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『新刊のお知らせ/居てもいい場所』

こんにちは、今日は新刊のお知らせなどをお伝えしにきました。11月14日に僕の新刊短編集『4pieces.』がAmazon Kindleストアにて電子書籍で発売されました。既に販売開始となっておりますので、もし興味がおありでしたら読んでいただけると嬉しいです。いまのところ一冊しか売れておりません。初期の頃から作品を読んでいただいていた方が、感想を寄せてくださいました。僕としては十年目にようやくまとまった短編がひとつ書けたと思っていて、ある意味、あれからこんな風に書けるようになったよ、と作品でご報告ができたので、それだけでも十分に書いた価値はあったなと思います。

もうちょっと売れてくれるかなって思っていたのですが、やっぱり僕は傍から見れば、ただの無名のもの書きで、わざわざお金を出してまで作品を読んでくれることって、滅多にない僥倖だったんだなと改めて思い知った次第です。

この作品(『4pieces.』)にだけ収録されている『アンブレラマンの孤独』という作品は僕がはじめてオリジナルの作品で、わりとよく書けた短編じゃないかなと勝手に思っています。

でもある程度のまとまった文章が書けたとしても、それが実際に読み手のひとに手に取って読んでもらえるのかは、まったくの別問題でした。

僕はちょっと、人間性みたいなものに問題があるというか、無理があるようなので、誰かと一緒に組んで創作をしたり、文芸グループに入ったりしてやっていくには、どうも難があって、何度もそういうものをやってみようとしたりはしたのですが、やっぱりどこへ行ってもだめでした。ひとりでやっていくのが性にあっているみたいです。

自分がいいなと思う表現や、こういうものが書きたいと思っているところが、あんまりひとと一致しなくて、Twitterみたいなところでは、色んな意見が飛び交っていて、ちょっと書き込むにも億劫だなと感じることがあります。声が大きい人の意見がよく通るのは、人間のいるところならどこでも同じで、インターネットだから、匿名だから、言いやすくなるわけでもなかったです。最近は、ヘンなところで気を遣うことが増えました。

なんだかやっていても面白くないなって、僕がやりたいことって、Twitterで怖々と意見を言ったり、誰かの説を有り難がって取り上げたり、綺麗に切り取った食事の写真を上げたり、そういうことじゃなかったよなって、そう思うとなんだか少しばかばかしくなってしまって、時折、ぽつりと小石を置くみたいに呟くくらいの距離感がちょうどよかったのかもしれません。Twitterをやっているプロの作家も沢山いますけれど、のめり込むようにやっている作家で、不思議と作品を読みたくなるようなひとはほとんどいません。

もし商業の作家を目指すのであれば、たぶん読者が自分の作品を読んでもらうためにはどんな手だっておそらく使うでしょう。ひとりでも多くのひとに目が触れるよう、新刊のお知らせをして、リアルもネットも問わず、使える限りの媒体を使って広告を打ち、書店やら出版社やら関係者の方々に頭を下げて、根回しをして、ファンの方にはあまり嫌な顔は見せず、インタビューや他の作家との対談を笑顔で受けて、挨拶回りを済ませ、朝飯前のように批判を喰らい、サービスもして、やっと読者に書いた本を手に取ってもらえる、たぶんひとつの本が売れることってそういうことなのでしょう。小説そのものも、自分が書きたいと思うものごとばかりではない、締め切りもある、読者に飽きずに読み続けてもらう工夫もいる、売れるためには読者の最大公約数の希望を汲んで、自分のためではなく、読者のために書かざるを得ない。自分のためだけに書いてはいられない。生活だってかかっているし、そういう一切合切を現実のテーブルの上にベットして、なりふり構わずに書いたものを届けようとする。そういう責任を一手に引き受けているから、プロはプロなのだろうと思います。

でも、僕はそういうものが絶望的なほど向いてないなと思います。なにも差し出さずに手に入るものはありません。アマチュアでもプロの文壇みたいにうまくやっているひともいます。他の作家と連帯して、あるいはグループに所属して、作品に意見を言い合ったり、競い合ったり、励ましあったり。そういう中で揉まれて実際に磨かれるような部分もきっとあるだろうなと思います。でもやっぱり僕にそれはできないんです。

ほんとうに何もない、何も答えてはくれない、返事ひとつない、白い壁に向かって黙々と文字をタイプしているときにだけ、僕はほんとうのことが言える気がするから。誰もいない部屋の中で、時計の針の音と、わずかな耳鳴りがする、そういう沈黙の中でしか、僕はきっと自分の気持ちを言い表すことはできないだろうと感じるから。たぶん、それぐらいしか人生でしたいことってないんです。あとはみんな、生きていくために必要なおまけ、そのためにやらなければいけないこと、そんな風にしか感じられない気がします。

僕はたぶんひとよりもちょっと多くのものを諦めています。でも、十年経って文無しになっても、書いたものがほとんど手に取られなくて、会う人会う人に見放されても、書くことだけはどうしても諦められなかったんです。だってこれは僕の性だから。それ以外に生きていられる理由は、見つからなかったから。僕は鉛筆の掠れた鉛と、青いインクの染みの中にしか生きられないから。誰も僕を必要とはしなかった、ほかに僕がいてもいい場所は見当たらなかった。

kazuma

(作品の完成直前に訪れた河川敷にて。いつも悩み事があるとひとりで自転車のペダルを漕いで、文庫本だけ持って川のそばにいます。)

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