある日、真夜中の河川敷の橋の上で真顔で立っていたことがある、大雨の日に誰も知らない街の橋の下で濡れたアスファルトにただ座っていたことがある、真冬の公園のベンチに座って夜が明けるのを待っていたことがある。全部、どうでもいいことだ。それになんの意味があるだろう?

 僕は八年間、小説を書き続けて毎年公募にも出したが、一度も賞をもらったことはない。もらわなくてよかったなと思う。こんな勘違いをした人間の書いたものに、何かの手違いがあったとしたら、僕はきっともっとおかしな人間になっていっただろうから。頭がわるくてよかった。冗談抜きでそう思う。誰にも共感されないただのお話を書き続けた。馬鹿げた八年間の過ごし方だった、でも他に生きる道なんて知らなかったのだ。壁に頭を打ちつけて暮らしたことのない人間になにがわかるだろう。

 卒業後に本の仕事と思って勤めた書店のアルバイトは半年も続かなかった。そのあとすべてを諦めて地元に帰り、スーパーの品出しのアルバイトを二年半続けた。いまは古本の通販会社のバックヤードでこそこそと鼠のように働いている。その間にも病は僕の中にずっと棲み続けた。惨めだった。信頼できる人間はひとりもおらず、書いて痛みを吐き出すことだけが生きている理由だった。何を言っても自分の思い描いたような形にはならず、輪郭はずっとぼやけ続けるままだった。作品を発表しても無視と傍観と批判と文句の嵐だった。こんなくだらないものを送ってくるなと突き返された。何度も、僕は面と向かって怒られたことがある。僕がそこに書いてあることの意味がまったくわからない、読者を馬鹿にしているのかと。文学学校の合評会に出したときは、十人中十人が僕の書いた小説にバツを付けた。でも、僕には彼らがなぜ怒っているのかまったく理解できなかった。飛び入りで参加してきた若い学生には、あなたはなぜこんなくだらない小説を書いているんですかとはっきり言われたこともある。さっさとやめてしまえ、と言わんばかりに。ただ僕には彼らの言っていることが正直に言ってあまり理解できなかった。なんだかどうでもいいことの揚げ足取りに見えた。同じ景色を見たことがない人間に向かって、ことばにならない苦しみをどう表せばいいのか、その方法がわからなかった。壁に穴を開けたことがある、指の関節が赤くなるまで殴ったことがある、部屋中のありとあらゆるものを蹴り飛ばしてひっくり返したことがある。僕は見た目通りの人間ではない。どんなに低く見積もっても、まともではない。サリンジャーの短編のタイトルを思い出す。『I’m crazy』。

 僕が書きたいのは純文学ではない、誰かに見られて賞賛を浴びるような小説ではない、中央の文壇に認められるようなものでも、不特定多数のいいねをつけられるような小説でもない。僕は僕と同じ苦しみを知っているやつだけに話をしている、最初からそいつにだけ話をしている、ひとりぼっちでいる、誰と一緒にいても一緒にはなれないホールデン・コールフィールド、あるいはアフリカの掘立て小屋まで行って、二度と帰ってくることのないホリー・ゴライトリー、バナナフィッシュの浜辺を去ってさっさと頭に拳銃でも当ててしまいたくなるシーモア・グラス、そういう人間に向かってだけ、僕は話をしている。なぜなら僕はそういう人間に向かってしか、話ができるような気がしないからだ。そういう連中以外には、言いたいことなんて何もないからだ。世の中の人間とは真逆の方向へ向かってずっと走ってゆく、そういうひとに向かって言葉のバトンを渡したいからだ。そしてそれ以外に、僕がこの人生でほんとうにしたいことはないからだ。進んでいく方向なんてどっちだってよかったのだ。どんな道を選んだって同じだったのだ。いま立っている場所から前に進みさえすれば。あるいは、この世の瀬戸際でその一歩を踏みとどまりさえすれば。

