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一馬日報(手記) 文芸活動記録 書評・ブックレビュー

 現にそうであるところのものへ帰るということ、最近考えていたこと。

十年振りに再読した。学生の頃は理解が及ばなかった。そういう本がある。

 こんばんは、kazumaです。今日の話題は近況報告と最近読んだ本について。少し過去の話と絡めたものになると思う。
 ここ一ヶ月間、生活のことで悩むことが沢山あった。いま僕は訳あってアパート暮らしをやめて実家で生活している。家族との折り合いや祖母の要介護状態、僕自身の精神面での病状や、金銭的な問題をすべて加味した上で、ひとり暮らしをできるほどの余裕が僕にはなかった。
 去年にアパートを引き払って、またもや僕はこの部屋に戻ってきた。十年前には二度とこの敷居を跨ぐまいと思って上京していった人間が、である。僕が当時、東京から持ち帰ってきたものは、ぼろぼろに引き裂かれた精神と安い値札のついた大量の文庫本だけである。そこから立て直すまでに八年掛かった。未だに傷が癒えたとは言えない。
 ほとんどトラウマのような体験を通じて、分かったことはたとえ何年経とうが僕はもたざるものであるし、傷は塞がらず、空洞はやはり開いたままなのである。僕はその空虚な穴に向かって何かを埋めてやろうと、それが原稿用紙の升目か何かのように、出会ったひとのことばや、あるいは自らで書き出すことによってそれを埋めようとした。誰かの手に触れることもあったかもしれない。しかし、どうしたとて、埋まらないものは埋まらないのだ。その穴はすべてを吸い込み続けるルサンチマンの塊そのものだった。僕は途方に暮れていた。どうすればいいか、ずっとわからなかった。
 
 最近読んだ本はニーチェについて論じた永井均さんの『これがニーチェだ』という本だった。ニーチェについては学生時代から興味を持っていた。科の違う哲学科の講義に潜り込んでわざわざ聴講しに行き、図書館に帰ってはニーチェと名のつく関連本に目を通していた。さいわい、学内の数少ない友人のひとりに哲学に明るい人間がいたので、僕は月に一度か二度、彼と一緒にひとの少ないテラス席の外れで遅い昼食を取り、僕のとんちんかんな解釈を聴いてもらっては、簡単な手ほどきをしてもらっていた。とはいえ、僕はまったくの門外漢であるし、アカデミックな場における正確性が求められるような哲学については無知のど素人である。
 当時のニーチェに対する理解も、教科書的な範疇を超えるものではなかったし、それもかなり偏った解釈をしていたと思う。友人は既にニーチェの語る実存主義的な解釈についての矛盾を、知識の上でもひとに語る上でも自分のものとしていたが、僕はただ目が眩むように、ただただニーチェの過去すべての価値観を転倒させようとするニヒリズムからの超人思想に惹かれ、そこに留まって離れようとしなかった。
 思えば、八年前からの僕の精神的な凋落はその時点からはじまっていたのかもしれない。純粋であろうとするがゆえに、誠実になろうとする態度ゆえに、かえって歪んでいく人間がいる。
 ほんとうに純粋なものは純粋で「あろう」としない。ほんとうに誠実なものは、誠実で「あろう」としない。既にそのひとは、そのひとであるところのもの以上でも以下でもなく、単にほかに存在しようのない仕方で存在しているだけである。「力への意志」そのものへの懐疑、とくに「への」という点に着目し、それを鮮やかに解体して見せるこの本は、まるでナイフの捌き方を教える熟練した修練者を思わせる、その鮮やかなことばの扱いに、僕はえもいわれずにいた。
 
