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記念行事

“K”

To ”K”

こんばんは。またインターネットに戻ってきた。いなくなっていたこの一ヶ月に僕は探していたものをいくつか見つけた。それは画面越しには決して見つからないものだった。これから歩いて行きたい道の目星が何となくついた感覚があった。こっちの方向に歩いて行けばいいんじゃないか、という勘みたいなもの。そういう感覚が戻ってきたのは、数年来のことだった。

ただその前に僕はひとつ、昔のある友人について、ここで話しておきたいことがある。これから未来へと向かう話をする前の、区切りの儀式として。後ろを振り返り、過去へと向かって敬礼するために。

その友人はいつも僕の前を歩いていた。手を伸ばしても、追いかけても、決してつかまらない速度で。僕はその背中ばかりを見つめ続けた。

大学時代、僕には『K』という友人がいた。在学した四年間でまともに口を利いたのは、両手で数えられるほどだろう。それでも僕は、学生時代のすべての期間に渡って、このKという友人のことばかりを考えていた。僕をここまで連れてきたのは、たぶん、Kだった。

Kはおそらく、もう僕のことなどは覚えてはいないと思う。Kは才色兼備の天才肌で、モラトリアムの塊のような僕とは違い、学内に幅広い交友関係があった。大学構内でKがひとりで歩いているところを僕はほとんど見なかった。Kの隣にはいつも必ず誰かがいた。テーブルに着けば、その場が明るくなり、会話が華やいで、自然と人が集まってきた。偶然、Kと並んで歩いたときには、道の方々で次々とKに向かって挨拶する人物がいた。僕の方はといえば、彼らの名前すら知らず、ただ俯くか、ちょっと遠巻きに眺めているだけだった。男子学生、女子学生問わず、双方に人気があった。僕は底抜けに明るい人間というものを、そのときはじめて目の当たりにした。僕は未だにKを超えるような善良かつ優秀な人間に、出会ったことがない。Kはそのとき、まだたった十八歳だった。

僕がKと知り合ったのは、勇気を出してKに話しかけたからではない。ただ単純に、学部が同じで学籍番号が極めて近かった、というだけの話だ。あまり気乗りのしない、エスカレーター式で上がった私立の大学に、消去法で決めた文学部の門の先にKはいた。

入学式のすぐあとで、新入生歓迎会があった。そこではじめて僕はKを見た。偶然、大学生協で買った四個入りのドーナツを僕は持参していた。するとKにドーナツをひとつ、唐突にひったくられた。あとで聞くと本人はもう覚えていなかったらしいが、僕の方ではKは最初にドーナツをひったくった奴になった。しかし、悪い気はしなかった。ドーナツはひとりで食べるものではないから。それ以来、僕はそのメーカーの袋入りドーナツを買う度に、Kのことを思い出す羽目になった。いまでも、スーパーの陳列棚に並んでいるそれを見ると、なぜか胸が痛むような気がする。どうでもいい話だ。

四月が過ぎて授業がはじまると、お互いに見掛けたときに軽く挨拶を交わすようになった。はじめて上京した東京の街で、何の因果か、ケーキ屋の暖簾をくぐった。Kはドーナツのお詫び、と言ってクッキーをくれた。それは寮の友人から貰ったお裾分けらしかった。国産かどうかも怪しげなクッキーだったが、僕は取りあえず礼を言い、後日、そのお返しのお返しにケーキを買いに街へ出かけたのだった。

Kはフランス語の授業を取っていた。僕もとくに合わせた訳ではないが、フランス後の授業を取った。そういう小さな偶然が、なぜかよく重なっていたと思う。フランスかぶれの助教は僕たちにいつも通り退屈な講義を行い、Kは流暢なアクセントと正確な綴りで満点に近い点を取った。僕は単位取りこぼしすれすれのC評価で、意味もなくフランス語辞典にカラーの付箋を延々と貼る作業を授業中に繰り返していた。フランス語で覚えたことと言えば、単語に男性名詞と女性名詞があることくらいのものだった。ちょうど目の前の席に座っていたKの後ろ姿ばかり見ていたからだ。