 なんの説明にもなっていないが、これ以外に僕にできる説明の仕方はない。商業作家を目指す理由は僕の中でなくなってしまった。僕がこれからも書き続けるのは、誰も見向きもしない小説であって、十冊も売れる見込みのない本であって、世の中の大多数から反感を買ってしまうような、そういうものだ。それは本来、最初から僕の中にあるものではなかった、僕が持つべきものでも、進んでいく道でもなかった。プロだろうがアマだろうが、小説を書き続けることに変わりはない。どっちでもいい。僕はいまのこの惨めな生活に納得している、僕が選んだのはこの道だったから。世の中の誰にも知られずに、部屋の片隅にうずくまって頭を抱えて泣いている人間の気持ちがちっともわからない人生なんて、僕はいやだった。そんなものは誠実でもなんでもない。華やかなものは何もいらない、それよりもその辺の道端の側溝で足を踏み外してもがいている、そんな人間の人生の方が僕にとっては誠実だと思う。泥の中でも咲くことのできる華がほんとうの華だ。そう昔、誰かに教えられた。それが僕の学生の頃に教わった、唯一のことだった。他のことは知らない、知りたくもない。真逆の方向へ向かって行く。僕はひとりぼっちになっても歩き続けていくだけだ。他に書くことなんてあるだろうか。

 これからは、というか、これからも、僕は古本の仕事なりなんなりを続けながらものを書いていくことになると思う。日中は倉庫で仕事をし、帰ってからの時間で書房のことをやったり、このブログを書いたり、あるいはこれから進めていくライター関連の案件をやることになると思う。ものを書いて食べていきたかった、その夢をすべて棄てたわけじゃない。形を変えて叶うこともあると思う。僕は食べていくための道としては、ライターを目指していくことにした。それだってすぐに叶うことではないが、これが僕の現実的な夢の着地点だった。

 そしてライフワークとして、僕はずっと世の中から隠れて小説を書き続けていけばいい。日中の仕事やらその他細々としたことは、みんな仮の姿だ。生きていくための嘘だ。ほんとうの嘘をつくために、僕はまだ生きていくことを選ぶ。小説を書くために生きていることはなにも変わらない。これが僕の作家志望の八年間の、そして現実の自分自身への折り合い。

 最後に近況報告を。SNS(Twitter)からは一旦離れた。いまは自粛期間として、新作の告知、ブログ記事の発表、書房の宣伝、ただの連絡先、その他にはとくに使うつもりはない。あそこで僕は心情を綴り続けたが、断片的な、文脈のない140字では、ほんとうに伝えたいことは何も伝えられないし、実際伝わっているようにも見えなかった。僕には誰かとつながることよりも、誰にもつながらない場所のなかで、ものを考え始めることが必要だったのだといまは思っている。

 僕はまたひとりぼっちの机の前に戻ってきた。昔のことが懐かしくなったら、いつかサリンジャーのような話が書きたい。暗やみのなかを通り抜けることでしか小説は生まれない。物語はほんとうはそういうもののためにあるとずっと昔から信じている。

 kazuma

 2021/04/09 13:16

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一馬日報(手記) 翻訳・和訳

blink-182『Adam’s song』を和訳してみた。

新しいタイプライターキーボードが届いたので、今日の記事はこれで打ちました!

 こんばんは、kazumaです。今日はちょっと趣向を変えて、気になっている洋楽の曲を紹介しようと思う。僕はけっこう執筆中も、あるいは考え事に煮詰まってしまったときに音楽を聴いていることが多い。曲を聴いていると余計なことは考えずに済むし、周りの雑音を消してしまえる。いまもタイピングをしながらBastilleなんかを聴いている。大体洋楽のポップソングやオルタナティヴロックを聴いているが、大抵はイギリスのアーティストだ。なぜかどうも曲が気になる時に、アーティストを調べてみるとイギリスのシンガーであったりすることが多い。読者諸兄はそんなことはないだろうか(読んでいる本が気が付いたら特定の国の作家に偏っていたり)

