小説を書くときに知っておきたい約物の話
学校では教わらない小説の書き方
初めて小説を書くときに「小説の書く上でのルールはないの?」と考えたことはないだろうか?
小説には「言葉を使って文章を作る」ということ以外に、制約はほとんどない。書きたければ何を書いてもいい。
制約は「ほとんど」ないと書いたのは、最低限の決まりごとというか、表記や体裁に関するルールだけがある、というのが実情だと思う。
たとえば、「」(カギ括弧)は、かならずセットで使うのは、誰しも学校の国語教育で習ったことがあるだろう。
では、『』(二重カギ括弧)の使い方についてはどうだろうか? あるいは、「!」のような感嘆符の後に空白を一マス開けることは?
一般の国語教育は、物語や文章の「意味を汲み取る」ことに関してはわりと丁寧にやるけれど、作り手の側の目線に立って創作することは教えられない。
つまり、大抵の人が小説を書く上での最低限の決まり事や慣習について学ばないまま大人になるわけで、これから小説の文章を書くときにつまずいてしまうのは、はっきり言うと「当たり前」のことだ。
僕自身も、十九か二十の頃から創作をはじめて、小説を書く上での表記ルールさえよく知らずにつまずいていた。
ある程度、最低限の表記の仕方が分かったのは、二十四、五くらいの頃で、それまではずっと手探りでやっていた記憶がある。
2010年代のネットにも、ある程度の小説の表記ルールをしてくれているサイトもあったりしたのだけど、約物のルールや使い方に関して、情報がとっちらかっていて、綺麗にまとまったサイトは見つけられなかった。
なので今回は、小説を書くときの約物の表記ルールについてまとめてみた。
僕が書きはじめた頃につまずいた「約物」や「小説の表記」を取り上げようと思う。
「約物」とは何か?
約物、と言われても正直あまりピンと来ない、という方に簡単に説明すると、文章を書くときに使う記号のこと(文字と数字を除く)です。
具体的には、会話文で使うカギ括弧(「」)や、読点(、)、句読点(。)、感嘆符(!)、疑問符(?)などがあります。
とりあえず小説の文に出てくる文字と数字以外の記号は、「約物」と考えて貰って構いません。文章を読み上げるときに発声することのない記号が約物です。
約物の「約」には「まとめる」という意味合いがあり、文を区切って意味を取りやすくしたり、あるいは間を取って文章の流れを整えたり、補足を行う目的で使われます。
約物には欧文用(英語など)に使われるものと、日本語(和文)の記述用途で使われるものがあり、基本的には和文の表記ルールを覚えていればOKです(作品内に英文を組み込んだりしないかぎり)。
では、ここからはつまずきがちな「約物」の表記ルールについて見ていきましょう。
小説を書くときに知っておきたい「約物」の使い方
カギ括弧の使い方
カギ括弧が小説の文章中で使われるのは、主に「会話文」です。
会話文としてカギ括弧を使うときの表記ルールで気を付けておきたいのは、
①改行後の一字下げを行わない
②会話文の入れ子は二重カギ括弧(『』)を使う
②台詞の終わりは句読点は不要
この三つです。
①会話文は改行後の一字下げを行わない
小説で登場人物の台詞を挟む場合は、カギ括弧を使用し、「改行後に一字下げを行わない」という慣習があります。
どういうことかというと、通常の地の文では改行後の文頭を「一マス」空けます。
しかし、会話文の場合は、この「一マス」を空ける必要がなく、文頭からカギ括弧ではじめます。
会話文ではなく、強調としてカギ括弧を使っている場合、地の文とみなして「一字下げ」を行います。
②会話文の入れ子は二重カギ括弧(『』)を使う
小説には会話文が出てきますが、会話文のなかに会話文を入れる「入れ子」構造になることがあります。
通常の会話文はカギ括弧でくくることになりますが、会話文のなかにさらに会話文を入れる場合は、二重カギ括弧(『』)を使います。
カギ括弧は基本的には外側が通常の(「」)を使用し、そのなかに(『』)二重カギ括弧を入れます。逆になる場合は基本的にないので注意しましょう。
他に二重カギ括弧を地の文で使う場合は、作品名を示すときに使うことがあります。
③台詞の終わりに句読点は不要
小説を読み慣れていると、会話文の終わりに句読点は来ないということが分かります。
現代より少し前の古い本(古本屋で買うような本で、昭和頃の本)では、会話文の終わりに句読点を使っていることがありますが、現代で出版されている文芸書では、会話の終わりには句読点は入れない慣習になっています。
会話文を終わるときは、カギ括弧の中だけでなく、外側も句読点は不要ですので、(」)括弧閉じで文章を終わらせましょう。
感嘆符と疑問符のあとは一マス空ける
感嘆符は、「!」(エクスクラメーションマーク)と言って、驚きを表すときに使います。
もちろん、LINEやメールで日頃から使っているので、当たり前だと思うかも知れません。
ですが、感嘆符の後に一マス空ける、という慣習はご存じでしょうか?
