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一馬日報(手記) 文芸活動記録

『表現の方途』

 こんばんは、kazumaです。最近はちょっと創作について思いあぐねているところがあるので、その辺のことを記しておく。

 以前、書き終えた短編、『ハイライトと十字架』は作者としてはわりとよく書けた方だと思っているが、感想をいただくとやっぱりどこか粗が目立つようで、いくつか指摘をもらった。時々それについて考えている。だいたい読者に実際に届くのは、作者の思っているよりも、二、三割ほどさっ引いた感じで伝わると以前ひとに教えてもらったことがある。なるべく百パーセントに近づけたいと思っているが、使用している手段は言語なので、当然百パーセントにはぜったいにならないし、書き手側に手落ちがあれば、誤解を生んだりもする。しかし文字として表現されないことには、作者の思いやイメージが伝わることはない。僕はまずここから微妙な思い違いをやっていたようである。

 つまり、言葉によって表現される前から心象があって、それはとくに他者に伝えなくとも最初から存在していると見なしていた。結論から述べることになるけれど、そういう心象が最初から存在しているように見えるのは、今読んでいる本の言葉を借りれば、ヤマカッコ付きの<僕>=作者のなかにのみであって、それを第三者から見た時にそれが存在しているかどうかを知るためには、なんらかの表現手段のちからを借りなければなにも分からない、ということだ。

 場合によっては、それが確かにそのひとの中に根付いた、どんなに素晴らしいものが自分の内側に眠っていたとしても、それが表現されないことには、「他者にとっては」存在しないことと同じになってしまうのだ、という点について僕はたぶん思い違いをしているらしい。

 指摘された内容のひとつに、作者(の心情)が誰か(読者)に向けてわかってほしいと思って書かれたもののように見える、というものがあった。

 これは作品とかだけではなく、Twitterなどの普段の発言でもどうもそう見えるらしい。だとすると僕は、Twitterで呟くのと同じ感じを、小説でも与えてしまっていることになる。

 実はこの指摘は、三年前に別のひとからも感想として受け取っていた。そのひとは小説についての感想だったけれど、たぶんその当時のネット上の言動もだいたいそんな風に見えていたんじゃないかなと思う。その辺りのことで、多分僕は小説の書き方に関して、何か決定的な思い違いをしているんじゃないかという妙な確信があった。

 三年前の、そのひとの意見によれば、僕はそもそも根底から作品を作り直さなくてはならないのだと言われていた。僕が思い違いをしているということは作者自身である僕にもなんとなくわかるのだが、それがほんとうはどんな性質のものなのか、それがはっきりとは分からずにいた。いまもそこを思いあぐねている。

 ここで一旦、昔話になるが、僕がそもそも小説を書き始めたのは、ただ自分のためにだけだった。その頃、僕は碌でもない感じで病棟に入っていて、周りには知っている人ひとりおらず、わりと社会から隔絶された暮らしをしていた。

 その辺の細かい事情はどうでもいいので省くが、その頃から僕は他人に対して心を閉ざしていたので、事務的な内容以外はとくにひとと喋ることもなかった。こころを開くということ、それを表すことは、僕にとっては一番の難題だった。

 部活動をやっていた頃、『お前は何考えてるのかぜんぜんわからん、ちゃんと口に出して言えや』と同級生になじられたことがある。その時、確かに僕の中には心象として表したい気持ち=怒りのようなものが確かに先にあるのだが、いかんせん、とっさにはそんな言葉が見つからないので、歯痒い思いをしたことがある。僕はある意味では一番苦手な表現分野を選んでしまったのかもしれない。
 言葉にする、口にするということは、幼い頃の僕にとっても一番苦手な行為だったのだ。何かを口にするくらいなら、さっさと回れ右をして、話すことなんて何にもないんだというように、そっぽを向いて明後日の方角へ歩き出す。そういう感じの子どもだった。

 でも僕はやっぱりちゃんと口にしなくてはならなかったのだ、言葉にしなくてはならなかったのだ。同級生はかなり気に食わないやつだったのだが、それでも何について怒っているかを言わなければ、相手に対してフェアであるとは言えない。僕はこういうことを実は小説のなかでも無意識にやってしまっているのではないかという気がする。
 つまり、作者が作者の中だけで分かっていることを省略して書くことで、読者に対してその目の前で回れ右をしている。事情について言及されることはない。それが意図して選択した表現=敢えて表現しないことを選んだ表現、であるならまだしも、僕がやっているのはどこからどう見てもそうではない。何について登場人物が哀しんでいるのかを、理由も明かされないままに、少なくとも読者の側から汲み取れるようなものになっていない限り、僕の表現は僕の中においてしか通用しないものになってしまう。読者がそれを読んで怒るのも当然だ。単なる作者のひとりごとや愚痴を聞かされるのは現実だけでもまっぴらごめんだから。