その気になれば僕はこのKとの断片的なエピソードを二百行十段落三部構成に渡って続けることができる。しかしそれはおそらく読者諸兄の望むところではないし、この文章を書いている目的にもそぐわない。僕とてあまり気は進まない。相手がおそらく一分たりとも覚えていないであろう過去の記憶について喋り続けることは。透明で、姿の見えない人型のバルーンアートに向かってひとりで話をしているようなものだから。ただ僕は、その透明になったKに、何度も救われたことがある。何か訳もなく哀しくなったとき、こういうときKだったらどうしただろうと、ついつい考えてしまうのだ。

僕は一時、スーパーマーケットの品だしのアルバイトをしていた頃があったが、食品段ボールの角で指を切って血を流していたとき、なぜかKの顔を思い出していた。僕はあれからずい分かけ離れたところに来てしまったなと、親指の腹から流れ出てくる赤い液体を眺めながら思っていた。こんなことをたぶんKは一生知ることはないだろうと、分かっていながら。汚れたエプロンの袖でそれを拭った。染みは落ちなかった。僕は何事もなかったかのようにバックヤードの冷凍倉庫に戻った。

『ティファニーで朝食を』という小説がある。アメリカの作家トルーマン・カポーティが書いた中編小説だ。新潮文庫から出ている村上春樹訳のものを、僕は大学時代に何度も何度も読み返した。映画にもなっているくらいだから、小説に興味がなくともタイトルなら知っているひとも多いかと思う。オードリー・ヘップバーンがバゲットの包みを持ってニューヨーク五番街の道を横切って歩いてくる、あれだ。僕は洒落た人間でも何でもないし、ニューヨークの『N』の文字の欠片も持ち合わせていないような垢抜けない人間だけれど、僕はこの物語をはじめて読んだときに、頭を一発ガツンとぶん殴られたような衝撃があった。ここに出てくる登場人物たちは、僕が持っていないものをみんな持っていた。作家志望の主人公『僕』も、やたらと部屋を留守にしては(ホリーの部屋にはいつも『旅行中(トラヴェリング)』の札が掛かっている)わざわざ最上階のユニオシさんに鍵を借りに来る、女優の卵『ホリー・ゴライトリー』も、あるいは、きざなバーテンのジョー・ベルさんや、どもってばかりのマグ・ワイルドウッド、出来すぎ人間のホセ・イバラ・イェーガー(出来すぎたために別れることになるもの哀しい男)、「あの」O・J・バーマンに至るまで(ここはジョークだ)、みんな、ひとを惹きつけるような魅力があった。僕が持っていないものをすべて持っていながら、彼らは全員、何か自らの中で決定的に欠けているものを探しているような気がした。ひとが何かに夢中になるのは、その中に自分のあずかり知らない世界を目の当たりにしたときだ。国も時代も書かれた言語も背景も個性も信条も現実も虚構も、みな違う、あの百枚前後の頁の中には、僕が知らなかった、知りたかったことがすべてあった。

そんな小説に出会ってしまったのは大学二年の秋だった。夏休みが終わり、後期の授業がはじまった頃、僕は時々授業の合間を盗み見ては、ルーズリーフにまだお話にもならないお話を、書き殴るようになった。もちろん誰にも見られないように、きっちり教科書で隠し、慎重に最後尾の窓際の席を選んで。あるとき、フランス語の授業でKが髪を切って現れたときがあった。Kの仲良しの女子学生がKを見て、オードリー・ヘップバーンみたいだと、眼を丸くして冗談にはとれない口調で言った。Kが席から身を乗り出して振り返ったとき、僕は似合っている、と投げやり気味に一言だけ答えたと思う。その瞬間、僕にはKが小説の中から出てきたホリー・ゴライトリーのように見えた。

ただ現実の行く末はいつも失敗で終わる。それが僕の人生の常だった。風船は手元から離れれば上空に辿り着く前に簡単に割れる。僕は空想の赤い風船の紐をただ握っていただけの大道芸人と同じだった。

いまだから話すけれど、僕は、訳あって大学から姿をくらますことになった。理由はあまり言いたくないし、ここで話すつもりもない。大学三年のクリスマス以降、僕を見掛けた奴は学内にもいないし、学外にもいない。昔の高校時代の友人達の間では、僕は死んだ、ということになって笑い話の種になっていたらしい。そういう噂をあとで人づてに聞いた。誰にも話すことのできない、かなしいことが沢山あった。僕が訳の分からない地点から半年後に戻ってきたとき、かつての男子学生の旧友は僕の前ではっきりとこう言った。「お前は、暗くなった」。僕はそいつがいなくなってから、心の中でこう思っていた。「わけもなく暗くなる奴なんかいない」