 学生時代はOasis、Ed sheeran、それからさっきのBastilleを好んで聴いている。他にもJames arthurやLewis Capaldiが好きだ。みんな英国のアーティストである。はじめは言葉の意味もわからず聴いているが、意味なんてわからなくとも伝わってくるものがあるのが音楽のよいところだ。

 気になったアーティストの曲はなるべくCDも買って歌詞も読むようにしている。依然として僕はサブスクリプションサービスや何やらについていけない準アナログ人間なのだ。未だにCDからiTunesに読み込んで、曲を入れているし、CDコンポで曲も流す。
 英語については僕は素人で、大学の別科にあった翻訳の授業にちょこっとモグリで顔を出していたくらいだ(そういうモグリで聴いていた授業の方がけっこう面白かったりするのだ)。義務教育課程の英語が何となくわかるかなという程度のものである。学生の頃は、Oasisの歌詞をノートに書き写して、自分で訳してみたりしていた。そのことをふとした瞬間に思い出して、そういえばこれブログでやってみてもいいのかもな、と思ったりしたので、この記事を書いている。

 曲を知るのは大抵youtubeを流しているときだ。お気に入りのアーティストの曲を探していると時折、自動で関連動画が出てきてちょっと勇気を出して飛んでみる。それで新しいアーティストを知ることが多い。今回、和訳してみたいタイトルはいっぱいあったのだけれど、練習ということで最近気になっていたあるバンドの曲を和訳してみようと思う。

 Blink-182というバンドがある。どうも彼らはアメリカのロックバンドで90年代から2000年台に掛けて活躍したバンドのようだ。僕も大してよく知っているわけではないことをまず前置きしておく。ギターなどの演奏経験もないので、音楽的に彼らがどんな技術を持っているか、ロックバンドの系譜のなかでどういう立ち位置か、そういうことには明るくない。

 コメント欄を見ているとミレニアル世代(millennial)のための曲、十年振り、二十年振りに懐かしんで聴いているようなひとたちが多かったので、海外の、僕と同じ世代のひとたちが親しんでいた曲なのだろう(僕はジェネレーションY世代である)。当時、僕は別にこの曲を知っていたわけでもないが、何となく2000年台の空気感が出ているように思えるので、国は違えど、懐かしむ気持ちは、何となく分かるような気がするのである。

 彼らはいい意味でバカっぽいロックバンドのMVや歌詞でも知られているようなのだが(他の動画コメントにはBlink-182のメンバーが脱いだりしてないだけマシだとか、書いてあったりした気がする)、意外と(?)シリアスな歌詞を書いていたりして、今回の『Adam’s song』もそれに当たる。妙に引っかかる感じの歌詞の書き方で、それが僕は気になったので取り上げることにしてみた。
 
 では、和訳をやってみようと思う。十年振りくらいに洋楽の翻訳をやるので、不慣れな部分には少し目を瞑ってほしい。間違いがあれば、ぜひコメント欄やTwitterのリプライ(@kazumawords)でこっそり教えてもらえればと思う。あとで修正をかけるので。ではいってみよう。

I never thought I’d die alone
ひとりぼっちで死ぬなんてちっとも思わなかったんだ

I laughed the loudest who’d have known?
ぼくが大声で笑っていたことなんて誰が知っているだろう?