 僕が三人称視点の物語がうまく書けないことの理由も何かそこに問題の根がある気がする。技術的な問題なら、その都度、対処していけば、いくらでも潰すことができる。ただ創作のスタンスがはなから違っていたら、それは決定的な読者との裂け目になるのだということを僕は八年経っても何もわかっていなかった。

 三年前の指摘を、別の人から指摘される、しかもどちらも小説については相当詳しい人物にそう言われるのだから、僕の小説の書き方には欠陥があると言わざるをえない。他の技術的な面で多少の成長があったとしても、それは小説の本質とはまったく関係がない。技術が本質を覆うことはあり得ない。僕の小説は三年前から、その根本的なところで変化が起きていない。もっと厳しく言えば、何も成長していないことと同じだ。

 では、僕の一人称小説、あるいは視点人物における「僕、わたし」と一般的な文芸において使われている「僕、わたし」とはいったい何が違うのか。どうして同じ言葉を使用しているのにもかかわらず、一方ではただのひとりごと、単なるモノローグ、あるいはそれにすら及ばない自分語りであるのに対し、他方の一般文芸で使われている「ひとりごと」あるいは「モノローグ」が単なるひとりごとではなく、モノローグという体裁を取っていても読者の胸を打つことができるのはなぜなのか。
 そういうことを考えた時、僕の小説で使われている「僕」は作者の中でしか通用しない完全に閉じた、作者のなかにしか見えない「僕」であって、他方の「僕」は、おそらくその物語を読んだ人間にとっても「ぼく、わたし」となりうるような開かれた「僕」なのではないか。だから体裁がどんなに拒絶しているものに見えようとも、他者によって置き換えて読むことのできる度量のある「僕」になっていればそれは小説としてありなのだ。単なる作者一個人の範疇を越えて、より広い範囲をカバーしている、そして他者がその「僕」の範囲内の中に常に含まれてしまうような「僕」。それが書けた時に、僕はほんとうの意味でただのお話ではなく、誰かにとっての物語でもある「小説」を書けたことになるのではないかと思う。 

 その表現方法を学ぶのがものかきにとっては必要であって、僕はその勉強をきちんとしてきたか? と問われれば、やっぱりまだそうではないと答えるしかない。
 ある意味で、そういう自分なりの表現方法を模索するところに辿り着くことが唯一のスタート地点で、そこに到達するまでに何年掛かろうと、問題にはならず、むしろここからがはじめて創作に取り掛かると言っていいところなのかもしれない。
 僕はずっと八年間、我流だけでやってきたが、我流だけで最後まで押し切ってどこかに到達できるのは、ほんとうに一部の天才だけであって、凡才である僕はどんなに惨めであっても、ここに来るまでにどれだけの年月を掛けていたとしても、先人の作品から表現の技術を学ぶところからはじめなくてはならないと思う。その上でオリジナルな、自分の表現したいものに合った表現の方法を見つけなくては創作にならない。

 僕に指摘をしてくれたひとたちは、みな独自の小説論、独自の小説に対する美学と哲学を持ち合わせていた。僕はまだそういうものを持っていない。そういう眼で、もの書きの、表現する側の眼で物語を読めていなかったからだ。そろそろ鑑賞者としての視点は捨てて、作家の側の視点、ものをつくっていく側の視点を持たねばならないよ、と僕は以前にはっきりひとに教えられていた。ほんとうは教えられて気づくのではなく、自分で気がつくぐらいでないといけなかったにもかかわらず。

 作家がなぜこういう表現を選んでいるのか、どうしてこの構造を使用しているのか、何のためにこの位置にこの文章が置かれているのか。もちろん素直な読者として読んで、作者としての何かしらのメッセージを受け取るということをおろそかにすることはないと思うけれど、そのメッセージを伝えるためにどんな手段が小説内で取られているのか、そこのところを研究することが、少なくとももの書きであろうとするのなら、必要になってくる視点じゃなかろうかと思う。