 学生の頃に話を戻すと、僕はかなり特殊な状況からニーチェの実存主義哲学への接近を試みたと思う。それは哲学をやる人間がおよそ絶対にやってはいけない悪手、明らかにどう見ても不純な動機から、僕はニーチェの関連本に手を付け、ほとんど病的なくらいにそこから離れようとしなかった。そこには既に僕の学生時代、それ以前から遡るルサンチマンの兆候が看て取れるはずである。
 僕はあまり一般化することの難しい(そんなことを言い出したら誰の人生だって唯一無二の個別ケースであるが、ここではおそらく社会の大多数があまり経験することのない、と述べるに留めておく)生育環境にあり、僕がこの「僕」で「あろう」とするためには、どうしても周囲の価値観を、ほとんど脊髄反射のレベルにまで、否定できるところにまで到達しておく必要があった。
 そうでなければ、おそらく僕は、いまの僕以上に、自己欺瞞にまみれ、その欺瞞のために運が悪ければ窒息していたかもしれない。僕の周囲の環境は、ほとんどニーチェのルサンチマン的なものに追い込むような状況がずっとあった。「それ」に呑まれてしまったら、僕は僕という人格を保っていられなくなる、その瀬戸際に立っていた。ニーチェの哲学に飛びついたのは当然の帰結だったのかもしれない。実際、いまでも僕は損なわれたままだ。二十歳で病棟に入るまでの人生を、その後も含めてほとんど棒に振ったといってよい。
 僕はおそらく「神は死んだ」ときちんと言ってくれるひとを必要としていた。既存のほぼすべての価値観を白紙撤回してくれる、そういう哲学者のことばを必要としていた(もちろんそんなものはなかった)。一般のひとなら決して入り込むことのない、特殊な袋小路に生まれついた人間には、どうしても実存主義は一度通過しておく必要があったのだ。
 この本の中で、ニーチェの思想は「『打ち棄てられるべき』螺旋階段だ」という記述があった。この思想は、既にその枠外で生活している人間にとっては最初から必要のないものであるが、ある特定の圏内にいるものにとってそれは、その枠を最初から知らずに生活しているひとびとの広場へと抜け出るための非常階段なのだ。そしてニーチェ的空間から抜け出ることができたなら、この螺旋階段は打ち捨てられるべきものだと著者は述べている。
 ニーチェはキリスト教道徳の背後に回って神を刺したが、刺すのに使ったその同じナイフで自らが刺されることになるとは思いもよらなかっただろう。ニーチェの哲学にはいくつかの致命的な矛盾が含まれている。

 ニーチェが知らないことは、その背後にまわってそれについて何かを語ろうとすれば、そのことが知らぬ間に自分の首を絞めてしまうようなことがらが存在する、という事実なのである。背後に回ったつもりがまたその内部であらざるをえないという意味で、もはやその背後にはまわれないものがある。背後にまわってその成り立ちを調べることがもはやできない最終地点があるのだ。それを超越論的な場と呼ぶなら、言語を携えたまま、その内外に自由に出入りができると思うのは哲学的に幼稚である。(中略)


 どんなことでもその背後にまわって、その成り立ちについてさらに探究することが可能だと思いこむこの鈍感さに、私はある種の哲学的センスの決定的欠如を感じる。そして、それこそが形而上学の真の源泉なのである。


 ウィトゲンシュタインなら単に無化するところで、ニーチェはあえて転倒しようとする。ただそうであることに、なおも根拠と原因を求め続け、力への意志という形而上学的仮構が設定される。

永井均著「これがニーチェだ」第四章 第二空間 力への意志とパースペクティヴ主義 p133-134より引用。

 別に僕にとって「神」は何でもよかった。そういうよく分からないものと関わり合いにならなくて済むなら僕は何でもよかったのである。それらに染まらずにまったくの白紙のところからものを考えさせてくれるような場が、僕には必要だった。だがキリスト教道徳をルサンチマンから産まれたものだと否定したニーチェそのひともまた、より大きなルサンチマンの中に組み込まれている構図があった。
 そう言うだけで留まっていたのならまだしも、超人思想や力への意志を持ち出してきてまで自らの強者の道徳を更に一段上のところに位置付けようとしていたことが、ニーチェの誤りであったようである。
 思想Aとそれに対立する反思想Bを持ち出してきて、反思想Bの方が優れていると称揚しても、結局その対立空間から出たことにはならず、事態は平行線のままだ。かつて僕に哲学の手ほどきをしてくれた友人も似たようなことを言っていた。何かひとつの思想があって、その思想に単に反対している限り、その反対する元となった思想に依存していることになる。何かに向かって「反対」する、あるいはどちらかが優勢であるとひとつの価値観の「転倒」を図っても、その「反対」すること、「転倒」することは、結局のところその元となる思想がなければできないことだ。その意味合いにおいてニーチェのようなやり方では、必ず失敗する、その哲学の中には矛盾がある、ということを友人は語っていた。
 ある意味それは僕に向かっての警告だったのかもしれない、ただ当時の混乱した状況の中にある僕にとってはそれがつかめない。白紙に戻したあとはそれ以上のことはもとめてはならないところに、僕はそれ以上を求めた。だから周囲が「間違っている」、というところまで言おうとした。打ち捨てられるべき螺旋階段を抜け切らないままに、階段の途中で必死にしがみついていた。自己矛盾とそのうわべだけを啜った疑似ニーチェ哲学による軽薄な肯定の中で、僕は次第にあらゆるものへの憎悪をさらに深めていった。ニーチェ思想そのものが偽装されたより大きなルサンチマンであることにはまったく気が付かずに。僕はどうやら規模は違えど、明らかにニーチェと同じ類の哲学的鈍感さを備えていたようだった。ものごとにはすべて原因があって、すべての立てられた問いには必ず正答があると信じるような。ないのだ。そんなものは。分からない、が答えだったのだ。それが単にそういう風に成り立っている、としか言えないものに向かって、なぜと問うてはならなかったのだ。僕はなぜ、と問うことは教えられたが、なぜと問うてはならないものが存在していることを教えられはしなかった。それ以上、言葉によっては踏み込めない領域があると知らなかった。言葉があればどんな場所にでも土足で上がり込むことができると信じていたみたいに。僕は僕が現にそうであるところのものへ帰らなくてはならなかった。ニーチェの哲学は本来そのためにあったのだ。

