はじめに 小説の書き方を考える
こんにちは、kazumaです。小説の書き方を考える企画「書くことの研究」、第一回をいよいよはじめていこうと思います。
今回の企画をはじめた理由としては大まかに三つあって、
- 小説の書き方について自分なりの書き方を見つけたかったこと
- 書き方の参考になるサイトが見つからなかったのでつくろうと思ったこと
- もの書き同士で意見を交換できるプラットフォームをつくりたかったこと
です。
前回の記事(第零回)で、小説の書き方について考える企画の経緯を説明しておりますので、よければあわせてご覧ください。
と、大それたことを申し上げましたが、あまり肩ひじ張らずに、「小説ってなんのこっちゃわからん、どうやって書けばええねん(関西弁)」というところからスタートしますので、書きはじめたばかりのひとも、そうでないひとも、同じ目線で楽しみながら読んでいただけたらなと思います。僕も今日はじめて小説を書きはじめるひとと同じ気持ちで、並走しながら小説について考えていきますので、どうぞ、よしなに。
小説のいいタイトルって何?
小説の、いいタイトルって何でしょうね。よく街の本屋さん(べつに古本屋でもいいんですが。むしろ古本推奨派)に行くと、数多の本がずらりと並んでおります。棚の端から端までけっこうきちきちに詰まっていて、お目当ての本に辿り着くまで、それはそれは中々に大変です。
みなさんが街の本屋に行くときの理由ってたぶん二通りあると思うんです。ひとつはもう既に買いたい本のタイトルが決まっていて、それを目当てに買いに行くっていうとき。もうひとつは、ちょっと待ち合わせまで時間があるから、とか、近くで買い物したからなんとなく寄ってみただけ、とか、買いたい本がまったく決まっていないけどとりあえず本屋入りましたよっていうとき。
そういうときって、たぶん棚の間から本を探す目が違っていたりしませんか。タイトルを決め打ちして、それだけを買うときは、棚に並んでる他の本のタイトルってそこまで頭の中に入ってこないと思うんです。で、そこにお目当ての本があったらレジにそのままもってくし、なかったら別の本屋を何軒か回るか、ネット上の在庫を探すかすると思うんですよね。(※段々と重度になってくると、お目当ての本がなかったら代わりの本を買ってもよい、みたいなマイルールを設けている方もTwitter上でちらほら散見されます。本屋という魔界において、ときには潔い撤退戦も肝心です)
目に吸い付くようにやってくるタイトル
ここで問題になるのが後者です。さあ本屋に入りました、入り口の雑誌コーナーには食べるだけでやせるというショッキングな健康本、何某2.0とかいう本やらスヌーピーのおまけ付きムック本など、若干気にはなりますが後ろ髪を引かれる、というほどでもない棚(スヌーピーはちょっと戻った)を素通りして、あなたは小説の本が並ぶ文芸書コーナーに辿り着きました。
文芸書コーナーに行くと大抵は新潮社か講談社が手前の棚に来ていると思います。そのあとに文春やら角川やら岩波といった国内大手出版社が続いているのが一般的ですね。ちなみに僕が好きなのは新潮文庫と河出文庫とハヤカワ文庫の海外文学の棚で、その辺りでステップを踏んで永久に無限ループしています。出版社順でなく著者順に並んでいるところもあってその辺は書店のカラーですかね。頼むから海外文学だけの棚をつくってくれ。
そうやってお目当ての小説のタイトルを探しているときって、何だかよくわからないけどすっと目が引かれてしまうタイトルってありませんか。べつにその小説について何かを知っているわけでもない、あらすじも知らないし、もっと言えば誰が書いたのかも知らない。でも何でだかわからないけど、妙に気になって開いてみたくなる。背表紙(本のタイトルが書かれてある部分のこと)に手を掛けてそっと引き抜く。そのときに惹かれているのは、たぶんスヌーピーのおまけが付いているからとかそういう気になり方じゃなくって、もっと微妙な、読み手と本の間に働いている「引力」のようなものだと思うのです。小説のタイトルにおいて、いいタイトルっていうのは、みんなこういう「引力」を持っているものだと僕は思っています。
