公募についてアマチュアもの書きが考えてみたこと
こんにちは、もの書きのkazumaです。先日、noteに公開した短編第七作「君は花束を忘れた」、楽しんでいただけましたでしょうか。
僕は昨日、次に書く作品の公募について探していたところです。公募については三年前くらいに止めていたので、久しぶりに応募できる文学賞などを集めたサイトを覗いてみると何だか懐かしくなりました。一昔前に比べると公募情報を集めたサイトも充実していますね。今月の『公募ガイド』が欲しくなったりもしました。二時間ほどじっくりスクロールしていって、気になる賞はいくつかあったんですが、でも自分の中にどうしても違和感と言いますか、ちょっと看過できないものがあって、どうしようかな、と悩んでいます。
公募に作品を出すことについて僕が感じていた矛盾
僕が書いているものは、多くの人に読んで貰ってみんなに喜ばれる類いの小説ではない、ということはある程度自覚しています。エンタメ小説のようなどんでん返しのわかりやすい面白さっていうのはないし、ミステリのトリックが分かるときの爽快感とか、心温まるような児童文学のエピソードみたいなものもありません。たぶん僕の書いた文章を読んだ多くのひとが「なんやねん、これ。何がおもろいん?(関西弁で言うとこんな感じですね)」って思ってしまう小説を書いているだろうなと思います。
僕は商業の小説がどういう原理で回っているか知りませんけれども、もし自分が編集者で、本の売り上げや利益のことだけを考えるのなら、真っ先に落とすのが僕の書いているようなものだと思います。そんなの(公募や本として)出してみなくちゃ分からないじゃないかと言われればそれまでなんですが、仮に万に一つ針の穴を通すような作品を書けたとしても、それで作家として食っていけるようになっている姿というのが僕にはちょっと想像が付かないんですね。
ほんとうに小説だけを書いて食べていけるのか?
毎年、数多と文学賞は用意されていて、年々デビューする作家は増えていますが、いったい何人が残るのだろう、小説だけを書いて生きていけるのだろう、と思うとちょっと疑問符が浮かびます。ここで疑問符がまったく浮かばないひとは既に賞を取っていると思います。僕の友人も、賞を取ったときには落ちるなんてまったく思っていなかったと言っていました。僕の好きな作家の中村文則さんも最初に原稿を送ったときに、落ちたのは何かの間違いじゃないか、郵便局が手違えで原稿を出版社に届けなかったんじゃないかと考えたとインタビューで話されています。
その後にデビュー作となった代表作『銃』で新潮新人賞を受賞されています。たぶんこういう賞をすっと取ってしまうひとは、自分の作品が落ちる可能性を微塵も考えないくらいのところまで原稿を完成させた上で応募しているんじゃないですかね。
僕はといえば、この作風で進めていってよいものか、少しばかり迷いが残っています。確実に(読者に言葉が届くまでの)距離は詰めているようには感じられるし、書いた自分の手応えとしても闇雲に書いていた頃よりも、少しずつ理想とするものに近づいていっているんじゃないかという思いはあります。ただ文章には目に見える物差しのような数値はないので、何をもって成長と呼ぶかは僕には分かりません。ただ作品ごとに持っているものを出し尽くしていく以外にないのです。
もし最初の一字から終わりの句点まで、その時点の僕の表現としてこれ以外にはありえない、というものが書けたとしたら、それが到達点といっていいものになるんじゃないかと思います。僕にはまだそこに届いたという確信はないのです。
トルーマン・カポーティの初期短編集を読んで気がついたこと
一昨日にカポーティの初期短編集を読みました。新潮社から刊行されている単行本の「ここから世界がはじまる」という題の翻訳作品です。ここに収められているのは天才作家と呼ばれたトルーマン・カポーティの習作です。一夜に一編ずつ、味わうように読んでいきました。いままでに本を読んできた中でも、一、二を争うほど幸福な読書体験だったかもしれません。僕が大学生の頃から入れ込んでいた作家の習作を翻訳で読むことができるのは幸運だったとしかいいようがありません。
読んでみるとこの頃からカポーティは自分の声を持っているんです。こんな書き方はこのひとにしかできない、というような語り方です。それもまだ十代のグリニッジ高校の校内誌に短編を投稿していた頃から。でも、プロとしてデビューする時の何一つ抜け目ない、流麗な文体にはまだ届いていません。「アンファン・テリブル(恐るべき神童)」と呼ばれたカポーティにも、習作を書いていた時代があって、その元々持っていた資質をさらに研ぎ澄まされたものにするために、ずっと下積みを続けていたんです。
天才カポーティでさえ、時間だけを見ればデビューまで十年掛かっている
カポーティが小説を書きはじめたのは十一才の頃からだと言われています。文章を読んでみればすぐに分かりますが、既にプロとして十分やっていけるほどの物語をグリニッジ高校時代に書いています。そんなカポーティが商業作家としてデビューしたのはいつだったでしょう。二十歳前後の頃に書かれた作品として知られている「ミリアム」がO・ヘンリー賞を取った頃です。これが1946年の出来事で、カポーティは1924年の9月30日生まれですから、二十一歳くらいのときに正式に文壇デビューを果たしたと言えるかもしれません。もちろんこんな例は他になく、明らかに早熟の作家です。
