ブックレビュー
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鈴木結生「ゲーテはすべてを言った」を読む。

kazuma(管理人)
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前置き

 このあいだ、地元の書店を巡っていると、鈴木結生さんの「ゲーテはすべてを言った」の単行本を見つけました。

 ちょうど芥川賞のシーズンで、僕の近所にある書店にも一冊だけ残っていて、タイトルが気になったこと、話題になっていたことで手に取りました。

 大型書店では、受賞後に既に売り切れとなっているツイートを見かけたりしていました。

 地元の書店の配本も残り1冊だったことから、「ゲーテはすべてを言った」の人気ぶりが伝わってきます。

 今回は「ゲーテをすべてを言った」の簡単な感想とブックレビューをまとめてみようと思います。

 これから作品を読もうかなと、迷っている人の参考になれば幸いです。

 話題作の新刊のため、なるべくネタバレはせず、作品の読後の印象のみを書ければと。

「ゲーテはすべてを言った」のあらすじ

 「ゲーテはすべてを言った」は、大学教授の博把統一(ひろばとういち)の言葉探しの物語です。

 統一の専門領域は古典文学のゲーテ。ゲーテ学者の彼は、学生に講義をするだけでなく、TVで評論番組を持つほどの高名な専門家です。

 ある日、家族で食卓を囲んでいるときに、妻が持ってきた紅茶を飲むことになった統一は、ティー・バッグのタグにゲーテの言葉がひと言、添えられていることに気が付きます。

『Love does not confuse everything, but mixes』

 娘の徳歌(のりか)は英文学科の学生で、「愛はすべてを混乱させることなく、混ぜ合わせる」と訳します。

 しかし、高名なゲーテ学者の統一にも、この言葉の出典がどこにあるか、いまいち判然としません。

 統一は、世間ではゲーテ学者の第一人者と思われており、この名言の出典を探し求めることになります。

 あらすじはここまで。

「ゲーテはすべてを言った」(のか?)

 「ゲーテはすべてを言った」を読んでいるときに感じたことは、大学教授の学問のネタが至るところにちりばめられていて、統一の言葉探しを追体験できるところがあります。

 物語はティー・バッグに書かれていたゲーテのたったひとことからはじまり、筋がいくつも別れていくのですが、最後は一つの箱の中に収められるかのように、同じ言葉に戻ってきます。

 話のなかで、ゲーテのメフィストフェレスの話が出てきます。

 ゲーテほどの優れた文学者であれば、この世にあるものを何だって言葉にできるはずだ、と錯覚するものかもしれません。

 作中の講義のなかで、文学者が、この世のすべてを言い尽くそうとする欲望のことを「ファウスト的衝動」と統一に言わせています。

 統一のドイツ留学時の友人として出てくるヨハンは、ドイツでは語尾に「ゲーテ曰く」と言えば、ほんとうにゲーテがそう言ったように聞こえる(なぜなら彼はすべてを言ったから)というジョークを披露しています。

 ゲーテがほんとうに「すべてを言った」なら、出典の判然としないティー・バッグに書かれていた言葉も、そのなかに含まれることになります。

 しかし、ゲーテ学者である彼には、その言葉が確かに言われたかどうかが、ずっと気がかりでいました。

 全編を通して、ゲーテが言ったとされる『Love does not confuse everything, but mixes』の言葉を探すのですが、そのたったひとつの言葉の真偽を確かめるために、読者は統一の言葉探しの旅をなぞることになります。

たったひとつの言葉の重みを感じる読書体験

 普通に暮らしていれば、たったひとつの言葉について、ずっと考えているような体験はしないかもしれません。

 毎日の暮らしで忙しければ、本を読む機会もないし、ある言葉が気に掛かったとしても、用事に追われているうちにすぐに忘れてしまう。

 でも「ゲーテはすべてを言った」を読んでいるときは、ゲーテ学者の統一と同じように、このティー・バッグに書かれていたひとことがつねに頭のなかにある。

 そのひと言が「あるか・ないか」がとても替えの利かない、とても重要な問いであるかのように感じられます。

 たったひとつの言葉を気に掛けて生きる職業――たとえば、学者や翻訳家、作家などの言葉を扱う仕事に就く人――を想像してみるとよいかもしれません。

 大半の人にとっては『Love does not confuse everything, but mixes』のひと言が、ほんとうにゲーテが言ったかどうかなんて、気にせずに生きられる。