学内から姿を消す、その三ヶ月前の秋にKは留学に行くことになった。僕は図書館で手紙を書いていた記憶がある。下手くそな文章で、読むに堪えない文章に何度も青いペンで斜線を引いて、Kとの待ち合わせの時間を待っていた。片手には駅前の書店で買った『ティファニーで朝食を』があった。ぎりぎりまで、僕がずっと持っていたもう一冊の『ティファニー』(傍点と線が山のように引いてある)を渡そうかと思ったけれど、結局は新品のものを渡した。留学の行先は、ホリー・ゴライトリーの行先と同じ、アフリカだった。Kは困っているひとが居たら地球の反対側まで行ってしまうような、とてもいい奴だった。その三ヶ月後に僕は消えることになっていた。切羽詰まった感情がずっと胸に渦巻いていたが、僕が思っていたのは、きっとKは僕が本気で追いかけていっても追いつかないところまで、走って行ってしまうだろうということだった。そしてKと僕はあらゆる点で真逆の方向を向いている、ということも。もう会うこともなくなるかもしれない、そういうことだけははっきりと勘付いていた。僕は図書館のベンチの前でKに本を渡した。僕が大事に思っていた本だから、持っていて、と僕は言った。覚えているだろうか? 最後の頁に僕は傍線を引いておいた。

(今ではきっと、彼にも名前が与えられているはずだ。そしてきっと猫は落ち着き場所をみつけることができたのだ。)ホリーの身にも同じことが起こっていればいいのだがと、僕は思う。それがアフリカの掘っ立て小屋であれ、何であれ。

いつまでたっても繰り返し。終わることのない繰り返し。何かを捨てちまってから、それが自分にとってなくてはならないものだったと分かるんだ。

(『ティファニーで朝食を』トルーマン・カポーティ著 村上春樹訳 新潮文庫より引用)

飛行機が西の空に消えていく。僕はその飛行機雲をいつまでも眺め続けていた。窓のない部屋の中でもそれが見えるような気がした。Kが僕のことを忘れてしまったあとも、僕はずっとその思い出を大事に胸の奥にしまっておいた。吹けばすぐに飛んで消えてしまう、蝋燭に灯った灯火みたいに。僕はその青い火だけを見つめて暮らした。あとには苦い灰色の日々だけが残った。

僕が入り口も出口もない部屋から戻ってきた頃、Kはアフリカから飛行機で無事帰国した。最後の期間、Kとは殆ど喋る機会もなかった。フランス語の授業もなくなり、僕はKと顔を合わせる機会も口実もなかった。それに僕はもうKの前から姿を消した方がいいと、以前より強く思うようになった。会わせる顔もなかったし、僕はもう以前の僕ではなくなっていた。

最後に一度だけ、駅前のレストランで一緒に食事をした。僕はそのときには飲んでいた薬の副作用でぼろぼろになりかかっていた。それでもその日だけは、何とか気丈に明るく振る舞ってみせた。これがもう最後になるだろうと、僕には分かっていた。もう二度と会うこともない。Kは昔と変わらず、はじめてドーナツをひったくったときと同じような笑顔で笑っていた。それだけが救いだった。

帰り際、とうに陽の暮れた川縁の石段に座って、Kといくらか話をした。そして手を振って別れた。Kは僕に『頑張ってね』と言った。僕は頷いた。十字路の交差点で、二人とも振り返らなかった。それ以来、一度も顔を合わせていない。

Kは卒業後、誰もが知っている世界的な超一流企業に内定が出た。僕がMacではなくWindowsを使い続けているのはKのせいだ。僕はといえば、何処にもいく当てがなく、宙ぶらりんのまま、社会の底の底の底の方へ放り込まれてのたうちまわった。僕がこんな話をここでしているのは、Kに向かって交わした約束をまだ覚えているからだ。僕はそれを伝えるためにこの文章を書いている。

秋になるといつも思い出すことがある。十月の肌寒い風が通り過ぎていく度に忘れたことを思い出す。言わなければいけなかったことを僕は一言も言わなかった。指切りなんてするんじゃなかった。

