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一馬日報(手記) 文芸活動記録 記念行事

「未来の空想」

新しい執筆の相棒、M1 Macbook Air。ついに未来に来てしまった。

こんにちは、kazumaです。久々の記事投稿だ。

退職が目の前に迫っている、あと一ヶ月ほどで僕はいまのネット書店のバックヤードからいなくなる。特にこれから先にアテがあるわけでもない。辞めたあとは、ライティングと書房と別のアルバイトを見つけて食いつなぐと思う。

作家志望の回想

ものを書き始めたのは十九の頃からだが、それから十年間、合間を縫っては小説を書いてきた。ほとんど文芸関係のことに費やした。悪くはなかった、それなりに文章らしいものは書けるようになってきた。おかげで他のものはみんな溝に捨てた。交友関係も片っ端から切れていった、精神的な病も抱えることになった。それでも僕は歩いてきた道が間違いだったとは大して思ってもいない。こうなるしかないものは、こうなるしかなかったのだ。

最初の五年間はほとんど公募まっしぐらだった。書き続けていればいつかは通るぐらいに思っていた。大学の単位もゼミ授業以外はすべて取り終えていたので、執筆にかけられるだけの十分な時間があった。卒業後は作家になると息巻いてそれがどういうことかもわからずに就職活動さえまともにしなかった。単純に人と話をするのが絶望的なくらい嫌いで、本の活字を読んでいる方が遥かにましだったから。東京の会社でやっていけるタイプじゃない。典型的な、もっともダメな文学部生だ。

卒業後は地元に戻ってスーパーで働いた。朝の六時に起きて、薬の副作用に苦しみながら、文章や本とは全く関係のない仕事をした。僕は一番憧れていたものにもう関われないのだと思いながら、野菜の段ボールの角で手を切って、カーゴに無分別に投げ込まれたその茶色い束を見ていた。あの時に指先から流していた血のことを今でも覚えている。真冬の冷凍倉庫の中で帰ったら小説を書こうと、今日こそはと、そう思いながら自分では全く食べもしない冷凍食品の在庫を震える指で数えていた。

僕が深夜の三時に椅子から転げ落ちて倒れていた頃に、友人たちはそれなりに浮き沈みがありながらも、家庭を手にしたり、いつの間にか父親や母親になっていたり、真っ当な職を得て、ちゃんと暮らしているようだった。ひとり、ふたりと疎遠になった。馬鹿げた夢を見続けているのはどうやら僕だけだったらしい。かつての友人たちはもう、僕の連絡先の中にはない。容易に辿り着くことも彼らにはできないだろう。

書いたものは紙屑だけだ

ちょうど書き始めてから五、六年が経とうとしていたとき、ある人からこんなものは小説でもなんでもないと言われた。それまで、僕は我流でやみくもにものを書いていた。六年もの歳月を、ほとんど手癖だけで書いていたのだ。それまで正面切って、書いたものを切り捨てられたことはなかった。批判する値打ちさえない作品を書いていたから。

その後、僕は文学学校やもの書きのグループを出入りするようになって、リアルの知人たちにも時折、書いた作品を手元に押し付けて(無礼千万かもしれないが)、意見を求めた。返ってくる感想はやはり芳しいものではなかった。じゃあ僕が今まで書いてきたものはいったい何だったのだろう。何かが崩れていくような音がした。目の前の原稿の束が、作家であることの証明ではなく、ただの紙屑へと変わっていった。

その辺りを境にして、僕の誇大妄想でできた奇妙でグロテスクな紙の城に、現実の影が忍び寄ってきた。自分のことを果たして胸を張ってもの書きと言えるのか? このまま文学とは全く関係のないアルバイトを続けながら、肥大化した自意識のカタマリのような文章を延々と打ち続けるのか? それで誰かひとりでも喜んだりするのか? 

当時、僕が書いていた文章について、ほぼ全員が一致して指摘したことがあった。この文章の中には、何もない。形がどれだけ整っていても、空っぽで、そこには他者が存在していない。読んでいて何も感じない。書き手は傲慢で、読者を置き去りにしている。

そういうものを人に読ませるのですか? 時間の無駄ではないですか? あなたは誰のために書いているんですか……。

誰のために書くか? 小説とはなんなのか?