 でも、ゲーテ学者の統一にとってはそれを確かめもせずに「ゲーテ曰く、」ということは言えない。そんなジョークに乗っかって軽々しく身を預けることもできない。

 なぜなら、彼は学者だから

 ゲーテ学者の統一もほんとうは、他の人のように「ゲーテ曰く、」と軽々しく冗談を言っていたい。

 すると、この物語には二つの構図があることになります。

 すべての言葉を理路整然と並べたいと思う学者の世界と、真偽なんてどうでもいいから「ゲーテはすべてを言った」と軽々しく冗談を言い放てる学者以外の世界

「ゲーテはすべてを言った」でメフィストフェレスに相当する人物は誰か?

 途中で統一の学者仲間として「然(しかり)」教授なる人物が出てきます。

 彼は統一と長年の同僚ともいうべき人物なのですが、物語の筋をよく読んでいくと、ちょっと「メフィストフェレス的」だなと思います。
 
 ゲーテの「ファウスト」では、メフィストフェレスという悪魔が、ファウスト博士の欲望を叶える代わりに魂を奪う存在として描かれます。

 言ってみれば、この物語において、アカデミズムの学者の世界から、統一を外に誘いだそうとする存在が「然(しかり)」教授である、ということもできそうです。

 統一は、昔、語尾に「ゲーテはすべてを言った」と付け加えるジョークを教えてくれたドイツの友人と、また同じように軽口を言って語り合いたいと話すシーンがあります。

 つまり、統一には学者の気質がある一方で、ほんとうは「自分で言ってしまいたい」欲望も持ち合わせています。

 この話は、学者の話と見せかけて、ほんとうは、言葉探しをする学者から言葉を生み出す作家への転身(メタモルフォーゼ)の物語ではないのか、と僕は思っています。

言葉探しをする学者、言葉を生み出す作家

 あのティー・バッグに書かれていたことを「ゲーテはすべてを言った」ということに「してしまえば」、統一は学者としての一線を踏み越えることになります。

 大学の卒業論文を制作したときをちょっと思い出してみてください。あるいは高校のときに現代国語で作者の言葉を引用するときのことを。

 教授や先生は、論文の出典や、本のタイトルや著者名、書かれている場所を正確に(ときにはうんざりするほど!)綴るようにと求めませんでしたか?

 一方、学校教育のなかでは、あまり教えられないことのひとつに「創作」があります。

 統一が学者であるかぎり、何を言ってもその背後には何らかの根拠、つまり「誰かが言ったこと」が「ほんとうかどうか」が求められる世界です。

 そこでは言葉の真偽や正確性が非常に重く考えられています。

 少しでも誤りのあることを言おうものなら、指導教官や周りの院生からすかさず問いただされるでしょう。

 できることなら、「ゲーテはすべてを言った」ということにしたい。そうすれば責任をゲーテに押しつけて、論文だっていくらでも書けるはず……。

 でも、そういうことは学者がやることではありません。書いたものも論文にはならない。

 では、どこでなら、それができるか? ――おそらく作家、それもフィクションなら真偽は問われません。

 物語がただ「確からしく」あればいいんです、「嘘でもそれがほんとう」に言ったように見えればいい。

 それをやったのが「ゲーテはすべてを言った」じゃないのか、と僕は思っています。

 学者から作家へ転身するとは、どういうことを意味するのか、言葉を職業とする人の限界がどこにあるか、そういうものを明らかにしていくスリリングな作品です。

 「ゲーテはすべてを言った」は第172回芥川賞を受賞しました。

 作者の鈴木結生さんは大学院生とのことですが、学問の世界の限界と、作家の領域の境目を、物語のなかで理論的に追い求めた作品にも見えます。

 僕は一回目に作品を読んだとき、ティー・バッグに書かれていた「Love does not confuse, but mixes.」の言葉が最後まで頭のなかに残っていました。

 二回目に通しで読み終えたあと、作品の構造が「学者の領分」と「作家の領分」に別れていることに気が付き、「然」教授がメフィストフェレス的な役割を担っていることが何となく分かりました。

 どんなに優れた文学者でも、「すべてを言う」ことはできません。

 だから、僕たちにも文章を書く楽しみはいつでも残されている。

 皆さんも「ゲーテをすべてを言った」を読むときは、ぜひ二回以上は通しで読んでみることをおすすめします。

 2025/02/25

 kazuma

 (了)

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