小説を書くときには、基本的には「!」「?」の符号を使ったあとは一マス空けるという慣習になっています。
一マス空けていないからといって、作品上でかならずしも減点になるわけではありませんが、通常の表記作法として知っておくとよいでしょう。
ちなみに、書籍化されている新人賞の受賞作品のなかで、「!」のあとに1マスが空いていない作品があって、それが井戸川射子さんの「ここはとても速い川」でした。
井戸川さんは国語教師でもあるので、おそらく作品を書く前から1マス空けることは知っていたのではないかなと僕は思っています。
作品を読むと、主人公の小学生の「意識の流れ」が描かれていて、「途切れのない思考」を表現するために、あえて地の文の「!」のあとに空白を空けない手法を取ったのかなと思いました。
ちなみに漫画の表現として「!」と「?」を合わせて使う「!?」という表現がありますが、基本的には純文学の表現ではあまり見受けられません。コミックの表現に近いライト文芸(ライトノベル)では、縦中横の設定を使って、一マスで「!?」を使う例もあります。
ただし「使ってはいけない」ということではないので、何か作品に意図があって、その表現がどうしても必要になるときは、慣習やルールも破っていいのです。
二倍ダッシュ(「――」)の使い方
小説を書くときによく悩まれるのが、二倍ダッシュ(「――」)の使い方だと思います。
というのも、学校教育では基本的にこの使用法について学ぶ機会がなく、小説で見かけることはあるが、実際に使うとなると塩梅が分からないこともしばしばです。
小説で間を取ったり、文章の途中で補足を行うのが「二倍ダッシュ(二倍ダーシとも言います)」の主な役割です。
このダッシュ「―」は単体で使うことは少なく、かならず二倍(ふたつ合わせてつなげる)というしきたりになっているので、覚えておきましょう。
「―(ダッシュ)」に似たものとして「ハイフン(‐)」がありますが、これを二倍にしても「――(二倍ダッシュ)」の代わりにはなりませんので、注意しましょう。
小説の本をよく読むと「――(ダッシュ)」の棒線が繋がっていることが分かります。
ダッシュを二倍にしても、基本的に棒線が途切れることはありませんが、編集するテキストエディタのフォントによってはこの「ダッシュ」が途切れて見えることがあります。
「――」が途切れているからといって、作品の減点とはなりませんが、個人で同人誌を出版したり、ZINE・リトルプレスなどで作品を個人出版する際は、ちゃんと「――」が途切れずに印刷されているか、チェックするとよいでしょう。
二倍ダッシュ(――)の使い方の例
二倍ダッシュの使い方としては、文章を補足するために使う方法があります。
ex. 私はカフェの座席に座っていた――待ち合わせでクライアントが来るはずだった。しかし、現れたのは見知らぬ男だった。
この文章だと、カフェの座席に座っていた「私」だけでは情報が足りないので、なぜ「私」がカフェの座席に座っているかを「補足」することになります。
使うタイミングとしては、文章の流れが単調になりすぎるときに使ったり、補足する情報をたたみかけるように使って語りに勢いを生む、という使い方があります。
また刊行されている小説のなかでは、会話文として使う方法もあります。
会話文として「――」の記号を使用する場合は、カギ括弧と同様に字下げをする必要はありません。改行したあとも一字下げをせずに表記しましょう。
「……」(三点リーダー)の使い方
沈黙を表す「……」(三点リーダー×2)は、小説を読む人にとっては、よくなじみのある表現と言えるでしょう。
ただ人生で一度も小説を書いたことがない、という人の場合、三点リーダー「…」は重ねて使う(「…」を二つ使って「……」にするのが慣習)ということを知らないケースが多いです。
初対面の人が小説を書いたことがあるか、ないかを見分ける一番の方法は、その人が三点リーダーをどう扱っているかで、わりとはっきり分かります。
三点リーダーを単体(…)で使っている方は、おそらく小説を作った経験がなく、逆に三点リーダーをわざわざ「……」と正しい表記をしている場合は、小説の話がある程度通じる可能性があります。
小説の表記に慣れていると、三点リーダーを単体で使うことはかなり違和感を覚えるものなので、日頃の文章でも統一した方が僕はいいかなと思います。
(あくまで個人の判断なので、ルールを知っていた上で、小説を書いていることを知られないために故意に三点リーダーを単体にする、ややこしいケースもあるかなと思いますね。)
