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『これまでのまとめ、十年間、これから』

一昨日、小説を書き上げた。十九の頃から小説らしきものを作りつづけて、そろそろ十年目になる。何度も中央の文学賞に応募したが、結果はひとつも通らなかったし、文芸誌に僕の名前が載ることはなかった。ほんとうに賢い人間だったら、就職する時点で諦めていたことだろう。文芸で飯を食っていくことなんてばかげているって、そんなことは一握りの選ばれた人間にしかできないことだって。でも、僕はばかだからわからなかった。自分にひとよりも優れた特別な才能なんてないことを知るまでに十年掛かった。かつて僕の身の周りにいた同級生たちは、もうとっくに家庭を持ち、ネクタイを締めて、あるいはハンドバックを片手に、僕の歩けなかった街を歩いている。僕の乗れなかった電車に乗り、僕の入れなかった会社に入り、ときには旧友と互いに連絡を取って、休日にはベビーカーを押して、洒落たカフェやバーにでも入り浸って、祝い事や心配事があればすぐに駆けつけ、語り合い、心を許せるひととともに眠る。まもなく朝が来て、浮き沈みはあれど、彼らはまたドアを開けて陽の下で歩き出す。彼らは僕が欲しかったものをみんな持っている。そんなものはすべて手に入れてしまって、まるでそんな日々に飽き飽きしたかのように、平気な顔をして街中を歩いている。十年前、就職活動から降りたとき、僕は自分の才能をちっとも疑わなかった。僕には彼らにはないものが具わっているのだと信じて疑わなかった。でも十年後、賭けに勝ったのは彼らだった、チップはみんな持っていかれて、僕はひとりでがらんどうの机の前に座り続けた。誰のことも信じなかった。信じないことがほんとうだと信じて疑わなかった。

僕はばかでよかったなと思う。おかげで、たくさん小説が書けた。ばかだったから、自分のちからがわからなかったから、こんなに遠回りをして、好きなだけ書いていられた。僕は彼らのようには生きられなかったけれど、机の前に座って指を合わせ、ペンをはじめて握るときの気持ちを知っている。白い壁に向かってものを書き続けることの意味を知っている。どんなに書き進めてもことばにならないときの苦しみを、会う人会う人に鼻で笑われつづけながらものを書く人間の悔しさを、ペンも握らず言葉にもせずものも書かず世に出さない人間に、作品を叩きつけられ破られ貶され棄てられるときの哀しみも、みんな僕は知っている。

文芸誌に名前が載らなかったからって何だ、書いたものが本にならなかったからって何だ、ようやく書き終えた小説をひとから否定されたから何だ、小説を書いていると言って笑われたから何だ、誰も見向きもしようとしないから何だ、僕は僕の書きたいものを十年間好きなだけ書いた、そのことをひとつも後悔していない。僕は万年筆の青いインクと鉛筆の鉛と一緒に死ぬことを選んだ。十年経っても、二十年経っても、三十年経っても、生まれ変わっても僕は同じ生き方をする、もし僕がいまから十九のその地点に戻ったとしても、僕は必ずこの道を選ぶ。その地点でこのひとりぼっちの未来がわかっていたとしても、かならずこの机の前に帰ってくる。

人生なんてどっちだってよかったのだ。彼らのように生きようが、そうでなかろうが。僕はただ選びたかっただけだ。僕は人生でただひとつだけ選ぶことのできた道を選んだだけだから。だって目の前には本と百均のボールペンと大学ノートしかなかった。才能があろうがなかろうが関係なんてあるか。信じられる人間がひとりもそばにいなくたって何だ。僕の前にはもともと壁と鉄格子しかなかったのだ。もののはじめから味方なんていない場所で生きてきた。両親はそこに立っていても僕の言葉には耳を傾けなかったし、かつての友人たちはみんな笛吹男の話す奇妙な物語に取り憑かれて、僕のまったく預かり知らない世界へ行ってしまった。どうでもよかった。言いたいことはみんな小説に書いてある。それで足りないなら、僕はいつまでも日が暮れるまで書き続けるだけだ。何回でも言ってやるし、筆が握れなくなって目が潰れるまで、僕はそうしてやる。人生なんて理屈で片付かないことくらい、いちばん小さなときから知っている。

