読むこと

 現にそうであるところのものへ帰るということ、最近考えていたこと。

十年振りに再読した。学生の頃は理解が及ばなかった。そういう本がある。

 こんばんは、kazumaです。今日の話題は近況報告と最近読んだ本について。少し過去の話と絡めたものになると思う。
 ここ一ヶ月間、生活のことで悩むことが沢山あった。いま僕は訳あってアパート暮らしをやめて実家で生活している。家族との折り合いや祖母の要介護状態、僕自身の精神面での病状や、金銭的な問題をすべて加味した上で、ひとり暮らしをできるほどの余裕が僕にはなかった。
 去年にアパートを引き払って、またもや僕はこの部屋に戻ってきた。十年前には二度とこの敷居を跨ぐまいと思って上京していった人間が、である。僕が当時、東京から持ち帰ってきたものは、ぼろぼろに引き裂かれた精神と安い値札のついた大量の文庫本だけである。そこから立て直すまでに八年掛かった。未だに傷が癒えたとは言えない。
 ほとんどトラウマのような体験を通じて、分かったことはたとえ何年経とうが僕はもたざるものであるし、傷は塞がらず、空洞はやはり開いたままなのである。僕はその空虚な穴に向かって何かを埋めてやろうと、それが原稿用紙の升目か何かのように、出会ったひとのことばや、あるいは自らで書き出すことによってそれを埋めようとした。誰かの手に触れることもあったかもしれない。しかし、どうしたとて、埋まらないものは埋まらないのだ。その穴はすべてを吸い込み続けるルサンチマンの塊そのものだった。僕は途方に暮れていた。どうすればいいか、ずっとわからなかった。
 
 最近読んだ本はニーチェについて論じた永井均さんの『これがニーチェだ』という本だった。ニーチェについては学生時代から興味を持っていた。科の違う哲学科の講義に潜り込んでわざわざ聴講しに行き、図書館に帰ってはニーチェと名のつく関連本に目を通していた。さいわい、学内の数少ない友人のひとりに哲学に明るい人間がいたので、僕は月に一度か二度、彼と一緒にひとの少ないテラス席の外れで遅い昼食を取り、僕のとんちんかんな解釈を聴いてもらっては、簡単な手ほどきをしてもらっていた。とはいえ、僕はまったくの門外漢であるし、アカデミックな場における正確性が求められるような哲学については無知のど素人である。
 当時のニーチェに対する理解も、教科書的な範疇を超えるものではなかったし、それもかなり偏った解釈をしていたと思う。友人は既にニーチェの語る実存主義的な解釈についての矛盾を、知識の上でもひとに語る上でも自分のものとしていたが、僕はただ目が眩むように、ただただニーチェの過去すべての価値観を転倒させようとするニヒリズムからの超人思想に惹かれ、そこに留まって離れようとしなかった。
 思えば、八年前からの僕の精神的な凋落はその時点からはじまっていたのかもしれない。純粋であろうとするがゆえに、誠実になろうとする態度ゆえに、かえって歪んでいく人間がいる。
 ほんとうに純粋なものは純粋で「あろう」としない。ほんとうに誠実なものは、誠実で「あろう」としない。既にそのひとは、そのひとであるところのもの以上でも以下でもなく、単にほかに存在しようのない仕方で存在しているだけである。「力への意志」そのものへの懐疑、とくに「への」という点に着目し、それを鮮やかに解体して見せるこの本は、まるでナイフの捌き方を教える熟練した修練者を思わせる、その鮮やかなことばの扱いに、僕はえもいわれずにいた。
 