 *

 昔、小説の中であるシーンを書いたことがある。僕が最後に発表したkindle書籍を読んでくれたひとなら分かると思うが、二つの扉の前で主人公がどちらに行くべきかと迷うシーンがある。
 差出人の真偽の分からない葉書を受け取り、とあるホテルの特別階へと呼び出された主人公の前には二つの部屋があって、差出人が指定しているのはA220号室であるのに、なぜかその隣の部屋のドアB228を開けてしまう、するとそこに本来いるはずのない旧友らしき人物がドアの向こうに立っていて、彼女は主人公を招き入れるのである。
 そして物語の中盤に差し掛かった頃、主人公と旧友である彼女が会話する。二つの部屋があって、先にひとりの人物がどちらかの部屋に入って待っている。その後から入ってきた人物が同じ部屋を選ぶ確率は、と尋ねると二分の一と答え、片方の部屋のみを指定した場合は、四分の一と答える。そのあと主人公は二人の人間が同じ時期に同じ空間でこうして会話をはじめる確率は、ポーカーのロイヤルストレートフラッシュを一回で引く確率、六十四万九千七百四十分の一よりも更に低いはずのものだったという話をする。かつての旧友であり、招待者である彼女はすべての会話を聞き終えたあとで、それでも人生は一分の一よ、と答える。
 ある意味でこのシーンは、人生の選択のやり直しを描いたシーンだった。主人公が扉の前で迷うのは、いったいどちらに行けば正しかったのだろうかと逡巡する現実の場面を想定している。主人公は結局、二度選択することになる。つまりそれぞれの扉を選んだ場合のパターンがのちに示されるのだが、どちらにせよ主人公は彼女を失ってしまうのだ。
 だから当時、僕はその主人公がどちらの扉を選ぶにせよ、主人公が納得した自分の意志で「選択」することがすべてだと、意図して書いていた。だが人間に自由意志などあるのだろうか? よしんばあったとしてもそれは「選ぶ」ことができるものなのだろうか。そういう問いが書いたあと何年も経ったあとで、自分に跳ね返ってくるのである。
 いま改めて思うと、人間の選択性それ自体に大それた意味などないのではないか、もっと言えば、どちらを選ぼうともやはり最終結果が同じという場合があるのではないか、というか、人間の人生に無限の分岐があるとしても、どの分岐を辿ってみてもその人間は結局のところ、現にそうであるところのもの、それ以外にはなれないのではないか。だとしたら、個々の見かけ上の選択の間違いなど、はっきり言えばどうでもよいことで、こうなるより他に道はなかった、然り、と本人が思えているのなら(いや、本人が思えていようがいなかろうが、そうとしかならないのだが)究極的にはもうそれでいいのではないか。そういう思いが込み上げてくるのである。
 なぜこんな話をしているかというと、ニーチェの後期思想の中には永劫回帰というものがあり、これはこの一回限りの生が寸分違わず無限に繰り返されることを想定したもので、仮にそういう事態が起こることになったとしても、あなたは人生を肯定することができるか、それとも否定に走るか、という問いをニーチェは投げかけているのだが、僕はこの思想を聞いたときに、そのループの中には入らない、僕にはなかったはずの人生を思い浮かべていた。僕が現にそうであるところのもの「以外の」人生を、あえて思い浮かべた。
 簡単に言えばこうだ、僕は希望の大学に入学し(僕が行ったところは希望したところではない)、東京には上京「せず」(僕はとくに上京したかったわけではない)、病に伏すことなく無事大学を卒業し(単位が取り切れるか怪しいものだ、僕は一度教授のゼミに入る試験で落とされたことがある)、堅い勤めを得(おそらくそうはならない)、パートナーを見つけて一般的な家庭を築く(これはもっとない)、そういう風に仮に事が万事体よく運べたとして、そういうあり得ない人生があったとしても、やっぱり人生から問われているものは同じで、その幸福に見える並行世界の誰かも、単にそうなるより他に仕方がなかったからそうなった、「然り」と言わざるを得ないんじゃないかと。
 だから個人にとって大切なのは、見かけ上の結果から見た過去の選択の成否ではなくて、他に存在した可能性のある並行世界の自分を羨むことではなくて、未来や過去にいちいち解釈を加えてその意味づけを無理矢理改変してしまうことでもなくて、ただ単に他に存在しようのないやり方で、この人生に向かって「然り」というだけでよかったのではないか。
 この「然り」は、たぶんプラスという意味の肯定でもなく、諦めから生まれるマイナスの否定から生まれるものでもなく、もちろん否定の否定という意味でもなく、もう「いまここ」を離れては存在しようがない、これ以外には選びようがなく現に自分が選んでしまったこの世界を、そういうものなのだと認めることなのではないかと思っている。そこまで考えて僕ははじめて少し気が楽になった気がした。どんな選択肢を選んだとしても、どんな結末が訪れようとも、どんな人生を送ろうとも、究極的にはすべて同じ、それで「よい」し、そうでしかありえないのだから。人生は無限に分岐するように見えるが、詰まるところどの人生も最後にはちゃんと約分されて一分の一になるのだーー彼女が言ったように。偶然と必然が一致する場所で。そこには幸と不幸とがあるかもしれないが、一般的な意味においての善と悪はないのだ。この世界にいる僕と、可能性としての並行世界の中にいる僕の人生のどちらが優れているかということは、誰にもできない。この道を選んだ僕は僕で、選ばなかった方の彼は彼で、やっていくしかないのだから。あるいはまったく別の誰かの人生であったとしても。そう思えたときに、はじめていまここにあるのではない、他のすべての人生を羨むことを止められる気がするから。
 