I traced the cord back to the wall
コードを壁まで辿ってみたけれど

No wonder it was never plugged in at all
ぜんぜんプラグが刺さっていなくたって別に驚きゃしない

I took my time, I hurried up
時間をかけて 生き急ぎもした

The choice was mine I didn’t think enough
なんだって自分で選びもしたさ でもそれだけではもう足りないんだ

I’m too depressed to go on
前に進むにはあまりにも気が引ける

You’ll be sorry when I’m gone
僕が行ったら君は気の毒に思うだろうね

I never conquered, rarely came
うまくいくことなんてめったになかった

16 just held such better days
十六歳のときに過ごした日々の方がいつだってマシなんだ

Days when I still felt alive
まだ生きていると感じるいまなんかよりも

We couldn’t wait to get outside
僕たちは外へ出たくて待ちきれなかった

The world was wide, too late to try
世界は広くて、挑戦するには遅過ぎた

The tour was over I’d survived
この旅が終わって僕たちは生き延びた

I couldn’t wait till I got home
いまは家に帰るのが待ちきれなくなってんだ

To pass the time in my room alone
部屋でひとりぼっちの時間を過ごすためにさ

I never thought I’d die alone
ひとりぼっちで死ぬなんてちっとも思わなかったんだ

Another six months I’ll be unknown
きっと僕の知らない別の六ヶ月があったら

Give all my things to all my friends
僕の持っているものはみんな友達にあげる

You’ll never set foot in my room again
君はもう二度と僕の部屋に立ち寄ることはない

You’ll close it off, board it up
扉を閉じて 札を上げる

Remember the time that I spilled the cup
Of apple juice in the hall
僕が玄関でアップルジュースを落としていたときのことをまだ覚えていたらさ

Please tell mom this is not her fault
それはあんたのせいじゃないんだって母親に伝えてくれないか

I never conquered, rarely came
うまくいった試しなんかめったにないんだ

But tomorrow holds such better days
けれど明日がきっといい日だったらさ

Days when I can still feel alive
生きているって感じられるんだったらさ

When I can’t wait to get outside
外へ出るのが待ちきれないんだ

The world is wide, the time goes by
世界は広くて、時計の針は進む

The tour is over, I’ve survived
旅はもうおしまい、僕は生き延びた

I can’t wait till I get home
家に帰るのが待ちきれないんだ

To pass the time in my room alone
ひとりぼっちの時間をあの部屋で過ごすために

Blink-182 『Adam’s song』 訳:@kazumawords

 どうだろう、この歌詞。何か引っかかるところは、皆さん、ないですかね。

 妙に思わせぶりな歌詞ではありませんか。はじめの出だしのフレーズから終わりに至るまで、ある意味これは孤独な青年が何とかして大人になろうとしている瞬間を、そしてその瞬間を振り返って眺めているような、そんな歌詞と歌い方なんですね。

 確かにこれはsuicide(自殺)の文言、そのものは出てこないですけれど、明らかにそれを思わせる歌詞であることは間違いないです。そして、実際に、とても悲しいことですけれども、この曲を掛けながらコロラド州の少年が自殺を図り、亡くなったそうです。(https://www.barks.jp/news/?id=52010463)

 でも、バンドのメンバーはこの曲をただ自殺を匂わせることで曲を締め括っていたわけではなく、むしろそういった孤独の極限の瞬間を乗り越えた先のことを歌っているんじゃないんですかね。明らかにこの曲は未来の時点から、過去を振り返っています。

“But tomorrow holds such better days”が曲の転換点になっています。


 この曲の主人公Adam(アダムとエバのアダムなので、日本でいうところの「太郎」みたいな意味じゃないでしょうか。あるいは長男とかに誰でも付ける名前、『ある男の子』という意味合いくらいの、そうしているのは、誰でもAdamになる可能性があることを示唆しているのかな)は、昔はよく笑う男の子だった。コードを辿るとプラグが刺さっていなくて〜、のくだりは、どう訳すか迷ったんですけど、バンドの曲なんで、演奏器具のプラグが刺さっていることにも気が付かなかったということを描いているようですが、これはおそらく表向きの訳で、たぶんこれは暗喩じゃないですかね。コードが壁まで辿ってみたら刺さってなかったっていうことはこのアダムはいったい何をしようとしてたんですかね? 深読みだったらすいません、ですけど、コンセントにコードを挿して自分に巻きつけて感電死しようとしたけど刺さってなかったから助かった、という暗喩のセンで僕は考えました。

“I took my time, I hurried up, The choice was mine I didn’t think enough”のフレーズは、どうもこれは対応している歌詞があるみたいなんですね。ニルヴァーナの歌詞にそれがあるらしいんです、僕もコメント欄で知ったんですけど。