いいタイトルは「引力」を持っている
僕が思う「引力」を持ったタイトルをちょっと並べてみます。内容を知っているものから、知らないものまで、文章の好悪は抜きにして、タイトルをいいと思ったものです(コミックも含む)
<小説>
「ライ麦畑でつかまえて」J・D・サリンジャー
「わたしを離さないで」カズオ・イシグロ
「そのときは彼によろしく」市川拓司
「一九八四年」ジョージ・オーウェル
「地獄変」芥川龍之介
「ティファニーで朝食を」トルーマン・カポーティ
「荒野の狼」ヘルマン・ヘッセ
「天使よ故郷を見よ」トマス・ウルフ
「スローターハウス5」カート・ヴォネガット
「1Q84」村上春樹
「グレート・ギャツビーを追え」ジョン・グリシャム
「春にして君を離れ」アガサ・クリスティー
「狭き門」アンドレ・ジッド
「草枕」夏目漱石
「エドウィン・マルハウス」スティーヴン・ミルハウザー
「自転しながら公転する」山本文緒
「ハローサマー、グッドバイ」マイクル・コーニー
「世界のすべての七月」ティム・オブライエン
「月は無慈悲な夜の女王」ロバート・A・ハインライン
「時をかける少女」筒井康隆
「月と六ペンス」サマセット・モーム
「ロング・グッドバイ」レイモンド・チャンドラー
「怖るべき子どもたち」ジャン・コクトー
「羊と鋼の森」宮下奈都
「おやすみラフマニノフ」中山七里
「悪の華」シャルル・ボードレール
「移動祝祭日」アーネスト・ヘミングウェイ
「すべてがFになる」森博嗣
「私の消滅」中村文則
「万延元年のフットボール」大江健三郎
「死をポケットに入れて」チャールズ・ブコウスキー
「砂の本」ホルヘ・ルイス・ボルヘス
「予告された殺人の記録」ガルシア・マルケス
「すばらしい新世界」オルダス・ハクスリー
「歩道橋の魔術師」呉明益
「頼むから静かにしてくれ」レイモンド・カーヴァー
「君が電話をかけていた場所」三秋縋
「横道世之介」吉田修一
「ヴァリス」P・K・ディック
<コミックス>
「四月は君の嘘」新川直司
「木曜日は君と泣きたい」工藤マコト
「ものするひと」オカヤイヅミ
「ちはやふる」末次由紀
「ソラニン」浅野いにお
「僕だけがいない街」三部けい
「アンダーカレント」豊田徹也
挙げればまだまだキリがないので、この辺にしておきます。
どうでしょうか。僕個人の趣味は多分に入っておりますが、どこかでビビッとくるタイトルがひとつくらいあったのでは。(もしなかったというひとは、記事下のコメント欄にぜひおすすめのタイトルを書き残していってください。このタイトルを気に入っている理由、でもいいですよ。お待ちしております)
いいタイトルが読者を惹きつける「引力」のあるタイトルっていうのは何となくわかったけど、じゃあそのお前が言う「引力」のあるタイトルってどうやって付けんだよ、と思った方もいらっしゃるでしょう。僕もわかりません。わかりませんが、ちょっとここでさっき挙げたタイトルをいくつか詳しく見ていきましょう。
サリンジャーのタイトルの付け方は絶妙すぎるという話
J・D・サリンジャーは僕のいちばん好きな作家といっていいと思います。サリンジャーの作品ってタイトルがどれも秀逸なんですよね。ちょっととぼけているようで、付けられたあとにはこれ以外には考えられないっていうタイトルがかなりあります。有名どころでは「ライ麦畑でつかまえて」「バナナフィッシュにうってつけの日」、「笑い男」など。サリンジャーが使っているモチーフって魅力的なものが多くて、他の作品でもよく使われていたりします。「バナナフィッシュにうってつけの日」は吉田秋生の大ヒット漫画「BANANAFISH」のタイトルの元ネタになっていますし、アニメ「攻殻機動隊」でも「笑い男」の話がでてきたり、最近では新海誠の映画「天気の子」で主人公の男の子、帆高が船中に持ち込んだ小説が「ライ麦畑でつかまえて」でした。僕も手前味噌ながら、サリンジャーの「バナナフィッシュ」をもじって、「バナナフィッシュのいない夏」という短編を書いたりしてます。それくらい、はっきり印象に残るんですよね。