Kへ。

あれから僕はものを書いて暮らした。約束通りの作家にはなれなかったけれど、ものかきになろうと努力はしている。いつか川縁でした、もうひとつの方の約束は守れそうにない。けれども、いままでの小説は、すべて君のために書いた。

この文章を君が読むことはないだろう。そう分かっていても、僕は何度でも物語を書く。届かない手紙の代わりに、瓶に詰めた言葉を何回も何回も、広い広い海に向かって投げ込む、諦めの悪い奴みたいに。僕はそういうことをずっと繰り返して生きてきた。いつか何処かの街の浜辺で拾ってくれるように。名前を付けられなかった迷い猫が、いつか落ち着く場所を見つけるみたいに。言いたかったことは、すべて小説の中に残してある。

いまから八年前の十月十日、秋の学祭を途中で抜け出して、誕生日を祝うために同じテーブル席に着いた瞬間を、まだ覚えているだろうか。暮れていこうとする陽差しを背に、君が贈り物の包みを開けようとしている、まさにそのときが、僕の人生の中で最も幸福な瞬間だったと、いまでも時々振り返っては思い出す。

君はその日の午後、眩い陽のひかりに包まれて笑っていた。

いまの僕はもう一度笑えるようになった。少なくとも君のように笑おうとはしている。

二十九回目の誕生日おめでとう。

ハッピー・バースデー、K。

僕はもの書きになるよ。

2020.10.10.

Warm regards.

kazuma

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一馬日報(手記) 文芸活動記録

『妄想』と『物語』ることの狭間で。

二十三時の作業机。

こんばんは、kazumaです。身の回りのごたごたがようやく落ち着いてきたので、夏のお便りを書きます。近況ですが、諸般の事情でアパートから去りました。またもう一度出直すことになりそうです。小説の執筆は何とか続けていました。十月の群像に出すつもりです。小説の完成が、今年の夏の宿題になりました。

この三ヶ月間、かなり目まぐるしい変化が内面で起こっているのを感じていました。といっても傍目に見て何かが劇的に変わったという訳ではないのですが。メランコリックなところは本当に相変わらずです。しばしばベルトの輪っかを結んで梁に引っかけたくもなりました。いつも通りの夏でした。公園通りを歩けば、蝉の声が聞こえます。昔は何気なく聞いていたその鳴き声が、いまでは妙に響いて聞こえます。まるで目の前に映るすべての景色をかき消して、忘れ去らせてくれるみたいに。

引っ越しの荷物が届いた部屋を整理していると、昔に書いた小説を見つけました。大したものではありません。昔、文学学校に半年だけ在籍していたときに書いた習作のようなものです。クラスの担当者が丁寧に赤線を引いて、添削が書き込んでありました。

初めての授業で、僕は一夜漬けで書いた適当な短編を持って行くと、これはいいと言ってくれるひとが何人かありました。三ヶ月後に、当時悩みながら作った課題の提出作品を持って行くと、その場にいた十人中十人が、訳が分からない、何が言いたいのか分からない、あなたの文章には中身がない、と言いました。飛び入りでクラスに参加していた十代くらいの少女が、ほとんど怒ったような剣幕で、あなたはどういうつもりで小説を書いているんですか、と言いました。実際にはもっとひどい言葉でした。僕は大して意味のない返答をしました。添削には、文章にひとりよがりな部分がある、と書かれていました。他の些末な修正部分は笑い飛ばすことができても、そこだけは妙に冗談では済まされない何かがありました。僕の書いた小説には、致命的な欠陥があるようでした。

あるひとは、これでは小説でも物語でも何でもなく、ただのお話に過ぎないと言いました。言われたときは受け入れ難かったですが、それが事実でした。そう言って貰ったことに感謝しています。僕ははじめてペンを握ったときから八年経っても、まともな小説ひとつこさえたことのないもの書きでした。どこにでも、いくらでも転がっている作家志望のなれの果てでした。

ここでピリオドでも、カンマでも、読点でも、句読点でも、閉じ括弧でも、了でも、何でも打ってしまえば楽になれたんでしょうが、どうにもノートの頁を繰る癖と、Enterキーを押下する癖は直りそうもない僕は、かなり底意地が悪いので、万年筆のペン先とキーボードの上でひとり悪あがきを続けています。