 学生の頃に話を戻すと、僕はかなり特殊な状況からニーチェの実存主義哲学への接近を試みたと思う。それは哲学をやる人間がおよそ絶対にやってはいけない悪手、明らかにどう見ても不純な動機から、僕はニーチェの関連本に手を付け、ほとんど病的なくらいにそこから離れようとしなかった。そこには既に僕の学生時代、それ以前から遡るルサンチマンの兆候が看て取れるはずである。
 僕はあまり一般化することの難しい(そんなことを言い出したら誰の人生だって唯一無二の個別ケースであるが、ここではおそらく社会の大多数があまり経験することのない、と述べるに留めておく)生育環境にあり、僕がこの「僕」で「あろう」とするためには、どうしても周囲の価値観を、ほとんど脊髄反射のレベルにまで、否定できるところにまで到達しておく必要があった。
 そうでなければ、おそらく僕は、いまの僕以上に、自己欺瞞にまみれ、その欺瞞のために運が悪ければ窒息していたかもしれない。僕の周囲の環境は、ほとんどニーチェのルサンチマン的なものに追い込むような状況がずっとあった。「それ」に呑まれてしまったら、僕は僕という人格を保っていられなくなる、その瀬戸際に立っていた。ニーチェの哲学に飛びついたのは当然の帰結だったのかもしれない。実際、いまでも僕は損なわれたままだ。二十歳で病棟に入るまでの人生を、その後も含めてほとんど棒に振ったといってよい。
 僕はおそらく「神は死んだ」ときちんと言ってくれるひとを必要としていた。既存のほぼすべての価値観を白紙撤回してくれる、そういう哲学者のことばを必要としていた(もちろんそんなものはなかった)。一般のひとなら決して入り込むことのない、特殊な袋小路に生まれついた人間には、どうしても実存主義は一度通過しておく必要があったのだ。
 この本の中で、ニーチェの思想は「『打ち棄てられるべき』螺旋階段だ」という記述があった。この思想は、既にその枠外で生活している人間にとっては最初から必要のないものであるが、ある特定の圏内にいるものにとってそれは、その枠を最初から知らずに生活しているひとびとの広場へと抜け出るための非常階段なのだ。そしてニーチェ的空間から抜け出ることができたなら、この螺旋階段は打ち捨てられるべきものだと著者は述べている。
 ニーチェはキリスト教道徳の背後に回って神を刺したが、刺すのに使ったその同じナイフで自らが刺されることになるとは思いもよらなかっただろう。ニーチェの哲学にはいくつかの致命的な矛盾が含まれている。

 ニーチェが知らないことは、その背後にまわってそれについて何かを語ろうとすれば、そのことが知らぬ間に自分の首を絞めてしまうようなことがらが存在する、という事実なのである。背後に回ったつもりがまたその内部であらざるをえないという意味で、もはやその背後にはまわれないものがある。背後にまわってその成り立ちを調べることがもはやできない最終地点があるのだ。それを超越論的な場と呼ぶなら、言語を携えたまま、その内外に自由に出入りができると思うのは哲学的に幼稚である。(中略)


 どんなことでもその背後にまわって、その成り立ちについてさらに探究することが可能だと思いこむこの鈍感さに、私はある種の哲学的センスの決定的欠如を感じる。そして、それこそが形而上学の真の源泉なのである。


 ウィトゲンシュタインなら単に無化するところで、ニーチェはあえて転倒しようとする。ただそうであることに、なおも根拠と原因を求め続け、力への意志という形而上学的仮構が設定される。