 うまくまとまってはいないし、僕はこの本のことばをきちんと汲み取れた訳ではない。ただ何となくニュアンスをほんのわずかにつまんだだけである。後半は感想ではなく、著者が述べたこととはあまり関わりのない僕の妄想なので、またkazumaが訳のわからんことを言っているなと適当に聞き流しておいてもらえればありがたい。ただ僕は言葉の形にして納得したかっただけである。ルサンチマンの根をひとつでも取り除いて引き抜きたかった。
 
 最後に文芸関係の近況報告を。いまも僕は短編制作期間中です。noteに発表する予定の未公開短編の第二作を作っているところ。大方、四分の三までは出来上がっているがもう少し時間が掛かりそうだ。お披露目できるときを楽しみにしている。
 
 今日はこれで。また。
 
 kazuma
 
 2021/03/09 21:38
 
 

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読書録:もの書きの理想の暮らしを、シェイクスピア&カンパニー書店の中に見る。

物書きに優しい書店、それがシェイクスピア&カンパニー書店。

 こんばんは、kazumaです。今日は最近読んだ、一冊の本をご紹介したいと思う。河出書房新社の文庫から刊行されている『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』という本だ。この本は僕が去年に読んだ本の中でも三本の指に入るほど気に入った本なので、ぜひともレビューを書きたい気持ちになった。昔、小説について教わったひとがいて、読んだ本については必ず読みっぱなしにするのではなくて、自分なりに書き出した方がよいとアドバイスをいただいていたこともあり、久しぶりに読書録としてつけておく。このブログ(kazumawords.)では初じゃないかな。

 舞台はパリ左岸に店を構える伝説的書店、シェイクスピア&カンパニー書店。ここはかつてヘミングウェイ(『移動祝祭日」の中にもこの書店の記述がある)やパリ滞在中であったフィッツジェラルドといった蒼々たる顔ぶれが集い、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を出版したという、もの書きの聖地とも呼べる書店である(何とJ・D・サリンジャーからの書簡さえあった)。そんなエピソードに事欠かないこの書店が地球上に現存していること自体が奇跡といってよい。たぶん、どの時代のどんな地域を見渡したって、こんな書店は未だかつて存在したことはなかっただろう。

 Twitterのフォロワーさんと話していて気付いたが、この書店は『ミッドナイト・イン・パリ』という名作映画に出てくる正にその舞台でもある。1920年代のパリにタイムスリップし、そこで作家志望の青年ギルは、アンティークカーに乗って名だたる芸術家たちとともに夜を過ごす。ウディ・アレンの映画で、こちらもかなりそそられる内容になっているので、興味のある方は見て損はないと思う。因みにこちらの映画に出てくるのは、初代シェイクスピア&カンパニー書店、シルヴィア・ビーチという人物が店主としてやっていた頃の話であり、今回の小説はそのあと、更に時代をくだって別の人物が新たに作った二代目(改名)シェイクスピア&カンパニー書店が舞台となっている。いうなれば、オリジナルの歴史ある書店を継承して作られた名店の、現代にまで続く物語である。