他の人にはまるで繋がっていないようにみえる言葉の鎖も、僕の目にはちゃんと繋がっているようにみえていました。ただそれが、自分の目にはそうみえるというだけではなくて、誰かにもきちんとそうみえるように書かなくてはならなかった。

『妄想』と『物語』の違いって何だろうと思います。

両方とも現実にはないものです。でも、性質はまるで違います。『妄想』の中に、他者は本質的に存在しません。それは閉じていて、個人にとって都合のいいように歪められた幻想です。自己完結的で、他人の入り込む余地は一切ない。生み出した本人が分かっていればいいもの。一方で、『物語』は、本質的に他者を必要とします。読まれる人がいなかったら『物語』にはなり得ない。語る人が分かっているだけではなく、そのイメージが共有されうるもの。これは開いていて、言葉を解くことができるなら誰でもその領域にアクセスできる。嘘が嘘のままで終わる『妄想』と違って、『物語』は生身の現実の地平に繋がっている。

『閉じた』まま、『開いて』いる小説って僕には二つくらいの小説のタイトルしか浮かびません。サリンジャーの『ライ麦畑』とドストエフスキーの『地下室の手記』。どちらも憧れのタイトルです。

僕の小説の致命的な欠陥はおそらく他者に開かれていないところにあると思っています。それは書き手である僕自身の生き方にも関わっていることではないだろうかと。

小手先のテクニックや文章の技巧云々以前の問題で、僕は誰かにものを語りたいと思っているのだろうか。もし語るとしたら――誰に? 何を? どんな風に? なぜ?

誰かに何かを語りたいという欲望を満たすためだけに、小説の形式を使ったとしたら、僕はそうするべきではなかっただろうと思います。最初から与えられた口で、話すべきだったと思う。

でも、そうして誰かに語ることが不可能なことのように思えたから、僕は文字を頼って、小説を利用しました。話に耳を傾けてくれる存在も、信頼して語ることのできる他者も、掴むことのできる手もなかったから、そのとき誰もそばにはいなかったから、僕は代わりに目の前に転がっていた安っぽいボールペンの芯を掴んだ。そのまま口にするにはためらわれることがあったから、僕はそれをいつか物語にしようと企てた。もうとうに作者の死んでしまった外国の小説の中に他者の声を見つけようとした。文庫本の文字を追って、限りなく遠いところに行きたかった。自分の見えている世界と縁が切れるところまで。

未来に向かって書くというより、僕には過去に向かって書いている気がしました。書けば書くほど、昔に向かっていった。

はじめて大学ノートに小説を書いたとき、僕はただ自分のためだけに物語を書きました。救いらしいものは何一つなく、目の前にはただ壁と呻き声とだけがありました。ほんとにそんなところを見たことがあるのかと軽くあしらわれ、絶望、という言葉を使うと鼻で笑われました。でも、たぶんそういうものは見えない壁一枚を隔てたすぐ側にあって、案外、街中でふらりとすれ違ったひとりの人の中に、いくらでも埋まっているものなんだと思います。誰の目にも留まらず、すっと足音もなく消えていく人の中に、ほんとうの声が隠れている気がします。僕はその声をつかまえてみたかった。それを言葉にして、文字にして、形あるものとして、爪痕みたいに残しておきたかった。だから書く理由はまだ残っているし、生きる理由も残っている。

何でこんな話をしたくなったのか僕には分かりません。ただ蝉の声が聞こえていたから、としか答えられない。

今年も夏が来ましたね。

kazuma

2020/08/05 23:10

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書評・ブックレビュー

カズオ・イシグロ「浮世の画家」を読む。

カズオ・イシグロ『浮世の画家』を読む。

こんばんは。kazumaです。今日は読み終えた本の話をしようと思う。この頃は通勤電車の中や、病院の待合室で読書をすることが増えた。鞄の中には文庫本を入れる専用のポケットがあって、仕事であろうがなかろうが、いつでも本を忍ばせている。この前は定食屋で紙の本を開いた。かなり迷惑な客だったに違いない。今度はいずれ、晴れた河川敷の河原で阿呆みたいに読んでやろうと虎視眈々と狙っている。