 僕はそのメッセージの方はちゃんと受け取ろうとしてきたと自負しているけれど、それがどんな伝え方によって伝わっているのかを一度も考えられてはいなかったと思う。だから小説をその視点で研究する必要がある。僕はいち読者としては物語は読めても、創作者としてはまだ一度も読めてはいなかったのだ。

 僕が書いたものがもし、作者にとってのみ通用するものではなく、誰かにとっても置き換え可能なものが書けた時、僕の苦しみが、登場人物のかなしみが、そのまま誰かにとっての苦しみであり、かなしみであるような物語が書けたとき、僕はその時にはじめて小説が書けたと胸を張って言っていいのだと思う。そしてそれを表すために先人たちの物語の作り方から学ぶ必要があるのだと思う。

 細かい技術の習得なんてある意味どうでもよいことなのだ、僕はそれよりも誰かの苦しみやかなしみを描けるようになりたい。それ以外に僕が書いてきた理由なんてないから。

 正解かどうかは知らない。でも僕はまだスタート地点に立とうとしているだけの見習いもの書きだった。

 これからは、小説の研究をしながら、短編の習作づくりに励みつづけると思う。群像の方は落選だった。当然だけど、僕はまだ小説が書けていないから。どうせ学ぶなら僕は一番好きな作家たちから学びたい。サリンジャー、カポーティといった作家の作品から。以前、ティファニーで朝食をの解題をnoteに上げようとしていたが、中断していたので、もう一度やってみようと思う。 

 今度は内容についての言及ではなくて、この物語がどのように語られているのかという意味でのものかきの研究。ノートを一冊作ってもいいかもしれない。長編は書き上げてkindleの電子出版をするつもりだったけど、そっちはまだいまのところはお蔵入りになりそうだ。いまは短編から作り直したい。何回も何回も、納得がいくまで。新作短編は三人称に挑戦してみるつもりだ。未公開短編の第三作になると思う。

やるならこのあたりで。小説の研究。あるいは解体。バラし。分解。

 近況だけどTwitterからは離れた。僕みたいなタイプはそもそもSNSに向いていなかったのだと思っている。無意識に発した言葉で、たぶん気がつかないところで他人を抉ることもあるし、僕自身抉られてもいた。もうそういうのはこりごりなんだ。しばらくはひとりでブログで喋っていようと思う。元々、僕はブログ畑の人間なので。その方が性に合っているみたいだ。あと、この独自ブログを読みやすいようにメニュータブを付けてみた。ちょこちょこ変わっていたりするのでチェックしてみてほしい。

kazuma

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一馬日報(手記) 文芸活動記録 記念行事

「商業作家(公募)を諦めたっていう話。」

書くことを諦めたわけじゃない。

 おはようございます、kazumaです。今日は休日なので朝からこの文章を打っている。ここで一旦、自分の文芸に関するスタンスを確認しておきたかったので、ブログに記しておく。タイトルはちょっとだけショッキングだが、このブログをはじめた最初の記事から公言していたことを改めて書いているだけだ。

 僕は大学を出たとき、まともな就職活動はしなかった。一次試験のペーパーテストだけ受けて途中で帰った。いまでも覚えているが、面接前の会社説明会で集められた志望者たち同士で二人組を作って、与えられたテーマについて話し合ってください、というものがあった。家族についてだとか、そんなどうでもいいテーマだったと思う。周りは制限時間の十分まで(むしろその時間を過ぎてからも)ずっと会話を続けていたが、僕たちの組は一分も会話が続かなかった、僕が全然喋らないやつだったからだ。そのとき、僕はこれからこれがあと何年繰り返されるのだろうかと思った。馬鹿馬鹿しくて仕方なかった。まともな育ち方をしなかったせいか、誰とも喋れる気がしなかった。話すことなんて最初からないだろ、何を言ったって伝わらないだろ、大事なことは小説の中だけで言っていればいいだろ、どこかでそう思っていたし、いまでもまだそう思っている。病棟の中で窓の外の景色を見ていたときから、まだ半年も経っていなかった。もうまともな世界に戻ることはないと、病院の敷地を出たときからずっとわかっていた。僕はその説明会でげらげら笑って喋り倒していた連中が一度も見たことのない景色を見たあとにその会場の椅子にひとりぼっちで座っていた。無言で中央線の改札を抜けてさっさとその場を後にした。二度と面接は受けなかった。