書けば書くほど、誰のために書くかわからなくなった。僕が思い込んでいた小説像と周囲の人間が思う小説像には致命的と言えるほどの乖離があるのではないか。僕は小説についてちっともわかっていなかったと認めざるを得なかった。それがわかるまで、何年の時間を掛けようと、ダメなものはダメなのだ。行き詰まった。

スーパーを退職したあと、次の職に移る前に古物商の資格を取った。本に関わる仕事をどうしても諦めきれなかったからだ。その後、一馬書房を開店してからいまのネット販売の中古書店の会社に入った。

思えば少しずつ僕は諦めていった。思い描いたような作家の生活(そんなものはハナからない)、友人たちのようなまっとうな暮らし(特殊な事情と病を抱えていては望めない)、社会でなにがしかの役割を果たして生きていくこと(世の端っこにぶら下がっているだけでもう精一杯だ)。

誰かが歌っていたことだけど、信じたものは皆メッキが剥がれていく。

僕は十年経っても同じ場所をぐるぐると廻り続けている。皆は何者かになっていくが、僕は一生、何者にもなれない。相変わらず宙ぶらりんの痛々しいダンスを真っ白なノートの上で踊っている。それでもものを書いて生きていく夢を棄て切れなかった。このペン先が描く青い線がいつかふつりと切れてしまわないかと怯えながら。

再読

この前、noteに上げた短編作品の読み直す機会があった。作品としては無視されたり、批判されたりもしたけれど、思ったより悪くなかった。自分で言うのもなんだけれど、思ったより悪くなかった。そのことにちょっとびっくりしている。なんだか言いたかったことに少しずつ近づいていっている気がするのだ。

僕はかつて作家志望で、十年経っても作家になれなかった人間だ。でも、それを嘆く必要はまったくないと思っている。書き続けることだけがものかきであることの必要条件で、それ以外にはなにもいらないのだ。

世の中は段々と、僕みたいなへんくつ人間も、そうでない人にとっても棲みづらいような場所になってきている。声を上げるならいまだと思う、自分の思った方向に進みたいならいまだと思う。そういうタイミングの渦中にいる。選択肢の分かれ目に立っていると思う。

未来について思うこと

僕は言葉で人を助ける手助けがしたい。仕事はネットのライターとして、個人としては小説を書くことで、あるいはkazumawords.のブログやnoteを通して発信することで、僕の言葉で届かなければ、一馬書房の活動で古本を届けることによって。

僕は商業作家にはなれなかったかもしれないけれど、もの書きにはなれたよ、ライターになれたよ、古本屋の店主になれたよ、この十年間もその先も、ものを書くことだけは諦めなかったよ、そんな風に未来で言いたいのだ。

M1 Macを買った話

今からちょうど一週間ほど前に、貯金をはたいてM1 Macを買った。僕はこれまでずっとWindowsを使い続けてきたのだけれど(その理由は以前話した)、ちょうど十年の節目と、退職も重なって、そろそろ僕は新しい方向へと歩き出したかった。大学時代に深夜まで働いていたアルバイトのお金を僕は十年、机の中に残していた。封筒は昔の地方銀行のもので、しわくちゃになった封筒からは旧紙幣が数枚出てきた。亡くなった祖母が贈ってくれた物もあった。少ない給料から毎月一万ほど天引きして、なんとかやりくりして、認定整備品の新古品を十万以内で安く手に入れた。この文章はいま初めてMacで書いている。新しい相棒はsurfaceとギリギリまで迷ったが、これから何年も使っていくことを考えて、人生で初めてMacを選んだ。後悔はない。

あとは書いて生きてくだけだ。周りのものがすべてなくなっていっても、僕の書いたものが残ることはなくとも、かつて会った人びとが遠ざかっていっても、僕はずっと一(はじめ)からこの机の前に座っている。昔、病棟の中でひとりで空想し続けていた頃のように。この檻のような場所から出たら、きっとこんな風に生きるんだと、信じていたことを、僕はいまやろうとしている。