ヴォネガットの『スローターハウス5』に出てくるクリアウォーターの『カラマーゾフ』への言及と似たような感じでやっているんですかね。ちなみにそっちの方は「人生について必要なことはすべて『カラマーゾフの兄弟』のなかに書いてある。だけどもうそれだけじゃ足りないんだ」という箇所です。有名なので知っているひとは多いと思うけど。


コメント欄から引用すると、

Take your time, hurry up
Choice is yours.
-Nirvana(1991)

I took time, hurried up
The choice is mine I didn’t think enough.
-Blink-182(1999)

 YouTube コメント欄より引用しました。

 どうでしょう、まんまスローターハウスじゃないですか? 先行する偉大なアーティスト(あるいは文学者)に対応する歌詞(文章)で上げてくるのはほんとに胸熱展開ですね、といつも思っております。サリンジャーの作品の中でフィッツジェラルドの名前を見つけたりするときとかね。 

 余談で逸れましたが、この歌の少年はやっぱりどこかへ行こうとしているんですね。そして大人になる旅を一通り終えて、またひとりぼっちの部屋に帰ろうとするのが懐かしいなって歌っているわけです。大人になる旅っていうのは、ひとりぼっちの孤独と抱えこんだ自殺願望を乗り越えて、という意味でしょう。そのあとにI’ve survived(僕は生き延びた)とあるんだから。

 十六歳に過ごした日々が人生の中で一番最高の日々だった、でも明日は違うかもしれない、そういうことを彼らは歌っています。何気ない歌詞の中で一番胸を打つのは、やはりアダムがアップルジュースをこぼしたときのことですね。そんときのことを覚えていてくれ、思い出してくれって彼は友人か身内の誰かに頼んでいるわけです。それでその頼んだ内容が、それをこぼしたのは母さんの間違いじゃないんだよって伝えてくれと。でもこのシーンが伝えたいのは言葉通りの意味ではないんですね。どう見ても違う、彼が言いたかったのはおそらく彼はもうまもなく自殺を図る、あるいはどこかへ行こうとしている、扉は閉まって、部屋には札が掛かり、もう二度と君が立ち寄ることはないだろうと言っている。そのなかで母親に向かって、あなたが僕を産んでくれたことに間違いはなかった、僕が行く、あるいは死のうとするのはあなたのせいではないんですよ、ということです。そう思って聴いてみると、こんなに響く、文学的な歌詞はなかなか滅多にお目にかかるものではないんです。色褪せない曲っていう言葉はこういう曲のためにあると思いますよ。

 そんなわけで、いかがだったでしょうか。僕も久しぶりに電子辞書を叩きながらこのBlink-182の曲について解読してみました。曲の翻訳は謎解きみたいで楽しいんですよね。いつか短編くらいの海外作家の作品の翻訳もやってみたいなと憧れておりますが、いまは手慣らしということで。MVなんかもひとつの短編小説みたいな仕立てのものがあって、そういうのを観るのが好きですね。

 Blink-182については、いま風のものならばchainsmorkersとコラボしたP.S. I Hope You’re Happyがお勧めです。昔のドット絵のレトロなMVで、曲調はOwlcityのFireflies(一時期、流行りましたよね! え? 僕だけ?)とBlinkの別の曲(I miss you)のあいの子なんて言われてますが。どちらにせよミレニアル世代には刺さりますね。『I miss you』もミステリアスな名曲でおすすめです。発音がコメント欄でネタにされるのはご愛嬌。Blink-182のコメント欄には大抵面白いやつがいる。

今日はここまで。

See you agein soon.

kazuma

余談ですが、Bluetoothのタイプライター型キーボードを入手しました。実はこの文書もタイプライターキーボードで書いています。カシャカシャ音を鳴らすのめっちゃ楽しい。今日はごきげんです。またいつか紹介しようかなと。写真だけ上げときます。

追記:Twitterから気になった点上げときます。

https://twitter.com/kazumawords/status/1377628117267800065?s=21