 さて本題に入ると、この書店の二代目店主であるジョージは、若い頃は世界を放浪し、貨物輸送船に乗り込んではあちこちを旅していた。のちのシェイクスピアカンパニー書店の運営方針の中に、こんなものがある。『与えられるものは与え、必要なものは取れ』、これはマルクス主義の標榜だが、学生時代にジョージはコミュニズム(共産主義)思想に傾倒しており、そのユートピアとなるような書店を作ろうとジョージは画策した。戦争の折、軍基地に勤めながら、ジョージ個人としては最初の書店、トーントン・ブックラウンジを開く。「本を読まないのは、読み方を知らないより悪い」と宣言して。その後、除隊通知を受けたジョージはフランスで援助活動のボランティアを行うために渡仏した。ソルボンヌ大学の講義に通い、サン=ミシェル大通りのホテルの安部屋で暮らすようになった彼の部屋には、苦心してかき集めてきた金で買った英語書籍のコレクションがあり、当時、ドイツ占領下からようやく解放されたこの街では、彼の部屋が臨時図書館になっていた。毎週何十冊もの本がパリの人々に貸し出され、実はこの部屋での暮らしが、のちのシェイクスピアカンパニー書店を開くきっかけとなる。
 

オテル・ド・スエズで暮らしはじめて間もない頃、部屋の鍵をなくし、ドアに鍵をかけるのをやめた。ある日、授業から戻ると、見知らぬひとが二人、部屋の中で彼の本を読んでいた。財産の共有と共同生活を信奉する彼は感激した。ただひとつ残念だったのは、コーヒーぐらいしか出せるものがなかったことだ。それ以来、訪れるひとのためにいつもパンとスープを用意しておくようになった。

『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』ジェレミー・マーサー著 市川恵里訳

 そして1951年8月、戦後パリが復興していく中で、有金の二千ドルをはたいて、書店に賭ける決心をし、ル=ミストラルという名前の書店をはじめ、これがのちにジョージが五十歳の誕生日を祝って、その一年後にシェイクスピア生誕四百周年となる年に、シェイクスピア&カンパニー書店へと名を改めた。そしてかつてパリにあった伝説的書店を営んでいた、店主シルヴィア・ビーチと親交のあった彼は、その屋号を受け継ぐのである。
 
 ここまでがジョージの作った二代目シェイクスピアカンパニー書店が出来上がった簡略ないきさつである。そしてカナダ生まれの生粋のジャーナリストであり、この本の著者であるジェレミー・マーサーが、どういうことの運びか、カナダから真反対の位置にあるようなパリにあるこの書店に訪れて暮らすようになり、奇人変人変わり者浮浪者、芸術を志すものなら誰でも大歓迎といった様相を呈しているこの不思議な人間模様の中で、いかにものを書くようになっていったか、この一時期を直接目にしてきたことばで語られるというところに本書の醍醐味がある。
 
 僕が一番この本のなかでびっくりしたことは何かっていうと、これが「実話」である、ということだ。この本を僕が手に取った経緯についてちょっと話すと、たまたま病院の待ち時間がかなりあって、本屋で時間を潰そうと思っていたときだった。僕は新刊で本を買うということを一時期あまりやっていなかったことがある(だいたい必要な本は古本屋の売台の中に見つかった。新刊を巡るサイクルと古本を巡るサイクルが交互に来るのだ)。

