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一馬日報(手記) 文芸活動記録 記念行事

「商業作家(公募)を諦めたっていう話。」

書くことを諦めたわけじゃない。

 おはようございます、kazumaです。今日は休日なので朝からこの文章を打っている。ここで一旦、自分の文芸に関するスタンスを確認しておきたかったので、ブログに記しておく。タイトルはちょっとだけショッキングだが、このブログをはじめた最初の記事から公言していたことを改めて書いているだけだ。

 僕は大学を出たとき、まともな就職活動はしなかった。一次試験のペーパーテストだけ受けて途中で帰った。いまでも覚えているが、面接前の会社説明会で集められた志望者たち同士で二人組を作って、与えられたテーマについて話し合ってください、というものがあった。家族についてだとか、そんなどうでもいいテーマだったと思う。周りは制限時間の十分まで(むしろその時間を過ぎてからも)ずっと会話を続けていたが、僕たちの組は一分も会話が続かなかった、僕が全然喋らないやつだったからだ。そのとき、僕はこれからこれがあと何年繰り返されるのだろうかと思った。馬鹿馬鹿しくて仕方なかった。まともな育ち方をしなかったせいか、誰とも喋れる気がしなかった。話すことなんて最初からないだろ、何を言ったって伝わらないだろ、大事なことは小説の中だけで言っていればいいだろ、どこかでそう思っていたし、いまでもまだそう思っている。病棟の中で窓の外の景色を見ていたときから、まだ半年も経っていなかった。もうまともな世界に戻ることはないと、病院の敷地を出たときからずっとわかっていた。僕はその説明会でげらげら笑って喋り倒していた連中が一度も見たことのない景色を見たあとにその会場の椅子にひとりぼっちで座っていた。無言で中央線の改札を抜けてさっさとその場を後にした。二度と面接は受けなかった。

 いま思うとでっち上げだったのだろうと思う、都合のいい嘘だ。他に適当な嘘が付けないので(僕はどうも昔から頭がわるい)、他に卒業後の行き先を説明することができないので、まるで僕は最初から小説家になるつもりで生きてきたのだと「信じ」こもうとしていた。その暗示は、二、三年はうまく行った。自分が何を書いているのかも知らないし、それが一銭にもならない種類の小説であることをちっともわかっていなかったし、なによりその小説は中身のない空洞のようなもので、もはや小説と呼ぶよりもただの妄想に過ぎないものだった。いまでも僕はそんな妄想だけしか書いていない。大学からの卒業後の進路を記載する欄は空白にした。その時、過去のほとんど全ての人間関係を断ち、連絡先を葬った。

 僕には嘘でも生きていく目的が必要だったのだ。そうでもしないと、人生の無意味さに耐えられずに押し潰されてしまいそうだった。会社説明会から立ち去るばかりか、ベルトを部屋のフックに掛けるか、さもなくば河にでも身を乗り出してしまいそうだった。ある日、真夜中の河川敷の橋の上で真顔で立っていたことがある、大雨の日に誰も知らない街の橋の下で濡れたアスファルトにただ座っていたことがある、真冬の公園のベンチに座って夜が明けるのを待っていたことがある。全部、どうでもいいことだ。それになんの意味があるだろう?

 僕は八年間、小説を書き続けて毎年公募にも出したが、一度も賞をもらったことはない。もらわなくてよかったなと思う。こんな勘違いをした人間の書いたものに、何かの手違いがあったとしたら、僕はきっともっとおかしな人間になっていっただろうから。頭がわるくてよかった。冗談抜きでそう思う。誰にも共感されないただのお話を書き続けた。馬鹿げた八年間の過ごし方だった、でも他に生きる道なんて知らなかったのだ。壁に頭を打ちつけて暮らしたことのない人間になにがわかるだろう。

 卒業後に本の仕事と思って勤めた書店のアルバイトは半年も続かなかった。そのあとすべてを諦めて地元に帰り、スーパーの品出しのアルバイトを二年半続けた。いまは古本の通販会社のバックヤードでこそこそと鼠のように働いている。その間にも病は僕の中にずっと棲み続けた。惨めだった。信頼できる人間はひとりもおらず、書いて痛みを吐き出すことだけが生きている理由だった。何を言っても自分の思い描いたような形にはならず、輪郭はずっとぼやけ続けるままだった。作品を発表しても無視と傍観と批判と文句の嵐だった。こんなくだらないものを送ってくるなと突き返された。何度も、僕は面と向かって怒られたことがある。僕がそこに書いてあることの意味がまったくわからない、読者を馬鹿にしているのかと。文学学校の合評会に出したときは、十人中十人が僕の書いた小説にバツを付けた。でも、僕には彼らがなぜ怒っているのかまったく理解できなかった。飛び入りで参加してきた若い学生には、あなたはなぜこんなくだらない小説を書いているんですかとはっきり言われたこともある。さっさとやめてしまえ、と言わんばかりに。ただ僕には彼らの言っていることが正直に言ってあまり理解できなかった。なんだかどうでもいいことの揚げ足取りに見えた。同じ景色を見たことがない人間に向かって、ことばにならない苦しみをどう表せばいいのか、その方法がわからなかった。壁に穴を開けたことがある、指の関節が赤くなるまで殴ったことがある、部屋中のありとあらゆるものを蹴り飛ばしてひっくり返したことがある。僕は見た目通りの人間ではない。どんなに低く見積もっても、まともではない。サリンジャーの短編のタイトルを思い出す。『I’m crazy』。

