文学好きがプレイする『リバース:1999』とフィッツジェラルドの話
最近、ハマっているゲームがある。『リバース:1999』というゲームだ。
これはゲーム好きの友人に教えてもらったことなのだけど「海外文学の小説が引用されているゲームがある」という。
日本文学だと「文豪とアルケミスト」なんかが有名だと思うけれど、海外文学がモチーフの一部として使われているスマートフォンゲームってちょっと珍しいものだなと思った。
話をよくよく聞いてみると、どうもフィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」が引用されているらしい。
今回は文学好きが「リバース1999」をプレイした感想と、なぜ「グレート・ギャツビー」の一節が引用されているのか? について簡単な考察をしてみたい。
「リバース:1999」で引用された、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』の一節
『リバース:1999』の冒頭で、ゲームプレイヤーがはじめて目にすることになるのは、F・スコット・フィッツジェラルド(F・Scott・Fitzerald)の「グレート・ギャツビー(The Great Gatsby)」のある一節だ。
「リバース:1999」の訳をそのまま引用すると、
捕まえられなくてもいい。明日、もっと早く走り、もっと遠くへ手を伸ばせばいいのだから。いつか晴れた朝を迎えるだろう。だから、進むのだ。流されても尚、前へと向かう船のように、絶え間なく過去へと押し流されながら。 ──F・スコット・フィッツジェラルド
「リバース:1999」より引用
ところで、F・スコット・フィッツジェラルドの作品を愛好する作家としてよく知られているのが村上春樹さんであることは有名な話だと思う。
村上さんは、「グレート・ギャツビー」を最も影響を受けた作品のひとつとして挙げ、翻訳も手がけているので、その部分を少し抜粋しよう。
もし「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本を三冊あげろ」と言われたら、考えるまでもなく答えは決まっている。この『グレート・ギャツビー』と、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』と、レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』である。どれも僕の人生(読書家としての人生、作家としての人生)にとっては、不可欠な小説だが、どうしても一冊だけにしろと言われたら、僕はやはり迷うことなく『グレート・ギャツビー』を選ぶ。
『グレート・ギャツビー』F・スコット・フィッツジェラルド著 村上春樹訳 p.333より引用(『翻訳者として、小説家として──訳者あとがき)
余談だが、村上さんがフィッツジェラルドの翻訳を手掛けるようになったのは『風の歌を聴け』(1979年)でデビューした直後のことで、1981年には既にフィッツジェラルドの訳書(「マイ・ロスト・シティー」)を出されている。
村上さんの訳だと、
ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でも、まだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。……そうすればある晴れた朝に──
「グレート・ギャツビー」スコット・フィッツジェラルド著 村上春樹訳 中央公論新社(2006)
だからこそ我々は、前へ前へとと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。
になる。
「リバース:1999」の章タイトルにもなった海外文学の元ネタ
話を戻すと、「リバース:1999」では、海外文学をどうもモチーフにしているらしい箇所がけっこう見つかったりする。
たとえば、通常ストーリーの第一章のタイトルは「我らの時代(In Our Times)」でこれはヘミングウェイの小説のタイトルになっている。
第二章「夜はやさし(Tender is the Night)」は、もちろんフィッツジェラルド。
第三章「物語は何処にもあらず(Novelles et Textes pour rien)」は、フランス語表記になっているが、英語だと「Stories and Texts for Nothing」になり、これは『ゴドーを待ちながら』で有名なサミュエル・ベケットの著作に当たる。
リバースでは、作品のオリジナルが書かれた言語のタイトルを採用する方針があるようだ。
第四章の「群虎黄金(El Oro De Los Tigres)」はスペイン語表記で、英語で「The Gold of the Tigers」となり、これは「マジック・リアリズムの祖」とも言われるホルヘ・ルイス・ボルヘスの詩を指している。
とまあ、これだけ見ても少々マニアックな製作陣のこだわりが見られる。
「リバース:1999」では、主に1900~1999年代を扱ったと開発陣のインタビューにあったので、20世紀に活躍した海外文学作品が多いのかもしれない。
なぜ「リバース:1999」で「グレート・ギャツビー」が引用されたのか?