 とはいえ、手持ちの本を鞄に入れて持ってくるのも偶然忘れていたし、暇を持て余した僕は、百貨店の中にあるチェーン系列の書店にふらりと立ち寄った。百貨店の中の中型店舗ということで本の品揃えは結構あった。その中でも、僕は海外文庫を扱っている棚の辺りをよく周回する。とくに河出文庫や新潮社、白水社の本がわりと僕にはクリーンヒットするので(おそらく読書人によって相性の良い版元の本があるのだろう。僕は河出文庫の海外小説棚がいちばん好きだ)、そのあたりの背表紙を端から見ていった、たぶん何かの拍子に棚から眼を逸らしたときだったと思う、たまたま数多くの文芸書に囲まれて、この本が平積みされているのを見た。直感的に気になってしまって、僕はそこから数頁読み、値段を見て一度棚に戻し、ちょっとだけその辺りをうろついて、またその本の前に戻ってきた。ぼくは結局この本の会計を済ませた。この本は架空のシェイクスピア&カンパニー書店という物語の世界の中にある物書きたちの話なんだろうと思って。そのとき、僕はこの書店についてほとんど何もしらなかった。『ミッドナイトインパリ』の映画や、『移動祝祭日』の小説で触れていたことを知るのはあとになってからだ。本の頁を開くと、パリの伝説的書店に自然と集ってくる物書きのコミュニティの話に、期待を膨らませてわくわくしながら読んだ。店の前で通りに立ち、観光客相手に店の奥にあった古めかしいタイプライターなんかを持ち出してきて『短編小説売ります、一ページ十フラン。タイプミス無料』なんていう粋な描写を見つけたときには、思わずにこりとせずにはいられなくなった。読んで貰えばわかるが、物書き同士が集うような場が実際のパリ通りの書店の中にあり、そこで誰もが店の手伝いをすれば寝泊まりすることができ、毎週日曜の朝には店主自ら不器用なパンケーキを振る舞い、あの本を読めこの本を読め、と分厚い本の背表紙で引っ叩いてくれるジョージがいる店など、この地球上のどこを探しても、ここ以外にはないのだ。
 そしてこの一連の出来事すべてがフィクションであると思って読んでいた僕は(それは百貨店のエレベーターの昇りボタンを押したときからはじまっていた誤読であったが)、最後の最後、これがただのフィクションではなく、ノンフィクションであったことをあとがきを読んで知った。ほんとうにこの物語が現実にあったという驚きが、僕の頭の中に渦巻いていた。
 
 僕はほとんどずっとぼっちで文芸活動をやってきたし、その時々で関わったひとはいるにせよ、こういう物書きが自然と集まるような場にはお目にかかったことがない。その昔、芥川らがいた昭和の時代には田端文士村や馬込文士村があったが、そこではきっと日常的に文学的な話が交わされていたのだろうかと思うと、少し想像を巡らせてみたくなる。とはいえ、シェイクスピア&カンパニー書店ほど大衆に開かれたものではなかったろう。

 この前、偶然手にした高村光一というひとの『芥川龍之介』という古本の中にその当時の芥川の周辺の動きみたいなものが描かれていて、そういう集まりも結局は小さな文壇のようなものではなかったろうかと思う。名だたる作家たちが同時代に存在していて、あとから見ればそれは華やかなエピソード、あるいは人間味のある挿話として映るかもしれないが、物書きはつまるところ書き残したものがすべてで、ペンを執って白紙の前に立つのは、一文字も書かれていないスクリーンに向かってタイピングしはじめる瞬間というのは、どこまで行ってもひとりで、そこにごまかしは利かなくて、今までに誰と会って何を話して何を考えて、そんなことはどうでもよいところで話しはじめなくてはならなくて。

 もう少し前の自分だったら、小説を話すことのできる居場所みたいなものがあればいいなと考えていたが、人生がのっぴきならないところまで来ると、居場所云々の問題どころではなくなってしまった。僕はずっと学生時代から持病を抱えていて、ほんとうはこの物語の中にあったように直接的な関わりの中から創作のヒントを見つけたり、誰かが好きな小説の話について聴いてみたりしたいけれど、やはり僕の方でうまく話せない事情があって、こうしてオンラインの活動のみにとどめている。そう考えると、シェイクスピアカンパニー書店がやったこと、ジョージがやったことがどれだけ稀有なことか気が付く。居場所のない物書きに居場所を作り、一時的な住処を与え、その中でみな何かを見つけては巣立っていく。そういうことはある種の信念や思想や決心なしには到底続けられるものではない。僕の本分はものを書くということで、そういう場を作り上げたり持続させるほどのジョージのような人間的な器も度量も欠けている。もの書きはどれだけ徒党を組んだところで徹頭徹尾ひとりで、それを了解した上で、はじめて小説の話ができるのではないかと思う。だから僕はここやネット上のどこかでひとりでタイプした文章を発信を続けている。その中でも小説はたぶんこの世でいちばん孤独なコミュニケーションだ。
 
 今日はここまで。また書く。
 
 kazuma
 
 2021/02/23 
 
 余談:今回はiPadを使って記事を作成した。ブログ記事程度の文章であれば、これでいけると分かった。前まではポメラで打った文章を移していたが、今後はipadでもやってみようと思う。アプリ(エディタ)はiAwriterを導入した。とりあえずiOS間で文書移行の手間がないので楽である。タイピングも集中しやすかった。教えてくれた方に感謝です。あとタイプライター(風)キーボードがめっちゃ欲しい、今日この頃。記事のアップが遅くなって申し訳なかった。ちょっといま身辺が立て込んでおりますので、駆け足でお送りしました。またね。