 僕が書きたいのは純文学ではない、誰かに見られて賞賛を浴びるような小説ではない、中央の文壇に認められるようなものでも、不特定多数のいいねをつけられるような小説でもない。僕は僕と同じ苦しみを知っているやつだけに話をしている、最初からそいつにだけ話をしている、ひとりぼっちでいる、誰と一緒にいても一緒にはなれないホールデン・コールフィールド、あるいはアフリカの掘立て小屋まで行って、二度と帰ってくることのないホリー・ゴライトリー、バナナフィッシュの浜辺を去ってさっさと頭に拳銃でも当ててしまいたくなるシーモア・グラス、そういう人間に向かってだけ、僕は話をしている。なぜなら僕はそういう人間に向かってしか、話ができるような気がしないからだ。そういう連中以外には、言いたいことなんて何もないからだ。世の中の人間とは真逆の方向へ向かってずっと走ってゆく、そういうひとに向かって言葉のバトンを渡したいからだ。そしてそれ以外に、僕がこの人生でほんとうにしたいことはないからだ。進んでいく方向なんてどっちだってよかったのだ。どんな道を選んだって同じだったのだ。いま立っている場所から前に進みさえすれば。あるいは、この世の瀬戸際でその一歩を踏みとどまりさえすれば。

 なんの説明にもなっていないが、これ以外に僕にできる説明の仕方はない。商業作家を目指す理由は僕の中でなくなってしまった。僕がこれからも書き続けるのは、誰も見向きもしない小説であって、十冊も売れる見込みのない本であって、世の中の大多数から反感を買ってしまうような、そういうものだ。それは本来、最初から僕の中にあるものではなかった、僕が持つべきものでも、進んでいく道でもなかった。プロだろうがアマだろうが、小説を書き続けることに変わりはない。どっちでもいい。僕はいまのこの惨めな生活に納得している、僕が選んだのはこの道だったから。世の中の誰にも知られずに、部屋の片隅にうずくまって頭を抱えて泣いている人間の気持ちがちっともわからない人生なんて、僕はいやだった。そんなものは誠実でもなんでもない。華やかなものは何もいらない、それよりもその辺の道端の側溝で足を踏み外してもがいている、そんな人間の人生の方が僕にとっては誠実だと思う。泥の中でも咲くことのできる華がほんとうの華だ。そう昔、誰かに教えられた。それが僕の学生の頃に教わった、唯一のことだった。他のことは知らない、知りたくもない。真逆の方向へ向かって行く。僕はひとりぼっちになっても歩き続けていくだけだ。他に書くことなんてあるだろうか。

 これからは、というか、これからも、僕は古本の仕事なりなんなりを続けながらものを書いていくことになると思う。日中は倉庫で仕事をし、帰ってからの時間で書房のことをやったり、このブログを書いたり、あるいはこれから進めていくライター関連の案件をやることになると思う。ものを書いて食べていきたかった、その夢をすべて棄てたわけじゃない。形を変えて叶うこともあると思う。僕は食べていくための道としては、ライターを目指していくことにした。それだってすぐに叶うことではないが、これが僕の現実的な夢の着地点だった。

 そしてライフワークとして、僕はずっと世の中から隠れて小説を書き続けていけばいい。日中の仕事やらその他細々としたことは、みんな仮の姿だ。生きていくための嘘だ。ほんとうの嘘をつくために、僕はまだ生きていくことを選ぶ。小説を書くために生きていることはなにも変わらない。これが僕の作家志望の八年間の、そして現実の自分自身への折り合い。

 最後に近況報告を。SNS(Twitter)からは一旦離れた。いまは自粛期間として、新作の告知、ブログ記事の発表、書房の宣伝、ただの連絡先、その他にはとくに使うつもりはない。あそこで僕は心情を綴り続けたが、断片的な、文脈のない140字では、ほんとうに伝えたいことは何も伝えられないし、実際伝わっているようにも見えなかった。僕には誰かとつながることよりも、誰にもつながらない場所のなかで、ものを考え始めることが必要だったのだといまは思っている。

 僕はまたひとりぼっちの机の前に戻ってきた。昔のことが懐かしくなったら、いつかサリンジャーのような話が書きたい。暗やみのなかを通り抜けることでしか小説は生まれない。物語はほんとうはそういうもののためにあるとずっと昔から信じている。

 kazuma

 2021/04/09 13:16

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