 いま思うとでっち上げだったのだろうと思う、都合のいい嘘だ。他に適当な嘘が付けないので(僕はどうも昔から頭がわるい)、他に卒業後の行き先を説明することができないので、まるで僕は最初から小説家になるつもりで生きてきたのだと「信じ」こもうとしていた。その暗示は、二、三年はうまく行った。自分が何を書いているのかも知らないし、それが一銭にもならない種類の小説であることをちっともわかっていなかったし、なによりその小説は中身のない空洞のようなもので、もはや小説と呼ぶよりもただの妄想に過ぎないものだった。いまでも僕はそんな妄想だけしか書いていない。大学からの卒業後の進路を記載する欄は空白にした。その時、過去のほとんど全ての人間関係を断ち、連絡先を葬った。

 僕には嘘でも生きていく目的が必要だったのだ。そうでもしないと、人生の無意味さに耐えられずに押し潰されてしまいそうだった。会社説明会から立ち去るばかりか、ベルトを部屋のフックに掛けるか、さもなくば河にでも身を乗り出してしまいそうだった。ある日、真夜中の河川敷の橋の上で真顔で立っていたことがある、大雨の日に誰も知らない街の橋の下で濡れたアスファルトにただ座っていたことがある、真冬の公園のベンチに座って夜が明けるのを待っていたことがある。全部、どうでもいいことだ。それになんの意味があるだろう?

 僕は八年間、小説を書き続けて毎年公募にも出したが、一度も賞をもらったことはない。もらわなくてよかったなと思う。こんな勘違いをした人間の書いたものに、何かの手違いがあったとしたら、僕はきっともっとおかしな人間になっていっただろうから。頭がわるくてよかった。冗談抜きでそう思う。誰にも共感されないただのお話を書き続けた。馬鹿げた八年間の過ごし方だった、でも他に生きる道なんて知らなかったのだ。壁に頭を打ちつけて暮らしたことのない人間になにがわかるだろう。

 卒業後に本の仕事と思って勤めた書店のアルバイトは半年も続かなかった。そのあとすべてを諦めて地元に帰り、スーパーの品出しのアルバイトを二年半続けた。いまは古本の通販会社のバックヤードでこそこそと鼠のように働いている。その間にも病は僕の中にずっと棲み続けた。惨めだった。信頼できる人間はひとりもおらず、書いて痛みを吐き出すことだけが生きている理由だった。何を言っても自分の思い描いたような形にはならず、輪郭はずっとぼやけ続けるままだった。作品を発表しても無視と傍観と批判と文句の嵐だった。こんなくだらないものを送ってくるなと突き返された。何度も、僕は面と向かって怒られたことがある。僕がそこに書いてあることの意味がまったくわからない、読者を馬鹿にしているのかと。文学学校の合評会に出したときは、十人中十人が僕の書いた小説にバツを付けた。でも、僕には彼らがなぜ怒っているのかまったく理解できなかった。飛び入りで参加してきた若い学生には、あなたはなぜこんなくだらない小説を書いているんですかとはっきり言われたこともある。さっさとやめてしまえ、と言わんばかりに。ただ僕には彼らの言っていることが正直に言ってあまり理解できなかった。なんだかどうでもいいことの揚げ足取りに見えた。同じ景色を見たことがない人間に向かって、ことばにならない苦しみをどう表せばいいのか、その方法がわからなかった。壁に穴を開けたことがある、指の関節が赤くなるまで殴ったことがある、部屋中のありとあらゆるものを蹴り飛ばしてひっくり返したことがある。僕は見た目通りの人間ではない。どんなに低く見積もっても、まともではない。サリンジャーの短編のタイトルを思い出す。『I’m crazy』。

 僕が書きたいのは純文学ではない、誰かに見られて賞賛を浴びるような小説ではない、中央の文壇に認められるようなものでも、不特定多数のいいねをつけられるような小説でもない。僕は僕と同じ苦しみを知っているやつだけに話をしている、最初からそいつにだけ話をしている、ひとりぼっちでいる、誰と一緒にいても一緒にはなれないホールデン・コールフィールド、あるいはアフリカの掘立て小屋まで行って、二度と帰ってくることのないホリー・ゴライトリー、バナナフィッシュの浜辺を去ってさっさと頭に拳銃でも当ててしまいたくなるシーモア・グラス、そういう人間に向かってだけ、僕は話をしている。なぜなら僕はそういう人間に向かってしか、話ができるような気がしないからだ。そういう連中以外には、言いたいことなんて何もないからだ。世の中の人間とは真逆の方向へ向かってずっと走ってゆく、そういうひとに向かって言葉のバトンを渡したいからだ。そしてそれ以外に、僕がこの人生でほんとうにしたいことはないからだ。進んでいく方向なんてどっちだってよかったのだ。どんな道を選んだって同じだったのだ。いま立っている場所から前に進みさえすれば。あるいは、この世の瀬戸際でその一歩を踏みとどまりさえすれば。