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カズオ・イシグロ「浮世の画家」を読む。

カズオ・イシグロ『浮世の画家』を読む。

こんばんは。kazumaです。今日は読み終えた本の話をしようと思う。この頃は通勤電車の中や、病院の待合室で読書をすることが増えた。鞄の中には文庫本を入れる専用のポケットがあって、仕事であろうがなかろうが、いつでも本を忍ばせている。この前は定食屋で紙の本を開いた。かなり迷惑な客だったに違いない。今度はいずれ、晴れた河川敷の河原で阿呆みたいに読んでやろうと虎視眈々と狙っている。

それはともかく、一週間くらい前にカズオ・イシグロの本を読み終えた。読んだのは『浮世の画家』。彼の書いた長編第二作である。実は元々、この本を読むつもりではなくて、『遠い山なみの光』を先に読むつもりだった。以前、『遠い山なみの光』を第一部まで読んだことがあって、途中で何か別の本に目移りしたのか、うっちゃって(売る、ではなく、放って)しまっていたことがあり、河岸に佇んでいる不詳の女の姿を描いたところに妙に記憶が残っていた。

それから時が経って、最近、急にそのシーンを思い出すものだから、何かそれが引っかかっているという感じが頭の中にあり、それがカズオ・イシグロの初期の作品だったことは覚えていたので、これだったかなと思って、本棚から手に取り『浮世の画家』を読み進めていった。結果的に特に河岸に謎の女が現れるようなことはなく(いるのはバーのマダム川上のママである)、読み終えたときにこれじゃなかったと分かったんだけど、おそらく第一長編のテーマを引き継いでいるように、読んでいて感じたので、これでよかった。

『浮世の画家』は、戦時中に活躍した画家である小野が、自らの半生を振り返りつつ、それを戦後になって、身の回りに起きた出来事とともに語り直すという、一人称の告白小説のようになっている。この話は『信頼できない語り手』と呼ばれる話法で、実際に物語世界の中で起きた客観的な事実を基に描かれているという訳ではないことが、後半に進むにつれ徐々に分かってくる。

ここで語られているのは、小野から見た世界、小野にとっての『現実』が語られており、ほんとうは何が起きていたのか、実際に起きた出来事は何なのか、周囲からはどう見えていたのかが作者によって意図的に欠落された形で物語が進む。戦争を生き延びた老画家・小野が半生を振り返る形を取っているので、現実は小野のレンズによって微妙に修正され、あるいは奇妙にねじ曲げられている。

そのレンズの屈折具合が、周囲の人間、たとえば娘姉妹である節子や紀子、孫の一郎、娘婿の素一や、かつての盟友でありヒールでもある松田、それらとの人間模様を通して、徐々に小野が歪めて見ていた世界像がはっきりと見えはじめる、目の悪かった人間がまるで度数を上げて、周囲の視点のレンズを重ねる度に、実像に近づき、はじめてもう一度、世界を目の当たりにするような、そんな面白さがこの小説内には存在している。

レンズの歪みやひずみの中に浮き上がる小野自身の欲望、見ようと欲する世界、こうであるだろう、こうであったはずだ、と見ていた世界が、周囲から見える現実との落差に揺れている。

でも、こういった描き方はかなり真摯な人間の描き方だと思っている。現実において、例えば物事の意味が分かったり、誰それの人間がどういう意図を持って動き、だからこの人間ともうひとりの人間が衝突して、みたいな理由は分かりはしない。

小説世界の中であり得るような神の視点、客観的に『正しい現実』のようなものに、到達することはあり得ない。(だいたい、小説を書いている作者にすら、何故書いたのかも分からないような代物も存在する)

人間である限り、必ず主観のレンズを一度通すことになる。どれほど純粋な世界を望んで、真実であるとおりに見ようと思っても、そのひとから見えるようにしか、そのひとの現実は構成されない。必ず何かを歪めたり、欠落していたりする(僕がカズオ・イシグロの『浮世の画家』と『遠い山並みの光』の文章で見たイメージの記憶を混濁していたように)

これが言えるのはレンズがただ一つの場合だ。この世界を見ている人間がただひとりしか存在しない場合だ。主観的に言えば、確かにそうである。僕の現実の中には、僕から見た世界しか見えない。この文章を読んでいるあなたの現実の中には、あなたから見た世界しか見えないだろう(たぶんね)。でも実際には、この世界に存在しているのは僕だけではないし、もちろん、あなただけでもないようだ。

この歪んだ小野のレンズが、戦争後に生き延びたひとびととの出会いの中で、読者に徐々に見えるようになってくるのは、そこに他者のレンズを取り込むようになったからである。この世界に目は一つしかない訳ではない。どんなに少なく見積もっても、この現実世界には六十億の目が存在している。そのレンズがひとつでも、ふたつでも自分の世界の中に増える度に、別の角度から見た像が新たに姿を現す。