文学の理論が何だろう、あっちが優れていて、こっちは優れていない、こちらは私の好みで、あれは違う。某の作品は良くて、誰それの作品は悪い。この作家がこう言ったから、プロのあのひとが言うから正しい。賞を取ったから、本になったから、みんなすごいって言ってるから、みんな読んでるから。あれは素人だから、落ちているから、人気がないから、誰も手に取らないから、私の好みではないから──何だかそういう一切はばかばかしいことのように思える。本の中に真実なんて書かれていない。他人が書いたものに、自分にぴったり合う真実なんて書かれていない。他人の履いている靴で自分の歩幅で歩けるか。僕は無理だ。どう考えたって無理だったから、僕はいちから小説を作った。はじめは借りものの言葉で、少しずつ自分の足に合うように作り直して。

小説は語り方だとみんな言った。玄人のひとほどそう言った。語り口さえ良ければ、テーマなんか何だってよい。料理人の腕が良ければ、素材なんか多少悪くたっていくらでも捌けて美味しいものができる。文学の本質はテーマではなくて、その語り口だ。巧い文章を書く人ほどそんなことを言っていた。よく小説を読み込んだひとほどそう言った。だけど僕はちっともそうは思わない。自分のいままで生きてきた人生や価値観を揺さぶられるようなものでなければ僕は結局、納得しない。どんなにお喋りや語りが巧かろうと、どうでもいいような話をしていたら、僕は耳を貸さないし立ち止まらない。文学が何であろうがどうだっていい、その形がどんなものだっていい、そのひとにとってのしんじつが垣間見えないもののまえで立ち止まっている余裕はない。お笑い芸人は面白かったらそれでいい、遊園地のアトラクションは面白ければそれでいい、関西人は面白かったらすべてが許される、僕だって笑うかもしれない、でも終わってみればやっぱりそれらすべてはどうでもいい。

僕のしんじつは誰かにとってのぴったりそのままのしんじつではない。でも僕の語ることは、いつか誰かにとってのしんじつの一部にはなりうるかもしれない。文章すべてにぴったり合うことはなくとも、たった数行の一文が、その中に書かれていたひとことが、これはわたしのために書かれてあるのだと錯覚したら、そう信じられたら、はじめてその小説は、作者のために書かれた小説ではなくて、その人のために書かれた小説になる。もちろん、他人のしんじつなんてどうだっていい、文章や語りが面白ければそれでいいなら、僕のここまでに書いたことなんて一切無視してけっこうです。きれいさっぱり忘れてブラウザバックしてください。自分の面白いと思う文章を書いてください。語り方なんて、そのひとの語ることに合う語り方をひとつ見つけていればそれで話は十分だから。それが見つからなくて苦労はするけど。

『ここは見世物の世界、何から何までつくりもの。でも、わたしを信じてくれたなら、すべてがほんとうになる』

この一年で、四つの短編を作った。『赤い風船、笑うピエロ』、『ハイライトと十字架』、『バナナフィッシュのいない夏』、これまでに発表した三つの作品はすべてオマージュだ。だけど、この秋に最後に書いた未発表の原稿は、僕のオリジナルのストーリーだ。すぐにでもnoteに上げて発表したいところではあるけれど、せっかくなのでこの未発表の原稿を加えた短編集を、電子書籍にしようと思う。KDPから離れて三年ほど経つが、年末ごろに電子出版できればと思う。読みたい人は買ってくだされば嬉しく思います。

いまでも折り合いをつけるのは嘘くさくてヤだなと思うし、社会に迎合して延々と頭を下げつづけるのもそれはそれで何だかなとは思う。けれど、生きるためには仕方がないので、来週は求人に応募してきます。一般的な枠とは違うところで、在宅のライター職の求人があったので通ればいいかなと思います。病んだ社会的ひきこもりにはこれくらいが限度です。あとは書房の運営とライティングをやりながら、ブログでちょくちょく生存報告しつつ、フリーのライターを目指そうかなと。ものを書いて生きていくこと、十年前に患った精神の病、断絶した社会との関わり、その辺のすべての落とし所がここでした。ある意味では学生の頃の就職活動で納得できなかったことが(納得してやるやつなんてひとりもいないとおもうけれど)、十年やったおかげで、はじめてもう進んでもいいよなと思えたのかもしれません。金にならないくらいで小説やめるなら最初からやってません。これからも書くためにしぶとく世の路地裏を野良猫みたいに生きてやろうと思っています。以上。