永井均著「これがニーチェだ」第四章 第二空間 力への意志とパースペクティヴ主義 p133-134より引用。

 別に僕にとって「神」は何でもよかった。そういうよく分からないものと関わり合いにならなくて済むなら僕は何でもよかったのである。それらに染まらずにまったくの白紙のところからものを考えさせてくれるような場が、僕には必要だった。だがキリスト教道徳をルサンチマンから産まれたものだと否定したニーチェそのひともまた、より大きなルサンチマンの中に組み込まれている構図があった。
 そう言うだけで留まっていたのならまだしも、超人思想や力への意志を持ち出してきてまで自らの強者の道徳を更に一段上のところに位置付けようとしていたことが、ニーチェの誤りであったようである。
 思想Aとそれに対立する反思想Bを持ち出してきて、反思想Bの方が優れていると称揚しても、結局その対立空間から出たことにはならず、事態は平行線のままだ。かつて僕に哲学の手ほどきをしてくれた友人も似たようなことを言っていた。何かひとつの思想があって、その思想に単に反対している限り、その反対する元となった思想に依存していることになる。何かに向かって「反対」する、あるいはどちらかが優勢であるとひとつの価値観の「転倒」を図っても、その「反対」すること、「転倒」することは、結局のところその元となる思想がなければできないことだ。その意味合いにおいてニーチェのようなやり方では、必ず失敗する、その哲学の中には矛盾がある、ということを友人は語っていた。
 ある意味それは僕に向かっての警告だったのかもしれない、ただ当時の混乱した状況の中にある僕にとってはそれがつかめない。白紙に戻したあとはそれ以上のことはもとめてはならないところに、僕はそれ以上を求めた。だから周囲が「間違っている」、というところまで言おうとした。打ち捨てられるべき螺旋階段を抜け切らないままに、階段の途中で必死にしがみついていた。自己矛盾とそのうわべだけを啜った疑似ニーチェ哲学による軽薄な肯定の中で、僕は次第にあらゆるものへの憎悪をさらに深めていった。ニーチェ思想そのものが偽装されたより大きなルサンチマンであることにはまったく気が付かずに。僕はどうやら規模は違えど、明らかにニーチェと同じ類の哲学的鈍感さを備えていたようだった。ものごとにはすべて原因があって、すべての立てられた問いには必ず正答があると信じるような。ないのだ。そんなものは。分からない、が答えだったのだ。それが単にそういう風に成り立っている、としか言えないものに向かって、なぜと問うてはならなかったのだ。僕はなぜ、と問うことは教えられたが、なぜと問うてはならないものが存在していることを教えられはしなかった。それ以上、言葉によっては踏み込めない領域があると知らなかった。言葉があればどんな場所にでも土足で上がり込むことができると信じていたみたいに。僕は僕が現にそうであるところのものへ帰らなくてはならなかった。ニーチェの哲学は本来そのためにあったのだ。