 なんの説明にもなっていないが、これ以外に僕にできる説明の仕方はない。商業作家を目指す理由は僕の中でなくなってしまった。僕がこれからも書き続けるのは、誰も見向きもしない小説であって、十冊も売れる見込みのない本であって、世の中の大多数から反感を買ってしまうような、そういうものだ。それは本来、最初から僕の中にあるものではなかった、僕が持つべきものでも、進んでいく道でもなかった。プロだろうがアマだろうが、小説を書き続けることに変わりはない。どっちでもいい。僕はいまのこの惨めな生活に納得している、僕が選んだのはこの道だったから。世の中の誰にも知られずに、部屋の片隅にうずくまって頭を抱えて泣いている人間の気持ちがちっともわからない人生なんて、僕はいやだった。そんなものは誠実でもなんでもない。華やかなものは何もいらない、それよりもその辺の道端の側溝で足を踏み外してもがいている、そんな人間の人生の方が僕にとっては誠実だと思う。泥の中でも咲くことのできる華がほんとうの華だ。そう昔、誰かに教えられた。それが僕の学生の頃に教わった、唯一のことだった。他のことは知らない、知りたくもない。真逆の方向へ向かって行く。僕はひとりぼっちになっても歩き続けていくだけだ。他に書くことなんてあるだろうか。

 これからは、というか、これからも、僕は古本の仕事なりなんなりを続けながらものを書いていくことになると思う。日中は倉庫で仕事をし、帰ってからの時間で書房のことをやったり、このブログを書いたり、あるいはこれから進めていくライター関連の案件をやることになると思う。ものを書いて食べていきたかった、その夢をすべて棄てたわけじゃない。形を変えて叶うこともあると思う。僕は食べていくための道としては、ライターを目指していくことにした。それだってすぐに叶うことではないが、これが僕の現実的な夢の着地点だった。

 そしてライフワークとして、僕はずっと世の中から隠れて小説を書き続けていけばいい。日中の仕事やらその他細々としたことは、みんな仮の姿だ。生きていくための嘘だ。ほんとうの嘘をつくために、僕はまだ生きていくことを選ぶ。小説を書くために生きていることはなにも変わらない。これが僕の作家志望の八年間の、そして現実の自分自身への折り合い。

 最後に近況報告を。SNS(Twitter)からは一旦離れた。いまは自粛期間として、新作の告知、ブログ記事の発表、書房の宣伝、ただの連絡先、その他にはとくに使うつもりはない。あそこで僕は心情を綴り続けたが、断片的な、文脈のない140字では、ほんとうに伝えたいことは何も伝えられないし、実際伝わっているようにも見えなかった。僕には誰かとつながることよりも、誰にもつながらない場所のなかで、ものを考え始めることが必要だったのだといまは思っている。

 僕はまたひとりぼっちの机の前に戻ってきた。昔のことが懐かしくなったら、いつかサリンジャーのような話が書きたい。暗やみのなかを通り抜けることでしか小説は生まれない。物語はほんとうはそういうもののためにあるとずっと昔から信じている。

 kazuma

 2021/04/09 13:16

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一馬日報(手記) 翻訳・和訳

blink-182『Adam’s song』を和訳してみた。

新しいタイプライターキーボードが届いたので、今日の記事はこれで打ちました!

 こんばんは、kazumaです。今日はちょっと趣向を変えて、気になっている洋楽の曲を紹介しようと思う。僕はけっこう執筆中も、あるいは考え事に煮詰まってしまったときに音楽を聴いていることが多い。曲を聴いていると余計なことは考えずに済むし、周りの雑音を消してしまえる。いまもタイピングをしながらBastilleなんかを聴いている。大体洋楽のポップソングやオルタナティヴロックを聴いているが、大抵はイギリスのアーティストだ。なぜかどうも曲が気になる時に、アーティストを調べてみるとイギリスのシンガーであったりすることが多い。読者諸兄はそんなことはないだろうか(読んでいる本が気が付いたら特定の国の作家に偏っていたり)