21.10.30

kazuma

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今後のkazumawords.comについての覚書

個人ブログかnoteか、それが問題だ。

どうも、もの書きのkazumaです。久しぶりに改まって挨拶をした気がする。最近、ちょっと悩んでいたことがあった。自分の書いた文章をいったいどこにアップするのか、という問題だ。インターネットに数多といるもの書き。ネット上で文芸関連の記事を検索すると、それこそ星の数ほどでてくる。何気なくスクロールしていた画面の中に、突如として彗星のように現れる才能の片鱗を目にすることもあれば、いったいなぜこんな文章が(失礼)評価され、こんなにもひとびとの目に触れるように拡散されているのか、ちょっと不思議な目で見ることもある。

もの書きにとって文章は自分の子どものようなものなので、どこに出すかは、その子の未来にとって重要だ。インターネット上の文芸のプラットフォームは、たぶんいまになってようやく整いつつある、という状況で、一番フラットに見えるのはおそらくnoteだと思う。

総合文芸プラットフォームとして台頭しつつあるnote。画像から僕のnoteクリエイターページに飛べます。フォローお待ちしております。

カクヨムやエブリスタなども登録するだけしてみたが、どうもレーベルの色が濃くでていて、どちらかというとエンタメ寄りのライト文芸が優遇されている印象がある。もちろん、作風が合えばそちらに遠慮なく出せばよいのだろうけど、僕の書いたものはどこに出しても何となく収まりがわるいようで、ここ一年に書いた短編小説はとりあえずnoteに置いている。

noteを覗いてみると、総合的な文芸のプラットフォームとしてかなり台頭してきているように思う。主婦の日常エッセイから、読書レポート、作家志望の文芸記録、たまにあるがちがちの純文学作品に至るまで、プロアマ問わず、フィクションからノンフィクションまで揃い踏みだ。よく言えば何でもある文芸デパートだし、わるく言えば玉石混交ではあるけれど、そのごった煮感を楽しむのもネットの醍醐味のひとつだろう。

とくにTwitterでフォローしたり、フォローされているもの書きの人たちはかなり高い確率でnoteのアカウントを持っていて、そこをメインに活動している方も結構いるようだ。

一応、はじめましてのひとに僕のブログ遍歴を明かしておくと、大学生の頃、ひとりでアパートで過ごす時間の多かった僕は(サークルは一年で辞めたし、あとは授業とバイト漬けだった)、ライブドアの無料ブログで記事を書いたりしていた。はじめてネット上に小説を上げたのはその頃だ。

一応、社会人の年齢になってからは、はてなブログに移ってKDPで電子出版の作品を作りながら三年くらい記事を書いていた。小説ではない文章を書くのも僕はわりと好きで、平気で三時間くらいぶっ続けでやっていてもとくに苦にはならない。好き勝手に書いているところがあるからだと思う。

ただライブドアブログはひとが少なすぎたし(主に僕の文章力のせいで)、はてなの方は、かなり独特の空気感があって、スターを互いに押し合ったり、ブクマされたりするという文化が最後までわからなかった。

それで、もう独自に自前のブログを作った方が早いんじゃないかということで一年前にドメインを取得して、このkazumawords.comを始動させた。

noteが当時からプラットフォームとして出来上がっていたら、最初からそちらを使ったと思う。いまから文芸活動をネット上ですぐにやりたいというひとは、カクヨムやエブリスタの推すライト文芸にこだわらないのであれば、noteはよい選択肢になると思う。

僕ひとりのぼやきでは意味がない

ただ、僕はこのWordPressのブログを作り替えてみようかと考えている。
いままではある意味、僕のぼやきというか雑記がメインになっていて、せっかくきてもらったもの書きのひとに役立つようなサイトにはなっていないんじゃないか。そういう思いがずっとある。

noteは確かにシンプルで洒落ていて、文芸勢にはかなり恵まれたプラットフォームだ。でもやっぱりうちの子はうちの子なので、自分の書いた文章は、自分の手許に置いておきたい気持ちがある。