ちょっとずらしたタイトルの付け方では「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる」(中々こういうタイトルをつける勇気ってないですね)、未発表原稿の中には「ボウリングボールでいっぱいの海」があって、こんなタイトルを付けられた日には中身が気になりすぎて仕方ありません。お手上げです。
すばらしい小説とか、本当に丸ごと気に入ってしまうような小説ってタイトルまで愛してしまうようなところがありませんか。僕がまったく知らない小説を買うときに気にするポイントが三つあって、それはタイトルとあらすじと最初の一行です。だいたいこの三つで本を買うかどうか決めます。タイトルが気に入らなかったとしたらそれだけでその本に出会う確率は減ります。
純文学界隈の伝統(?)単語タイトル、ほぼ文豪
なかにはカフカの「城」とか、安部公房の「壁」とか、あるいは芥川賞受賞作家がよくやる単語一語(だいたい二字)のタイトルを付けるひともいますが、ああいうのはおそらく自分の文章に相当の自信があるか、既にネームバリューがあって売れることがわかっているか、そのどちらかだと思います。もちろんそういうタイトルを付けることがわるいとは思いませんし、実際わるくないのですが、僕としてはそのタイトルの付け方はちょっと面白みに欠ける、というか、どこかで見たことがあるような付け方だなと思います。いかにも文豪の定型という感じで。単語でいいなと思ったのはカミュの「異邦人」、ドストエフスキーの「悪霊」、カポーティの「冷血」あたりですかね。ブコウスキーの「パルプ」とかウェルベックの「服従」なんかもいいと思います。みんな文豪ですけど。
タイトルに込められた意外性に読者は立ち止まる
さらに突っ込んでみていくと、いいタイトルには何かしらの意外性が潜んでいたりします。たとえば、山本文緒さんの「自転しながら公転する」という本、僕は読んだことがないのですが、タイトルを見るとちょっと惹かれるところがあって。自転しながら公転する、って理科で習った惑星の特徴で当たり前といっちゃ当たり前のことなんだけど、でも、「え? それってどういうこと」って思わず立ち止まって考えてしまうようなタイトル。
ブコウスキーの「死をポケットに入れて」もふつうに考えたら「死」は「ポケットに」入ったりはしません。でも言わんとしていることはなんとなく伝わってしまう。ボルヘスの「砂の本」も、そんな本はない。でもあったらどうなんだろう、文字が消えてしまうのか、と想像してしまう。ハクスリーの「すばらしい新世界」はどう見てもタイトルのままのすばらしい世界が来るのではなくてその逆だろうというディストピア感を皮肉でうまく言い表していますし、「時をかける少女」もやっぱりそんな少女はいないわけです。でもいたらどんなふうに時をかけるんだろうねって考えてしまう。読者にそういうイマジネーションを膨らませる余地が残っていることもいいタイトルの要素かもしれません。P・K・ディックの「ヴァリス」ってタイトルを聞いたときに、まじで何のこと? ってなって逆に興味が出てきてしまう造語もあります。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」なんて唐突に言われたら、まあ印象に残りますよね、はい。ディックつよい。
タイトルを付けるときにはどんなタイトルであれ、その小説の内容を言い表しているものであることが必要です。トリックアートやら現代芸術美術館みたいなことをやりたいのでもないかぎり、十二月の真冬の話をしているときに間違っても「八月のサマーデイズ」みたいなタイトルは付けちゃいけないわけです(読者がただ混乱する)。
一度覚えられたタイトルは簡単には忘れ去られない
いままでに僕の挙げた「引力」のあるタイトルって、どれも作品のはじまりを予感させる雰囲気をもっているもので、終わった後でも確かにしっくりとくるタイトルが多いです。そのタイトルを思い浮かべれば、その本の内容を知らない頃には読みたくなるし、知ったあとでもその作品そのものの雰囲気を思い出すことができます。印象に残るタイトルってあんまりあれって何だったっけと不思議となりません。「〇〇」と聞けば、ああ、あの作家さんのやつか、と何となくでも思い浮かべられます。