読点の「、」使い方
文章を書く基本として読点(、)と句読点(。)を使いこなすことが、散文の表現においては大事であったりします。
詩や短歌とは違い、一文の流れをひとかたまりとして見るところがあり、読点は単に読みやすくするだけではなく、その人の文体のリズムを作っています。
散文には定型がないので、どこで文章が区切られているかを示す補助の役割として「読点」や「句読点」が存在しています。
読点の使い方について、ひと世代前(Z世代以前)では、わりと違和感なく使える方が多いと思うのですが、何となくの肌感覚としてインターネットが生まれたときからあった世代は、読点を苦手に感じやすいところがあるかな、と思ったりします。
SNSが台頭して10年以上が経ちますが、日常表現として「読点」や「句読点」を使う機会そのものが減っているのでは? と僕は考えています。
2000年代にはまずブログサービスが台頭し、ネットの表現として行頭の「一字下げ」が消えました(タブレットやスマートフォンの狭い画面では、その方が基本的に読みやすいので)。
次に2010年代にTwitterが誕生し、140字の短文で発信する習慣ができました。ツイートやポストの際も、なるべく文字情報は簡潔に、分かりやすいものが求められ、140字の上限があることから読点や句読点が省かれがちになります。
さらに絵文字やスタンプが多用され、LINEのようなメッセージで「句読点」を使うことに対して、あまりいい印象を持たない、丁寧というよりも圧を感じる、という世代も生まれました。
もともと日本では簡潔に表現することが美徳とされているので、どちらかというとSNSでは画像によるインパクトが大きくなり、Instagramが台頭するといったこともここ五年くらいで起きたことです。
日常生活のなかで長文を目にする機会が減ってしまっていて、高校の国語教育も物語を偏重するのではなく、将来のビジネス用途で使うと見られる実用文の「論理国語」に割り当てができています。
さらに街中からは十年、二十年前とは比べものにならないほど、書店の数が減少しました。
僕も知らない駅で降りたら書店が一軒もない、という経験が増えてきたので、地域によってはそもそも小説の表現に接するチャンスが街中にない状態と言えます。
すると、長文を前提とする小説の創作において「読点を置く位置も文章表現のひとつ」という視点は、段々と抜け落ちていく気がします。学校でも詳しく教わらないし、街中で学ぶ機会もない。
読点がまったくない文章は、息継ぎのない水泳に似ているかもしれません。たった5メートルであれば、息継ぎがなくても溺れることはないでしょう。でも10メートル、25メートル、50メートルと距離が伸びていったとき、苦しくなることは明らかです。
何か物語上に切実な理由があって、読点のない文章を書きたいのだ、というのでもないかぎり、読点や句読点をむやみに排除すべきではないと思います。
また日本語の文章を横書きで書くときに、欧文用の「カンマ(,)」と「ピリオド(.)」を使用する方もいますが、小説は和文で縦書きが基本なので、不用意に欧文のカンマ、ピリオドを使うことはおすすめしません。
中黒(ナカグロ)「・」の使い方
文章を区切って並列する際には「・(ナカグロ)」という記号を使います。
変換で打つときは「点」と打っても出てきますが、注意しておきたい点は、小説等の文章で使う場合は「全角」で入力するようにしましょう。
確実に全角の中黒を打ちたい場合は、「点」からの変換ではなく、「なかぐろ」と平仮名で打って変換すると、変換の順位で上位に来ます。
ナカグロを半角で打ってしまうと、他の文章が全角の文章であるにも関わらず、やや浮き上がって見えるので、とくに電子出版や個人出版を行う際には注意した方がよいでしょう。
また、よくある間違いとしては、沈黙を表す三点リーダー「……」を使う代わりに、中黒を三つ並べて使ってしまう、というものです。
こちらも初歩的な表記ミスになるため、避けるようにしましょう。
約物を知って創作のスタートラインに立とう!
今回は「小説を書くときに知っておきたい約物の話」についてご紹介しました。
約物についての基本ルールを知っておくと、公募などに応募する際や、個人で出版物を作成する場合にも役に立ちます。
また、ご紹介した「約物」のルールはあくまでも慣習やしきたりといったものなので、作品上において必要な場合は、これを破って作品制作をしてもかまいません。
それでは、約物の慣習を覚えた後は、思い切り創作を楽しんでみてください。
2024/11/24
kazuma