なので、棲み分けとしては、noteにはこれまで通り短編作品置き場として使いつつ、メインのブログはこちらで。でも、noteにもたまーに顔を出すよ、ぐらいの配分でやっていきたいと思っている。割合で言うと9対1ぐらい。

WordPressの基本的な操作は覚えた(半年かかった)

WordPressの投稿に慣れるまで半年くらい掛かった。どのブログサービスでもそんな感じだったので、そういうものなのだろう。取りあえず基本的な最低限の操作ができるようになったので、いままでのような雑記メインではなくて、文芸をテーマにここでなにかひとつやってみたいなと思っている。

小説の書き方、読み方、一緒に考えながら文芸する

僕が小説を書き始めた頃、小説の書き方について教えてくれるサイトはほとんどなかった。おそらくいまでも納得できるようなものはない。よく言われるのが、書き方はひとから教わるものではない、教わって使えるようなものは実際には使えない、という話だ。それで、時々出会ったひとに聞いてみたりしていると、どうもみんな書き方については自分の持論みたいなものを持っている。どのひとに聞いても何かしら一家言はあって、それは他のひとには適用できないが、『おれは小説についてこう思っている、お前はどうだ?』 聞く人、聞く人、みんなそんな具合なのである。僕はその度に答えに窮して困った。

そのときに思ったのは、僕はやはり僕なりに小説について理解し、それを誰かにきちんと語れるようになるくらいでないと、おそらく自分の小説を書くことはできないんじゃないか、というところに思い当たった。僕なりの小説の地図、あるいはもっと機械的な言い方をすれば個人的なマニュアルのようなものを。

それがないなら僕が作ってしまえばいい。そう思ったのである。

もちろんすべては仮説だし、僕がこう言ったからといって、その通りにすれば誰でも書けるかといったらそういうわけではないけれど。

小さなもの書きの船着場に

僕は十年に近い歳月、二十代のはじめからおわりまでを文芸に振ってなにもつかめなかった奇特な人間だ。ほんとうの意味で参考になるようなことはなにひとつとして言えないかもしれない。でも、もう一度ここから、すべてを白紙にして、書くこと、読むこととはどういうことなのか、そういうことを突き詰めていきたいと思っている。その過程をブログに残しながら、同じように文芸をするひとが、『わたしはこう思いますよ』『僕はこう思うんですが』と言いながら、一緒に歩めるような場になれば、願ってもないことだと思う。もう一回、文芸に十年振ってもいいと思っている。それで駄目ならまた十年だ。僕は他人が思っているよりも相当諦めの悪い人間だ。

近いうちに、このブログをデザインを含めて作り替えたい。原稿の方は十月末の予定にしていたけれどもう少しだけ延びるかもしれない。とりあえず書き進めています。今日はこれで。

21.10.22

kazuma

 

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記念行事

同じ道を歩けない僕らは。

どうも、kazumaです。今日はちょっとした昔話をしにきています。まずは近況から。

この二週間というもの、ほとんど社会から隔絶された暮らしをしています。何時に起きるのも自由だし、何時に眠るのも自由。朝と晩に原稿をやって、書房に一冊本をアップするほかは、とくに決まり事はありません。ルーティンを立てて、一週間ほどやってみたのですが、原稿と書房、ライティングのほかは残さなくても結局生活は回るのだということに気が付きました。ルーティンで増えたのは三食自前でつくるということくらいです(今週はサンドイッチをたくさんつくりました)。そのほかのことは元々、意識せずともやっていたことだったので、明文化することで再確認するのに役立ちました。

二回目のワクチン接種が終わった段階で次の仕事を探そうと思います。来月にはまた非正規の労働をどこかでやっている気がします。働いていたときは、ものすごく嫌な思いをしながら、毎日しぶしぶ行っていて、いまみたいに一ヶ月ほどの休暇が取れたら、それはまるで天国のようだなと考えるものですが、実際に蓋を開けてみると、それはそれでまた生ぬるい泥の中へと浸かっていくような地獄でした。