戦争の時代に巻き込まれ、新進気鋭の画家であった小野は、過去の回想の中で、何度かひとと袂を別ち、訣別するシーンがある。最初の訣別は、父親との訣別であった。家業を継がせようと客間に呼び出された小野少年は、自らが画家になることを密かに志しているが、ある日、父親に描いた画をすべて持ってくるように言われ、退室した後にその画を燃やされる。だが、それが却って、少年の心に火を付け、父親がやっていた小銭の勘定をするような人間に誇りを感じないと言って、画家の世界へ飛び出していく。

二つ目の訣別は、同僚であるカメさんとの訣別である。小野が武田工房で働いていたときに出会ったカメさんは、画を描くのが文字通り遅く、工房の仲間から揶揄されるような存在だった。小野は工房時代には、カメさんを庇い、他の画家よりも真摯に芸術に取り組む姿勢があると言って、新しい浮世絵師のもとに就くときに彼を誘って、ともに弟子入りする。

純朴、ひたむきをそのまま描いたようなカメさんであるが、のちに戦争の足音が間近に聞こえてくる中、果たして戦前に就いた浮世絵師のもとで、一見享楽的とも取られる美を描こうとすることが正しいのかと、自らに問うた小野は、師匠の絵とは全く傾向の違う画を描き始める。それを師に対する反逆であり、僕ら弟子に対する裏切り行為だ、と捉えたカメさんは、小野と袂を分かつ。

最後に、この時代の新しい傾向が必要だと言い張る松田と共謀する形で、師事していたモリさんとは全く違う画の道、戦争を称揚するようなプロパガンダとなる画を、この時代に適った新しい道だとして小野はそれを選び取る。

そして小野が信じて正しいと選び取った道そのものが、戦後には誤りであったとする価値観の転倒が起こり、小野はそれによって苦悩する。自分が父親の世代に対して感じていた反逆を、今度は子や娘婿、孫の世代から受けるのではないだろうかと、思い込んでいる。そして戦後の時代には、過去の時代の考えが誤りであったとして、自殺を遂げる人物の知らせが、折々に舞い込む。

この画家、小野益次という人物は、父に背き、友に背き、師に背いてまで、自らの道を信じて選び取ろうとした。そして信じて突き進んだ道も、時代の流れによって否定されることになった。それも小野益次が画家としての非凡な精神と才能の持ち主であったことによって。

もしこれが、僧侶の下した予言通り『生まれつき性格に弱いところがある』小野少年であったならば、父の家業を大人しく継いでいたかもしれない。カメさんのように才能について非凡な者に及ぶことがなく、師に盲従し続けることをよしとしていたならば、武田工房の中だけで、あるいは浮世絵師の一番弟子であり続けるだけで終わったかもしれない。最後に師を越えようとして、浮世絵を描き、享楽の美を描くことを撥ね付け、自らの道を自分の手で選び取ろうとする強さがなかったとしたら、彼は気鋭の画家として世に知られることもなかったかもしれない。そこに非情な浮世の皮肉を感じます。

浮世の画家というタイトルは、浮世絵のことを表しているものではありますが、ほんとうにこのタイトルに込められている意味は、浮世に翻弄された画家、浮かぶも沈むも時代次第、そんな世界の中でひとは信じた道を選び取って生きていこうとするものだと、たとえそれが間違ったものであるか、正しいものであるか、その瞬間には分からなくとも、それでも生きていくことを選び続けるしたたかさのようなものを、そういう時代を生き抜く強さのようなものを、僕はこの本から感じました。

もし小野益次が、戦争とは異なる別の時代に生まれていたとしても、彼はおそらく同じように自らの道を選び取ったに違いないと僕は思っています。

kazuma

近況報告:Twitterはナーバスになり過ぎるので、わざと少し離れたままでいます。ブログをホームの拠点にした方が良さそうですね。何気なく他人が放った言葉を眼にして、責められているように感じたり、傷付くこともあります。傷つくとしたら生身で向かい合ってがいいですね。その方がまだ救いがあります。言葉には終わりがないので。

小説の執筆は半分くらいまで来ました。誰にも言ってないけど水面下で進行中です。夜の帳の中で書いています。いつだって見返してやれるぞって、心の中で叫んでいるんですかね。僕にも小野の血が少しでも流れていたらいいなって思います。十月の群像に出すつもりですが、早く書き上がれば、九月の文學界の方に出すだけ出してみるかもしれません。ただ鉄砲の弾をこめて撃つだけですが。当たるも八卦、当たらぬも八卦。