 *

 昔、小説の中であるシーンを書いたことがある。僕が最後に発表したkindle書籍を読んでくれたひとなら分かると思うが、二つの扉の前で主人公がどちらに行くべきかと迷うシーンがある。
 差出人の真偽の分からない葉書を受け取り、とあるホテルの特別階へと呼び出された主人公の前には二つの部屋があって、差出人が指定しているのはA220号室であるのに、なぜかその隣の部屋のドアB228を開けてしまう、するとそこに本来いるはずのない旧友らしき人物がドアの向こうに立っていて、彼女は主人公を招き入れるのである。
 そして物語の中盤に差し掛かった頃、主人公と旧友である彼女が会話する。二つの部屋があって、先にひとりの人物がどちらかの部屋に入って待っている。その後から入ってきた人物が同じ部屋を選ぶ確率は、と尋ねると二分の一と答え、片方の部屋のみを指定した場合は、四分の一と答える。そのあと主人公は二人の人間が同じ時期に同じ空間でこうして会話をはじめる確率は、ポーカーのロイヤルストレートフラッシュを一回で引く確率、六十四万九千七百四十分の一よりも更に低いはずのものだったという話をする。かつての旧友であり、招待者である彼女はすべての会話を聞き終えたあとで、それでも人生は一分の一よ、と答える。
 ある意味でこのシーンは、人生の選択のやり直しを描いたシーンだった。主人公が扉の前で迷うのは、いったいどちらに行けば正しかったのだろうかと逡巡する現実の場面を想定している。主人公は結局、二度選択することになる。つまりそれぞれの扉を選んだ場合のパターンがのちに示されるのだが、どちらにせよ主人公は彼女を失ってしまうのだ。
 だから当時、僕はその主人公がどちらの扉を選ぶにせよ、主人公が納得した自分の意志で「選択」することがすべてだと、意図して書いていた。だが人間に自由意志などあるのだろうか? よしんばあったとしてもそれは「選ぶ」ことができるものなのだろうか。そういう問いが書いたあと何年も経ったあとで、自分に跳ね返ってくるのである。
 いま改めて思うと、人間の選択性それ自体に大それた意味などないのではないか、もっと言えば、どちらを選ぼうともやはり最終結果が同じという場合があるのではないか、というか、人間の人生に無限の分岐があるとしても、どの分岐を辿ってみてもその人間は結局のところ、現にそうであるところのもの、それ以外にはなれないのではないか。だとしたら、個々の見かけ上の選択の間違いなど、はっきり言えばどうでもよいことで、こうなるより他に道はなかった、然り、と本人が思えているのなら(いや、本人が思えていようがいなかろうが、そうとしかならないのだが)究極的にはもうそれでいいのではないか。そういう思いが込み上げてくるのである。
 なぜこんな話をしているかというと、ニーチェの後期思想の中には永劫回帰というものがあり、これはこの一回限りの生が寸分違わず無限に繰り返されることを想定したもので、仮にそういう事態が起こることになったとしても、あなたは人生を肯定することができるか、それとも否定に走るか、という問いをニーチェは投げかけているのだが、僕はこの思想を聞いたときに、そのループの中には入らない、僕にはなかったはずの人生を思い浮かべていた。僕が現にそうであるところのもの「以外の」人生を、あえて思い浮かべた。
 簡単に言えばこうだ、僕は希望の大学に入学し(僕が行ったところは希望したところではない)、東京には上京「せず」(僕はとくに上京したかったわけではない)、病に伏すことなく無事大学を卒業し(単位が取り切れるか怪しいものだ、僕は一度教授のゼミに入る試験で落とされたことがある)、堅い勤めを得(おそらくそうはならない)、パートナーを見つけて一般的な家庭を築く(これはもっとない)、そういう風に仮に事が万事体よく運べたとして、そういうあり得ない人生があったとしても、やっぱり人生から問われているものは同じで、その幸福に見える並行世界の誰かも、単にそうなるより他に仕方がなかったからそうなった、「然り」と言わざるを得ないんじゃないかと。
 だから個人にとって大切なのは、見かけ上の結果から見た過去の選択の成否ではなくて、他に存在した可能性のある並行世界の自分を羨むことではなくて、未来や過去にいちいち解釈を加えてその意味づけを無理矢理改変してしまうことでもなくて、ただ単に他に存在しようのないやり方で、この人生に向かって「然り」というだけでよかったのではないか。
 この「然り」は、たぶんプラスという意味の肯定でもなく、諦めから生まれるマイナスの否定から生まれるものでもなく、もちろん否定の否定という意味でもなく、もう「いまここ」を離れては存在しようがない、これ以外には選びようがなく現に自分が選んでしまったこの世界を、そういうものなのだと認めることなのではないかと思っている。そこまで考えて僕ははじめて少し気が楽になった気がした。どんな選択肢を選んだとしても、どんな結末が訪れようとも、どんな人生を送ろうとも、究極的にはすべて同じ、それで「よい」し、そうでしかありえないのだから。人生は無限に分岐するように見えるが、詰まるところどの人生も最後にはちゃんと約分されて一分の一になるのだーー彼女が言ったように。偶然と必然が一致する場所で。そこには幸と不幸とがあるかもしれないが、一般的な意味においての善と悪はないのだ。この世界にいる僕と、可能性としての並行世界の中にいる僕の人生のどちらが優れているかということは、誰にもできない。この道を選んだ僕は僕で、選ばなかった方の彼は彼で、やっていくしかないのだから。あるいはまったく別の誰かの人生であったとしても。そう思えたときに、はじめていまここにあるのではない、他のすべての人生を羨むことを止められる気がするから。
 
 うまくまとまってはいないし、僕はこの本のことばをきちんと汲み取れた訳ではない。ただ何となくニュアンスをほんのわずかにつまんだだけである。後半は感想ではなく、著者が述べたこととはあまり関わりのない僕の妄想なので、またkazumaが訳のわからんことを言っているなと適当に聞き流しておいてもらえればありがたい。ただ僕は言葉の形にして納得したかっただけである。ルサンチマンの根をひとつでも取り除いて引き抜きたかった。
 
 最後に文芸関係の近況報告を。いまも僕は短編制作期間中です。noteに発表する予定の未公開短編の第二作を作っているところ。大方、四分の三までは出来上がっているがもう少し時間が掛かりそうだ。お披露目できるときを楽しみにしている。
 
 今日はこれで。また。
 
 kazuma
 
 2021/03/09 21:38
 
 

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