とはいえ、日常の通勤やら会社での人間関係やらを一時的に無効にして逃げ込めたことは、悪くありませんでした。症状はずっと十年前からあるのですが、辞めたあとは症状があってもあまり気にならない時間があるというか。単にひとと会う場面がほとんどないので、そういう症状が目立たないだけかもしれません。

今日は十月十日です。僕は毎年この日になると、感傷的になります。感傷的なのはいつものことですが、それよりももっと違った意味で。ハレの日の感傷とケの日の感傷とでもいえばいいでしょうか。

僕の暦は、十年前の十月十日から始まっています。正確に言えば、2011年10月10日の午後です。それ以前では僕ではなかったし、それ以降では遅すぎるのです。人間が生まれる日が定まっているように、人生において分岐となる日が誰しもあると僕は考えています。それはその瞬間にいるときに気づくことはマレです。大抵は振り返ったときにあの日、あのとき、あの場所がレールの切り替わった地点だったのだとわかります。ひどいときには現在になってもどこでレールのポイントが切りかわったのか、わからないこともあります。

ある不幸なできごとがあって、その根源を辿ろうとしたことがあります。出来事Aが起こるためには過去の出来事Bが起こっていなければならず、その出来事Bはさらに過去の出来事Cがなければならない。卑近なたとえばですけど、僕がこの時間にこの文章を打っているためには、夜にまとまった時間がなければなりません。また記事をアップするためにはPCが必要ですが、今使っているMacをどこかの過去の地点で手に入れていなければこのタイピングしている文章も存在しません。今日のこの日に時間をつくるためには、僕は一旦会社を辞めていなければならず、Windowsではなく、Macを選ぶことをしていなければ、多分変換の具合で微妙に異なる文章が生成されていたことでしょう。

この例ではあまりにも身近ですが、これを実際の自分の人生で、もっと大きい規模のスパンでやるんです。僕は自分がなぜ病に罹ったのか、どうしてこういうことが起きて、病ではない未来がなかったのか、必死にその理由を探しました。僕の病は精神医学の領域で、現代でもまだはっきりとした説明はついていません。治療法は薬物治療が一般的ですが、確実に寛解に至ることができるわけでもありません。ナマな話をしてしまえば、おそらく現代の最先端の医師でも学者でも、その根本のところはおそらくわかっていないのです。僕はそういう病に十代の終わりに罹りました。二十歳の誕生日を病院で迎えたことはありますか? ひとりの友もなく、東京から夢破れて、出て行った時に使っていたトランクトローリーをがらがらと引きながら、真夜中の見知らぬ街を歩いていたことを、僕はいまだに思い出すんです。そのとき、世の中はちょうどクリスマスが終わった頃で、街のイルミネーションの残火がちかちかと点灯していました。

一年前にKというひとについての話をしました。リンクは張らないので、知りたい人は各自で辿ってください。すぐに見つかると思います。

Kは僕にこの世界の文法を教えてくれたひとです。本人はまったくそう思ってはいないだろうし、僕のことはもう記憶にないでしょう。その方がいいのです。僕にとって彼女はひとりしかいなくても、彼女にとって僕はいくらでもいる友人のひとりでしかなかったから。

僕が人生でいちばん幸せだった瞬間を挙げろと言われれば、いまでもこの十年前の十月十日の午後を思い出します。人生で手放しで喜べる瞬間など、ほとんどありません。でも、その日、そのとき、その場にいた僕は違ったんです。Kがテーブルの向こう側の、すぐ手の届く場所に座っていたから。そこから先は離れていく一方でした。Kは僕の人生に突然現れた彗星みたいなもので、僕の周回軌道では一生追いつけない位置にありました。

留学中のKにEメールを打ったことがあります。僕はちゃんと履修したかどうかも怪しい、たどたどしい英文を打って、文法的にはおそらくかなり問題がある、でも日本人にならわかるような表現で、彼女のアフリカでの生活がうまくいくことを願いました。数日後、メールが帰ってきて、彼女は自然な英語を使って、近況を簡単に話してくれました。帰国後に会えることを楽しみにしていると。結びにはwarm regardsと書かれていました。僕が馬鹿丁寧でビジネス用途の、親しい文面にはまったくそぐわない、sincerely yoursを使ったあとで。