では、なぜ『リバース:1999』の冒頭で「グレート・ギャツビー」の最後の一節が引用されているのか、ちょっと考えてみよう。
「リバース:1999」をやったことがない人向けに、ゲームのストーリーを簡単に説明しておくと、「リバース:1999」は2000年に到達できなかった世界を描いている。
ゲーム内でのストーリーは、謎の現象「ストーム」が起きたことによって、1999年から逆戻りが起きて、過去に遡っていく時間軸になっている。
「タイムキーパー」と呼ばれる主人公のヴェルティは神秘学家(アルカニスト)という、超常的な能力を持った登場人物たちに出会いながら、遡っていく時代の記録を残す役目を与えられている。
ヴェルティはそれぞれの時代のアルカニスト達に影響を与え、その行動を変えていくので、アルカニストたちの「過去(彼らにとっての現在)」を変えようとする存在と言えるだろう。
ここで、現実にフィッツジェラルドが書いた「グレート・ギャツビー」のストーリーを思い返す。ピンとくるひともいるかもしれない。
過去をもう一度やり直そうと企てた男、ジェイ・ギャツビー
「グレート・ギャツビー」は、「過去をそっくりそのまま、もう一度やり直そうとする男」、ジェイ・ギャツビーが主人公の物語だ。
「グレート・ギャツビー」は、ニック・キャラウェイというアメリカのロングアイランドに引っ越してきた青年の視点で語られる。ニックの隣家には巨大な邸宅が広がっていて、豪邸の持ち主の名はジェイ・ギャツビー。
ニックはある日、豪邸で開かれているギャツビーのパーティに招かれる。億万長者のような暮らしぶりのギャツビーに、ただ隣に住んでいるという理由だけで招待されたとは信じがたいニックは、広大なパーティ会場を巡り歩いてギャツビーを探すことになる。
実は、ギャツビーにはある「壮大な計画」があった。
彼が億万長者になったのも、巨大な豪邸を構え、毎晩のように桁違いのパーティを開いて人を集めていたのも、ただの隣人であるニックをわざわざ邸宅に呼んだのも、実は「過去に出会ったたったひとりの女性」を探し出し、もう一度振り向かせるという目的があったのだ。
ギャツビーは生涯を賭けてその目的に奔走した。過去をもう一度、やり直すために。
ネタバレになってしまうので、「グレート・ギャツビー」の話はこの辺りにしておく。
「リバース:1999」と「グレート・ギャツビー」の共通点、「時の流れに逆らう」主人公
「グレート・ギャツビー」のストーリーは、簡単に言うと「存在しなかった方の過去(つまり、探し求めていた彼女と一緒になっていたはずの過去)を、未来でもう一度そっくりそのままやり直そうとする男の話」である。
しかし、そんなロマンチシズムの塊のような理想を抱いたギャツビーにも変えられないものがひとつだけある。
それは「時の流れ」だ。
ギャツビーは、ようやく探し求めていた女性に再会するのだが、彼がその夢を見ていられたのは、ほんの束の間だった。
現実の女性にはすでにもう結婚相手がいて、別の相手と夫婦生活をともにした時間があり、それを認めることができない「ギャツビー」は、もがき苦しむ。
彼女のために億万長者にまで登り詰め、何もかもが思い通りになるはずのギャツビーも、「彼女が過ごしてきた現実の時間」だけは変えることができなかった。
人間が本来、遡ることができないはずの「時の流れ」に逆らおうとしてまで、彼女とともに生きることを諦めなかったギャツビー。
「リバース」の主人公であるヴェルティもまた、「ストーム」によって逆行した時間のなかでアルカニストの仲間たちを助けるために奔走する。
「リバース:1999」と「グレート・ギャツビー」の物語に共通点がもしあるとするなら、それはどちらも「時の流れに逆らおうとする」主人公が描かれている点だろう。
「リバース:1999」にハマったひとは、この機会に元ネタになった原作小説に手を伸ばしてみるのもおすすめだ。
あるいは、もの書きの息抜きに「リバース:1999」をプレイしてみてはどうだろう?
2024/01/20
kazuma
余談だけれど、「リバース:1999」には、「ニキシー管時計」や、「ドクターコショウ(炭酸飲料のドクターペッパーのこと)」などが登場する。
開発陣は「シュタインズゲート」の影響を受けている、と見て間違いないので、興味があればチェックしてみると面白いと思う。