(トルーマン・カポーティの出世作「ミリアム」が掲載されている「夜の樹」)
でも冷静に掛かった時間だけを換算すると、これだけの才能を持ち合わせたカポーティでさえ世に出るまでには十年の歳月があったわけです。もちろん学生という年齢が作家というステータスや自由な執筆を許さなかったという点もあるかもしれません。しかし、カポーティは十一才の頃から、他の子供たちがバイオリンやピアノを習うように、三時間毎日書いたのだということを発言しています。まるで書くために生まれてきたようなカポーティという人間が十一才の頃から三時間の執筆時間を設け、十九歳の時に「ミリアム」を完成させ、二十一歳前後で周囲にも認められるようになった。破格の才能をもったカポーティでさえ、十年は習作を書き続けたのだから、僕みたいなぺーぺーの書き手が十年くらいやったところで、デビューできないのは当たり前のことじゃないかと変に慰められてしまいました。慰められ方がちょっとおかしいんですが。
あとがき解説で村上(春樹)さんが、「何があろうと書き続ける」という姿勢を初期作品から感じ取った、ということを明かしています。僕は創作というものはもっと長い目で見た方がいいんじゃないかと思ってます。十年とか二十年とか、あるいは三十年。そのくらいのスパンです。僕みたいなもの書きを諦めきれない人間にとっては一生です。
アマチュアもの書きが書く道はほんとうに公募か趣味かの二択しかないのか?
現代で小説を書くというと、プロの商業作家を目指して公募で書いていくか、アマチュアとしてあくまでも趣味として楽しむかという二択に迫られるように感じます。でもここに第三の道があってもいいと思うのです。
昔の時代に文学賞というものがあったでしょうか。いまの時代まで残されている文学はすべてお金を得るために書かれた文章だったのでしょうか。作家としてプロになるかどうか、そういうことを念頭に置いて書かれた文章が優れた文学になったのでしょうか。
もちろん、きれい事だけ言っていれば、世の中を渡ってはいけないということは、どぶ板を這いずり回っている僕にもなんとなくは理解できます。でも心の底では小説はそういうことじゃないよなって思っているんです。
多くのひとに読まれて楽しまれる=お金になる文章、ということはライターをやっていれば分かります。でもだからといってそれがいい文学なのか、というと必ずしもそうではないと思うのです。賞に受かるか、受からないか。それがお金になるか、ならないか。そういう尺度の中にはない面白さというのが文章の中にはあると思うんです。
全員が読んで全員が面白いっていうことを目指して書かれた小説の面白さっていうのは、その場限りのもののように思うんです。ひとを笑わせることが本分の芸人さんだったらそれでいいかもしれません。でも、僕が目指すところのものはそれじゃないんです。お金や賞、利害関係にある人とのしがらみ、別に自分の外側にあるものなら何でも――そういうものにすり寄って書かれた文章には絶対に嘘が混じると思うんです。そのときは羽振りがよくても、いつか自分の文体の足かせとなる日が来るんじゃないかという気がします。
サリンジャーもカポーティも、才能のある作家が潰れることになる原因に作品が売れる、売れすぎてしまう、ということがあるんじゃないかと思っています。僕みたいな書き手が一生心配する必要の無い事柄ですが。むしろ世に出ず孤独に書き続けたものが作品として面白い表現になるということはありえないのか、と思うわけです。
本にならなくても、一握りの作家になれなくても、小説を書いて生きていける第三の道を探る
大型の書店に行けば百万冊の本が当たり前のように並んでいます。その中で常に読まれ続ける作家になるということは途方もないことだと思うんです。僕は、書店に本が並ぶことがなくても、そういう一握りの作家になれなくても、創作を続けられる道がないか、探しています。いまの時代には、もう少し万人に開かれた書き方があるんじゃないかと思うんです。
傍目にはただのアマチュア作家というポジションにいながら、作品をひとりでも多くのひとに読んでもらえるような第三の道を見つけたいんです。同人誌的な徒党を組むわけでもなく、あくまでもひとりの書き手として。
創作活動を続けるといってもそれをやるのは人間ですので、当然、生活のためにお金は掛かります。小説の執筆を生活費を得るための手段として捉えはじめることが、どうも事がややこしくなってくる発端のような気がします。専業でも十分やっていける才能ある書き手はべつとして、小説以外で生活費を得る(兼業)という形がデフォルトスタンダードになりつつあるのかなと思います。
僕は商業の小説のやり方を否定したりしたいわけではなくって、単純に僕みたいな零細の書き手が、みんなと同じやり方でやってもこの先うまくはいかないだろうなと考えているだけなんです。
いま僕がすべきことは自分のメディアであるこのブログを育てつつ、作品の制作を続けることかなと思います。それって結局はアマチュアがやっていることと一緒ですよねって言われたら、そうですねって返すしかないんですが、僕は在野で書き続けた方が向いている人間のような気がします。
エンタメ小説でない(純文もどきの)小説をネットに上げたって誰も読みやしないよ、大人しく公募に出して認められるように書きなさい、っていう助言はいまの状況だとまっとうに見えますが、でもそれってほんとうにまっとうなのか? と考えたりします。
ネット小説はライト文芸やエンタメならアリでそれ以外はナシ?