僕にとっての小説

誰も彼もが忘れていった人間の話を僕はしたいのです。あらゆるコミュニティから切り離され、この世のどこにも居場所を求められず、一人ぼっちで街をさまよい、心を閉ざし、慰めになるのはただ空を見上げるような空想ばかり、信じられる人は一人もいない、そういうひとに読んでもらえる話を僕はずっと書きたかった。

kazuma

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「日陰者の文学」

『バナナフィッシュのいない夏』の執筆を終えて。

短編新作『バナナフィッシュののいない夏』について

こんにちは、kazumaです。三週間ほど前に短編の新作を書き上げた。『バナナフィッシュのいない夏』というタイトルで、noteにアップしている。バナナフィッシュ、とあるように、今回の作品はJ・D・サリンジャーの『バナナフィッシュにうってつけの日』のオマージュだ。新作短編はこれで第三作目となる。だいたい三から四ヶ月にひとつ、短編を発表するのが、僕にとってはちょうどいいリズムだったらしい。また秋ごろに発表できればと思う。作品を読んで、ひとりでもサリンジャーに興味をもつきっかけになってくれれば、本望だ。

新作短編はこれまですべてオマージュで、一作目の『赤い風船、笑うピエロ』はカポーティの『ミリアム』から、二作目の『ハイライトと十字架』は同じくカポーティから『ティファニーで朝食を』、そして本作がサリンジャーの『バナナフィッシュにうってつけの日』から。作品そのものを真似ているわけではないが、その本たちからイメージを膨らませてつくった。重要なキーとなるモチーフを各作品から拝借しているので、厳密にオリジナルの作品とは呼べない。次回作は、そうではなくて、僕自身の興味関心からつくった作品をつくりたい。

Twitterには時々出没しているが、SNSは少し控え目にしている。ぽつんぽつんと雨垂れのようにつぶやくのがいちばんいい距離感だと思うのだけど、使っていると時折豪雨のように連投してしまうことがあるので、意識的にセーブしている。メンタルの調子が悪い時に、たまたま目にしてしまった通り魔のような言葉に引っかかってしまうこともある。そういうときは、電源ごと落として通信をまるごと遮断してしまう袋に入れてしまう。それからテーブルの引き戸の奥に入れておく。床に転がって心ゆくまで考え事をする。寝てしまうのがいちばんだ。

近況

近況、と言えるほどのことはないけれど、いまの職場を退職することが決まった。辞めたあとはライターを目指そうと思っている。半年ほど前からランサーズでライティングやタスクの簡単な案件を受けるようになった。まだ雀のなみだほど。ただパソコンひとつで、文章を書いて上げれば、それでお金がもらえるというのは僕にとっては魅力的だった。それで食べていくとなるとよほどのことだろうと思うが、ものを書いて食べていくという夢を僕は棄て切れなかった。この時期、僕は小説や文学とはまったく関係のない文章を書いた。購入したもののレビュー、街中のおすすめスポット、病に関わることについて、大学の研究モニター、英文のサンプル作成、ECサイトの使用感、などなど。

僕はひとと関わることにものすごく難がある。同じ年代の人間がとっくに身に付けているであろう世間話ひとつできない。世の中にあるものをほとんど知らない、それでも生きていかなくてはならない。僕にはメジャーの生き方はできない。マイノリティはマイノリティの道を見つけなくてはならない。ひとと関わることが難しくとも、病を抱えていこうとも、僕は僕の役を引き受けなくてはならないのだ。それはメジャーだろうが、マイノリティだろうが同じだ。部屋の外に一歩出れば起こる、ありとあらゆる納得のいかない出来事を目の前にして、それでも僕らはそれらを改変することはできない。職場に行けば、些細なことで非難される、鼻持ちならないやつに出会う、道を歩けば偏見やこころないひとの目に晒される、ごくわずかの親しい友人にさえほんとうの悩みは理解されない、同じ屋根の下で価値観のまるで違う人間と暮らす、これまで生きてきたなかで出会った人達から遠く隔てられたところにいるように感じる、そういうすべては僕個人のちっぽけな意識や納得の域を遥かに超えて進行する。自分ひとりであがいてみてもどうにもならない。いくらそれを嘆いたり、批判したり、恨んだとて、対立的な概念を持ち出しているうちは、克服されない。原因の根が過去からやってきたものを改変することはできないのだ。

福田恒存の『人間・この劇的なるもの』

いま読んでいる本は福田恒存の『人間・この劇的なるもの』という本なのだけれど、その中でこんなたとえがある。劇中の人物を演じる演者は、この劇の行く末をすべて知っていながら、なおその舞台にいる合間はいま正にそのことを知ったように演じなくてはならない、という。