彼女が教えてくれたのは、単なる英語の文法ではなく、この世界での生き方でした。もしいま話をしてこんなことを言ったら、たぶん「そんなもの、教えた覚えはないんだけど」と彼女は困った顔で言うかもしれません。分かりません。でも、ほんとうにそうだったのです。

僕はその日の午後を境に、斜面を転がるように下っていきました。ある意味ではまだはじまってもいない、社会人のスタート地点にも立てぬまま、底の方へと下っていったのです。ニーチェ的な意味では没落です。でもニーチェは確かに何かを掴んで没落したのに、僕はなにひとつ掴むことなく、突然、足元にできた裂け目のなかに落ちて、わけのわからない奈落へ進んでいきました。

大学の授業でのことを僕はいまでも覚えています。病に罹って、病院での入院(というよりも収容に近かった)生活を切り抜けて、やっとの思いで復学した僕は、大学には何とか通えるものの、ひととコミュニケーションが取れない廃人になりかかっていました。薬の副作用で呂律は回らず、病に罹る直前まで輪郭が見えていたものが見えなくなり、すべてが混沌とした、自分には手に届きそうにないものに見えました。僕はKに挨拶するだけでももう精一杯で、自分の番号の席に着いたときに、僕は彼女の人生からいなくならなければならないということを、はっきりと悟りました。僕はこれから関わることになるすべての人間を不幸にするかもしれない、なぜなら僕はどんな人間ともいつか関係を反故にせざるを得ないから。そういう風にものごとを見るように変わっていきました。背景には僕の家の因習も関わっていて、僕は今でもその網目から完全に脱け出ることができたとは言えません。思想的な意味でそういったすべてをはねのけることが、後天的に得た文学や哲学によってでできても、物理的な意味で自立できているわけではないからです。その網目から抜け出さないことには、僕はほんとうの意味では誰とも関わることはできません。いつか沈んでしてしまうことが分かっている船に乗っているようなものです。

僕はその学内にいた学生のうち、九割九分九厘が通ることのない道を歩きました。思想的な意味でも、実人生という意味でも。彼らには彼ら同士で同じ道を歩くことはできます。それは世間的に見ればかなり歪な道ではありますが、すくなくとも閉鎖的な特殊なコミュニティのなかで担保された人生です。友人は友人のままで、親は親のままで、教師は教師のままで、知人は知人のままで、恋人は恋人のままで。そんな風にいることが、閉じた輪の中で許されている人生です。ただ彼らの大半も僕と同じように特殊な環境で育ったために、それなりの代償を意識的にか無意識にか払わされています。Kも例外ではありません。僕は彼ら彼女らとは同じ道を歩けなかった、僕らが目指している方角はすべてが真逆で、互いが対立しあい、そこから逃れるために僕は数え切れないほどの嘘をつくことを余儀なくされました。歩いて行く方向が違うもの同士が同じ道を歩くことはできないのです。それが許されているのは、ほんのたったひととき、偶然にも交点が混じり合った瞬間だけだから。

いつの間にか日付を跨いでしまいました。僕が彼女の前から何にも言わないで姿を消すことを決めたのは、僕が病を持ち、家庭の因習からは逃れられず、決して同じ方角へ向かって歩くことのできないことを二十歳の僕が知っていたからです。誰とも一緒にはいられないことを知っていたからです。僕は十年かけて出会ったひとびととの縁を片っ端から削ぎ落とし、切り刻んで生きてきた人間です。その根っこの出来事Xにまでたどり着いたとき、この出来事の根は、実は僕が生まれる前の地点からはじまっていることに気がついてしまいました。その瞬間、僕は人間には決して超えることのできない壁があるのだということを、理屈抜きにわかったんです。それで僕はこの袋小路に入ってしまった人生をどうすればよいのか考えたとき、ひとりで小説を書いて生きていこうと決めたのでした。

生身の僕は誰とも共に歩めなくとも、言葉だけは歩んでくれるように。一緒に火のなかを歩んでくれるように。

To K

I’m still writng novel almost ten years. But I can’t go with you in same path.

Happy Birthday.

21.10.10

kazuma