ブックレビュー
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市川沙央『ハンチバック』を読む。

kazuma(管理人)
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2023年上半期(第169回)芥川賞候補作、市川沙央『ハンチバック』をブックレビュー

2023年上半期(第169回)芥川賞の候補作が発表された。市川沙央さんの書いた小説『ハンチバック』は僕が気になった小説の一つだ。

著者の市川沙央さんは筋疾患先天性ミオパチーという障害を持ちながらこの作品を執筆された。僕は障がいを持つひとの文学に興味があって、この本を手に取った。

障がいの当事者から見た世界が、健常者の世界を食い破る

冒頭で面喰らわなかったか、と訊かれて、いいえと答えるのは嘘になる。

もし『head』や『/』といった──インターネット世代には馴染みのある──記号がなかったとしたら、僕はそこで読むのを止めてしまったかもしれない。

かなり露悪的な性描写からはじまるこの小説の冒頭は、先天性ミオパチーの障害を持つ主人公、井沢釈華(しゃか)の日常の一部を切り取ったシーンであることが分かる。

この物語は、障がいの当事者である伊沢釈華の視点で書かれている。

極度に湾曲したS字の背骨、気道の痰を抜くための人工呼吸器、ベッドは左からしか降りられず、右を向くことができないため、左前方にしか置かれないテレビ。パルスオキシメーター。

どれも健常者の日常にはないものばかりだ。

彼女の世界は両親の遺したグループホームの十畳の自室、iPad miniの画面の向こう側にあるインターネット、同じグループホームで障害を持っている入居者と、当事者に介助を行うヘルパーとの人間関係に限られている。

だからといって釈華の世界が閉じているかといえば、そうではない。障がいなど他人事、と思って油断して眺めていれば、あっという間に彼女の言葉を喉元に突きつけられるだろう。

物語の登場人物っていうのは、基本的には物語の内側に留まっているものだけれど、ときどきそういう物理的な境界を曖昧にして、読者の側の現実へと突き破ってくるものがある。

『ハンチバック』の構造には、健常者と障がい者の対立があって、普段の現実生活では健常者は障がい者の世界を食い破っている(存在しないものとして扱ったり、遠ざけたり、見ないようにしている)ことがあるのに対し、この小説では、障がいを持つ人の視点が、一般的な読者である健常者の世界を食い破って現れているのだ。

釈華の言葉の矛先は、どこに向かう?──読者をも巻き込んでいく釈華の叫び

もし釈華の言葉の矛先が、単に物語内に存在する登場人物だけに向けられていたとしたら、これはフィクションのなかの争いごとに過ぎず、世の中のニュース番組の特集みたいに、スクリーン一枚を隔てた向こう側にあるものとして観ることもできただろう。

この小説の面白いところは、釈華と健常者のせめぎ合いが単に本の中に留まっているのではなくて、こうして書店で本を買い、単行本を開いて読んでいる現実の読者そのものを巻き込んで、釈華と読み手の世界が対峙してしまうところにある。

この小説を障がい者による健常者への反動、カウンター小説と読むこともできるけれど、そもそもこれまで障がい者の側からこれほど鮮やかなカウンターが現代小説として成立したことはほとんど例がなかった。

大多数の健常者でできあがった世界というのは、少数者である障がい者を排除した上で成り立っているのではないかと考える障がいの当事者はこれまでにもいたはずで、でも当事者からの声は届かずに黙殺されてきたのが世の常だ。

反動があってしかるべきところに、それがない、かのように扱われてきた当事者の声が、小説作品として表れた。

もちろん釈華が同じように障がいを持つすべてのひとの声を代弁しているわけではなくて、釈華は釈華の言葉で、彼女の叫びを伝えているまでだ。

単に障がい者と健常者の対立構造を描いたというのではなく(それだけなら論文の方が形式としては適切かもしれない)、釈華から見えている世界を正確に記述するために、障がいそのものをあえて描いた、あるいは描かざるをえなかったということだと思う。

そうすることによって、重度障がい者のひとりである釈華としてではなく、健常者と同じ土俵に上ろうとする、生身の人間としての釈華の姿がより浮かび上がってきたのではないか。

共感よりも、生きるための叫びを文学に求める人に

この小説には共感というよりも、圧倒という言葉がふさわしい。

同じように障がいを抱えて暮らしているひとには、それぞれの声があって、それは小説作品のように表立って誰もが読めるような形になっているわけではない。

形にならないものの声は、声を持たないものとして扱われることがほとんどだ。

僕自身、釈華や著者の方とは異なる障がいを抱えながら暮らしているが、釈華の言葉に対して抱いたのは、共感なんてものをまるで寄せ付けない、生きるために押し潰されていくような痛切な言葉の凄みだった。

読んでいて気分が良くなるような文章ではない。でも、確かにこの文章を読んだあとでは、読み手の世界に切れ込みが入る。いつまでも本のなかで、安住してはいられない。それは釈華の言葉が開けていったものだ。

2023/07/05

kazuma

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