それって誰が決めたのか
アマチュアがネットに小説を上げる場合、どうしてライト文芸やエンタメのジャンルではアリで、そういうジャンルに属さなければナシみたいな風潮ができあがっているのか、ちょっと僕には分からないんです。そりゃ読まれないからだよ、面白いかどうかも分からない(分かりにくい)素人の書いた文章読むんだったら、素直に書店に行って文学賞取った作品の文章読むわ、っていうコメントもネット上ではよく見かけます。この無名の作家が書いたものは誰も読まない、っていう前提は絶対にひっくり返せないものなんですかね。読まれなかったらその小説は優れていないのか、というところにもちょっと疑問が残ります。
僕の場合はライターの作業や書房での活動、ブログで収入源を確保しながら、小説を書き続けるというやり方を取ったってべつにいいんじゃないかと思うんです。
僕が第三の道を探すもうひとつのわけ
僕がこのやり方で行こうとしている理由にはもうひとつわけがあって、それは僕が精神的な病を抱えながら執筆している書き手だからです。公の場で平気に振る舞えるようなタイプの人間ではありません。テキスト越しだからここまで書けているという内情があります。でも、たぶん創作界隈には僕と似たような状況を抱えて文章を書いているひとがわりといるんじゃないかと思ってます。
そういう書き手であってもあまり気負わずに自由に創作を楽しんで道が開けるようになっていてほしいと思うのです。病気を理由に書くことを諦めて欲しくない。その道筋が付けられるかわかりませんが、僕がファーストペンギンになって、道なき道をこれから開拓できればいいなと思います。
作家さんのインタビューやら対談やら受賞のスピーチなど、こんなの逆立ちしたって無理だなと映像で見る度に思っていました。僕が表立った作家になる道はある意味では病になったときから断たれていたようなものです。でも病院にいた僕が表現することを選んだのは小説という方法でした。これ以外にはありえないって思っていました。目の前にはノートとボールペンしかなくて、僕の人生に残っていたのは壊れた物語しかなかったから。
公募に出すにしてもすぐにデビューに繋がるような大手の文学賞ではなくて、日々の創作の成果の発表の場と考えて小さな文学賞を狙った方がいいんじゃないかと思っています。あくまでも野良の作家として活動して、少しずつ知名度を上げるための方法を取っていくというか。それがもし本を出すことに繋がったら、もうけものくらいに思っておくのが僕にはちょうどいいみたいです。いずれにしても小説単体で食べていく、という考えは僕のプランにはいまのところありません。それでもしぶとく創作を続けていこうと思っています。
作品を読んで貰うきっかけの場としてnoteでポメラを使った日記を付けはじめました。僕の中ではわりと人気コンテンツになっていくんじゃないかなという予感はあるので、興味のある方はこちらも覗いてみてください。手書きの日記なんかもnoteではじめました。
それではここで締めたいと思います。カポーティの初期短編の話も次回以降にできればなと考えています。ではまた。
2022/08/25 18:43
kazuma
P.S. 余談ですが、ライティングや執筆の息抜きにポケ森(どうぶつの森ポケットキャンプ)をやっていて、プレイ記事をこの間作りました。ポケ森が好きなひとはよかったら見てってください。Twitterやnote、ブログなど、お声がけいただければ嬉しいです。