タイトルの付け方に関してですが、僕は他の書き手や作家さんがどうやってタイトルを考えたり、付けたりしているのか実際には知りません。なので、僕の試行錯誤の跡をちょっとだけ残しておきます。
僕は一年ほど前から、長編を書くのを一旦諦めて、短編小説を書くことに専念しているのですが、その中でいくつかタイトルを考える機会がありました。単純に短編作家の方がタイトルについて考える機会が多くなるので、もしかしたら短編小説の名手はみな、タイトルを付けるのがうまいかもしれません(サリンジャー、カポーティ、芥川龍之介など)。この辺はたぶんその作家の資質とか、センスが現れやすいところではあると思います。
管理人kazumaのタイトル遍歴
僕が付けたタイトルの遍歴をあげてみます。
「わたしはあなたを探し続ける」
これは僕がkindleではじめて発売した電子書籍のタイトルです。内容は有村という青年探偵が、名前も知らないある人物について探すように依頼を受ける、という出だしなんですが、メッセージ性を強くしようと思って、あえてストレートなタイトルをつけています。「わたしを離さないで」というカズオ・イシグロの小説がありますが、ああいう読者への呼びかけになっているタイトルに憧れているところがあったと思います。
「時計の針を止めろ」
えー、これに関してはいまだからいいますが、英ロックバンドOasisのアルバムそのまんまです。「stop the clocks」っていう当時流行ったベストアルバムがあって、僕自身かなり好きで聴き込んでいたので、そのタイトルの和訳と絡めて拝借しました。リアムギャラガーに殴られて船から突き落とされても文句は言えません。はい、失礼しました。ただ覚えやすいタイトルではあったのか、長編のなかでは一番反響がありました。ところで、アジカンはバンド名をオアシスのノエルにほめられたの知ってます?
「ハイライトと十字架」
いまのところ、ここ一年辺りで書いた短編作品のなかで僕の代表作のひとつになっています。お読みいただいた方にはわかると思いますが、どちらも重要なモチーフです。タバコの銘柄「ハイライト」とキリスト教の「十字架」っていう一見してミスマッチで矛盾しているように見えるものを、あえて平然と並列する、という意外性を狙ったものでした。作品内に仕掛けがありますので、これ以上は言えません。
「バナナフィッシュのいない夏」
またモチーフの拝借癖が出ておりますが、サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」の解釈をめぐる小説です。当初「八月のバナナフィッシュ」とか「バナナフィッシュのいた夏」とかにしようと思ったのですが、ある人物がいないこと(喪失感)と「いる」ではなく「いない」という意外性を強調することを考えて付けました。
「アンブレラマンの孤独」
僕の最新作「4pieces.」にのみ収録されている未発表原稿です。当初のタイトルは『傘差し男、割れるグラス、狼人間の孤独について』でした。長ったらしいので、省けるものを省いて重要なモチーフだけを残すために削りました。省略したタイトルを思いつくヒントとなっているのはJFK事件において出てくる「アンブレラマン」です。まあそんなに物騒で意味深なこともなく、ただそこから思いついたってだけで、ストーリーと直接のつながりはないんですが。一応、非公開の隠し設定です。タイトルから連想する人いるかなあと思ってました。
長くなりましたが、タイトルについてまだ話したいことはあるので、初回はこのくらいにしておきます。
いかがでしたでしょうか。もの書きの方へ何かしらのヒントになっていれば幸いです。僕も皆さんがどうやってタイトルを付けているのか興味があるので、ぜひコメント欄に書き残していってください。コメント欄は掲示板みたいな使い方をしてもらってもかまわないので、ブログの読者の方同士でコメントを付け合うのも歓迎です。
それではみなさん、良いお年を。
来年度もこの企画は続けますので、kazumawords.comへぜひお越しください。
2021.12.31 早朝
kazuma
次回は小説のタイトルを付けるタイミング、Twitterで取ったアンケート調査を話題にしようと思っています。お楽しみに。