役者のせりふは、戯曲のうちに与えられており、決定されている。かれの行為にはわずかの自由も逸脱も許されぬ。どんな細部も、最後まで、決まっているのだ。いいかえれば、未来は決まっているのだ。すでに未来は存在しているのに、しかも、かれはそれを未来からではなく、現在から引き出してこなくてはならぬ。かれはいま舞台を横切ろうとする。途中で泉に気づく。かれはそれに近づいて水を飲む。このばあい、気づく瞬間が問題だ。泉が気づかせてはならない。かれが気づくのだ。かれが気づくまでは泉は存在してはならないのである。

すでに決定されている行動やせりふを役者は、生まれてはじめてのことのように新鮮に行い、新鮮に語らねばならぬ。ここでも二重性が問題になる。戯曲のうちには、それを読んでいるものもいようし、二度見るものもいよう。それでも、彼らははじめてのものとして享受したがる。そのためには、役者は未来に眼を向けてはならぬ。現在を未来に仕えさせてはならぬ。かれは現在のみに没頭する。芝居の最後まで知っていて、しかも知らぬかのように行動すること。

『人間・この劇的なるもの』新潮文庫 福田恒存著

ここにどうやら、ままならない世界で生きるためのヒントが隠されているように思えてならない。もしかしたら、僕の人生は一から百まで、最初からすべて決まっているのかもしれない。生まれてくる家は選べない、誰の子供になるか選べない、どういう環境で育つのかも選べない、それによって左右される行き先も、自分では選んだと思っている人生の別れ道も、ほんとうには選んだ訳ではなかったのかもしれない。最初から劇の筋書きがあって、それによって与えられた役割を演じるだけに過ぎないのかもしれない。先のことを考えると雲行きはあやしく、何となく行き着く先は昏いように見える。もう最初から結末が見えているような気がしてくる。にもかかわらず、実際にはそれらは見えていないのだ。まだ見てはいないものを、さも見たかのように扱ってはならないのだ。

学芸会の記憶

僕が人生で唯一しなくてはならないことは、僕の役割を演じることだ。小学校の頃、学芸会があった。僕は舞台の隅でダンボールに緑色のマジックで塗った草むらを持って立っていた。とくに台詞があるわけでもない。主役の座はいつも必ずクラスの華やかな人間が取っていて、僕はいつも余りの役を引き受けた。一言も話さずにただ草むらの段ボールの後ろに息を潜めて、時間が来たら袖へ引っ込んだ。そして入れ替わり立ち替わり演じていく同級生たちを眺めていた。スポットライトの当たる主役の子らは、舞台から降りて普段の日常に戻っても主役なのだ。彼らに草むらで息を潜めて待つ人間の気持ちはわからないだろうと思った。そして同様に、常に人の輪の中に立ち続けていることの辛さも、僕には分からなかった。

タイムラインと友人

つい先日、あるタイムラインを見たときに偶然、学生時代の友人の投稿に気がついた。彼は僕と同じように地元へ戻ってきていて、病院の中で会った。似たような背景を持って育っていて、彼はそのことで苦しんでいるように見えた。僕は何といえばよいのか分からなかった。連絡先だけを交換して、また会おうと言って数年が経った。タイムラインの投稿には彼が梁で首を吊ったことが書かれてあった。生きていることが悲しくて苦しいと書かれてあった。写真のマークのところに彼の顔はなく、別の画像に挿し変えられていた。僕は何か言わなければいけないことがある気がした。

日陰者の文学

僕は一生、草むらの中で暮らすだろう。陽の当たるところには出られないだろう。じっと息を潜めて、夜が明けるのを待つだろう。それをこれから何千回と繰り返して、僕は何者にもならないだろう。

僕が小説の中で叫ばなくてはならないのはそういう負い目を背負ったひとに向かってである。何らかの避けられない理由によって、陽の当たる場所に出られなかった彼/彼女らの物語を。

別に僕自身が叫んだところで、誰にも届かないかもしれない。もの書きがひとり書くのを辞めたところで誰も哀しみはしない。また日常が淡々とはじまっていくだけだ。にもかかわらず、僕は周囲にとって大して叫ぶ必要もない悲しみや苦しみについて、ずっと話していたいのだ。そのことが何よりも大事なことのように思えるのだ。草むらに光を当てて、彼はここに居るのだと僕は言いたい。それがたとえ余計なお節介に過ぎないものであったとしても。

kazuma