それはともかく、一週間くらい前にカズオ・イシグロの本を読み終えた。読んだのは『浮世の画家』。彼の書いた長編第二作である。実は元々、この本を読むつもりではなくて、『遠い山なみの光』を先に読むつもりだった。以前、『遠い山なみの光』を第一部まで読んだことがあって、途中で何か別の本に目移りしたのか、うっちゃって(売る、ではなく、放って)しまっていたことがあり、河岸に佇んでいる不詳の女の姿を描いたところに妙に記憶が残っていた。

それから時が経って、最近、急にそのシーンを思い出すものだから、何かそれが引っかかっているという感じが頭の中にあり、それがカズオ・イシグロの初期の作品だったことは覚えていたので、これだったかなと思って、本棚から手に取り『浮世の画家』を読み進めていった。結果的に特に河岸に謎の女が現れるようなことはなく(いるのはバーのマダム川上のママである)、読み終えたときにこれじゃなかったと分かったんだけど、おそらく第一長編のテーマを引き継いでいるように、読んでいて感じたので、これでよかった。

『浮世の画家』は、戦時中に活躍した画家である小野が、自らの半生を振り返りつつ、それを戦後になって、身の回りに起きた出来事とともに語り直すという、一人称の告白小説のようになっている。この話は『信頼できない語り手』と呼ばれる話法で、実際に物語世界の中で起きた客観的な事実を基に描かれているという訳ではないことが、後半に進むにつれ徐々に分かってくる。

ここで語られているのは、小野から見た世界、小野にとっての『現実』が語られており、ほんとうは何が起きていたのか、実際に起きた出来事は何なのか、周囲からはどう見えていたのかが作者によって意図的に欠落された形で物語が進む。戦争を生き延びた老画家・小野が半生を振り返る形を取っているので、現実は小野のレンズによって微妙に修正され、あるいは奇妙にねじ曲げられている。

そのレンズの屈折具合が、周囲の人間、たとえば娘姉妹である節子や紀子、孫の一郎、娘婿の素一や、かつての盟友でありヒールでもある松田、それらとの人間模様を通して、徐々に小野が歪めて見ていた世界像がはっきりと見えはじめる、目の悪かった人間がまるで度数を上げて、周囲の視点のレンズを重ねる度に、実像に近づき、はじめてもう一度、世界を目の当たりにするような、そんな面白さがこの小説内には存在している。

レンズの歪みやひずみの中に浮き上がる小野自身の欲望、見ようと欲する世界、こうであるだろう、こうであったはずだ、と見ていた世界が、周囲から見える現実との落差に揺れている。

でも、こういった描き方はかなり真摯な人間の描き方だと思っている。現実において、例えば物事の意味が分かったり、誰それの人間がどういう意図を持って動き、だからこの人間ともうひとりの人間が衝突して、みたいな理由は分かりはしない。

小説世界の中であり得るような神の視点、客観的に『正しい現実』のようなものに、到達することはあり得ない。(だいたい、小説を書いている作者にすら、何故書いたのかも分からないような代物も存在する)

人間である限り、必ず主観のレンズを一度通すことになる。どれほど純粋な世界を望んで、真実であるとおりに見ようと思っても、そのひとから見えるようにしか、そのひとの現実は構成されない。必ず何かを歪めたり、欠落していたりする(僕がカズオ・イシグロの『浮世の画家』と『遠い山並みの光』の文章で見たイメージの記憶を混濁していたように)

これが言えるのはレンズがただ一つの場合だ。この世界を見ている人間がただひとりしか存在しない場合だ。主観的に言えば、確かにそうである。僕の現実の中には、僕から見た世界しか見えない。この文章を読んでいるあなたの現実の中には、あなたから見た世界しか見えないだろう(たぶんね)。でも実際には、この世界に存在しているのは僕だけではないし、もちろん、あなただけでもないようだ。

この歪んだ小野のレンズが、戦争後に生き延びたひとびととの出会いの中で、読者に徐々に見えるようになってくるのは、そこに他者のレンズを取り込むようになったからである。この世界に目は一つしかない訳ではない。どんなに少なく見積もっても、この現実世界には六十億の目が存在している。そのレンズがひとつでも、ふたつでも自分の世界の中に増える度に、別の角度から見た像が新たに姿を現す。

戦争の時代に巻き込まれ、新進気鋭の画家であった小野は、過去の回想の中で、何度かひとと袂を別ち、訣別するシーンがある。最初の訣別は、父親との訣別であった。家業を継がせようと客間に呼び出された小野少年は、自らが画家になることを密かに志しているが、ある日、父親に描いた画をすべて持ってくるように言われ、退室した後にその画を燃やされる。だが、それが却って、少年の心に火を付け、父親がやっていた小銭の勘定をするような人間に誇りを感じないと言って、画家の世界へ飛び出していく。

二つ目の訣別は、同僚であるカメさんとの訣別である。小野が武田工房で働いていたときに出会ったカメさんは、画を描くのが文字通り遅く、工房の仲間から揶揄されるような存在だった。小野は工房時代には、カメさんを庇い、他の画家よりも真摯に芸術に取り組む姿勢があると言って、新しい浮世絵師のもとに就くときに彼を誘って、ともに弟子入りする。

純朴、ひたむきをそのまま描いたようなカメさんであるが、のちに戦争の足音が間近に聞こえてくる中、果たして戦前に就いた浮世絵師のもとで、一見享楽的とも取られる美を描こうとすることが正しいのかと、自らに問うた小野は、師匠の絵とは全く傾向の違う画を描き始める。それを師に対する反逆であり、僕ら弟子に対する裏切り行為だ、と捉えたカメさんは、小野と袂を分かつ。

最後に、この時代の新しい傾向が必要だと言い張る松田と共謀する形で、師事していたモリさんとは全く違う画の道、戦争を称揚するようなプロパガンダとなる画を、この時代に適った新しい道だとして小野はそれを選び取る。

そして小野が信じて正しいと選び取った道そのものが、戦後には誤りであったとする価値観の転倒が起こり、小野はそれによって苦悩する。自分が父親の世代に対して感じていた反逆を、今度は子や娘婿、孫の世代から受けるのではないだろうかと、思い込んでいる。そして戦後の時代には、過去の時代の考えが誤りであったとして、自殺を遂げる人物の知らせが、折々に舞い込む。

この画家、小野益次という人物は、父に背き、友に背き、師に背いてまで、自らの道を信じて選び取ろうとした。そして信じて突き進んだ道も、時代の流れによって否定されることになった。それも小野益次が画家としての非凡な精神と才能の持ち主であったことによって。

もしこれが、僧侶の下した予言通り『生まれつき性格に弱いところがある』小野少年であったならば、父の家業を大人しく継いでいたかもしれない。カメさんのように才能について非凡な者に及ぶことがなく、師に盲従し続けることをよしとしていたならば、武田工房の中だけで、あるいは浮世絵師の一番弟子であり続けるだけで終わったかもしれない。最後に師を越えようとして、浮世絵を描き、享楽の美を描くことを撥ね付け、自らの道を自分の手で選び取ろうとする強さがなかったとしたら、彼は気鋭の画家として世に知られることもなかったかもしれない。そこに非情な浮世の皮肉を感じます。

浮世の画家というタイトルは、浮世絵のことを表しているものではありますが、ほんとうにこのタイトルに込められている意味は、浮世に翻弄された画家、浮かぶも沈むも時代次第、そんな世界の中でひとは信じた道を選び取って生きていこうとするものだと、たとえそれが間違ったものであるか、正しいものであるか、その瞬間には分からなくとも、それでも生きていくことを選び続けるしたたかさのようなものを、そういう時代を生き抜く強さのようなものを、僕はこの本から感じました。

もし小野益次が、戦争とは異なる別の時代に生まれていたとしても、彼はおそらく同じように自らの道を選び取ったに違いないと僕は思っています。

kazuma

近況報告:Twitterはナーバスになり過ぎるので、わざと少し離れたままでいます。ブログをホームの拠点にした方が良さそうですね。何気なく他人が放った言葉を眼にして、責められているように感じたり、傷付くこともあります。傷つくとしたら生身で向かい合ってがいいですね。その方がまだ救いがあります。言葉には終わりがないので。

小説の執筆は半分くらいまで来ました。誰にも言ってないけど水面下で進行中です。夜の帳の中で書いています。いつだって見返してやれるぞって、心の中で叫んでいるんですかね。僕にも小野の血が少しでも流れていたらいいなって思います。十月の群像に出すつもりですが、早く書き上がれば、九月の文學界の方に出すだけ出してみるかもしれません。ただ鉄砲の弾をこめて撃つだけですが。当たるも八卦、当たらぬも八卦。