 学生時代はOasis、Ed sheeran、それからさっきのBastilleを好んで聴いている。他にもJames arthurやLewis Capaldiが好きだ。みんな英国のアーティストである。はじめは言葉の意味もわからず聴いているが、意味なんてわからなくとも伝わってくるものがあるのが音楽のよいところだ。

 気になったアーティストの曲はなるべくCDも買って歌詞も読むようにしている。依然として僕はサブスクリプションサービスや何やらについていけない準アナログ人間なのだ。未だにCDからiTunesに読み込んで、曲を入れているし、CDコンポで曲も流す。
 英語については僕は素人で、大学の別科にあった翻訳の授業にちょこっとモグリで顔を出していたくらいだ(そういうモグリで聴いていた授業の方がけっこう面白かったりするのだ)。義務教育課程の英語が何となくわかるかなという程度のものである。学生の頃は、Oasisの歌詞をノートに書き写して、自分で訳してみたりしていた。そのことをふとした瞬間に思い出して、そういえばこれブログでやってみてもいいのかもな、と思ったりしたので、この記事を書いている。

 曲を知るのは大抵youtubeを流しているときだ。お気に入りのアーティストの曲を探していると時折、自動で関連動画が出てきてちょっと勇気を出して飛んでみる。それで新しいアーティストを知ることが多い。今回、和訳してみたいタイトルはいっぱいあったのだけれど、練習ということで最近気になっていたあるバンドの曲を和訳してみようと思う。

 Blink-182というバンドがある。どうも彼らはアメリカのロックバンドで90年代から2000年台に掛けて活躍したバンドのようだ。僕も大してよく知っているわけではないことをまず前置きしておく。ギターなどの演奏経験もないので、音楽的に彼らがどんな技術を持っているか、ロックバンドの系譜のなかでどういう立ち位置か、そういうことには明るくない。

 コメント欄を見ているとミレニアル世代(millennial)のための曲、十年振り、二十年振りに懐かしんで聴いているようなひとたちが多かったので、海外の、僕と同じ世代のひとたちが親しんでいた曲なのだろう(僕はジェネレーションY世代である)。当時、僕は別にこの曲を知っていたわけでもないが、何となく2000年台の空気感が出ているように思えるので、国は違えど、懐かしむ気持ちは、何となく分かるような気がするのである。

 彼らはいい意味でバカっぽいロックバンドのMVや歌詞でも知られているようなのだが(他の動画コメントにはBlink-182のメンバーが脱いだりしてないだけマシだとか、書いてあったりした気がする)、意外と(?)シリアスな歌詞を書いていたりして、今回の『Adam’s song』もそれに当たる。妙に引っかかる感じの歌詞の書き方で、それが僕は気になったので取り上げることにしてみた。
 
 では、和訳をやってみようと思う。十年振りくらいに洋楽の翻訳をやるので、不慣れな部分には少し目を瞑ってほしい。間違いがあれば、ぜひコメント欄やTwitterのリプライ(@kazumawords)でこっそり教えてもらえればと思う。あとで修正をかけるので。ではいってみよう。

I never thought I’d die alone
ひとりぼっちで死ぬなんてちっとも思わなかったんだ

I laughed the loudest who’d have known?
ぼくが大声で笑っていたことなんて誰が知っているだろう?

I traced the cord back to the wall
コードを壁まで辿ってみたけれど

No wonder it was never plugged in at all
ぜんぜんプラグが刺さっていなくたって別に驚きゃしない

I took my time, I hurried up
時間をかけて 生き急ぎもした

The choice was mine I didn’t think enough
なんだって自分で選びもしたさ でもそれだけではもう足りないんだ

I’m too depressed to go on
前に進むにはあまりにも気が引ける

You’ll be sorry when I’m gone
僕が行ったら君は気の毒に思うだろうね

I never conquered, rarely came
うまくいくことなんてめったになかった

16 just held such better days
十六歳のときに過ごした日々の方がいつだってマシなんだ

Days when I still felt alive
まだ生きていると感じるいまなんかよりも

We couldn’t wait to get outside
僕たちは外へ出たくて待ちきれなかった

The world was wide, too late to try
世界は広くて、挑戦するには遅過ぎた

The tour was over I’d survived
この旅が終わって僕たちは生き延びた

I couldn’t wait till I got home
いまは家に帰るのが待ちきれなくなってんだ

To pass the time in my room alone
部屋でひとりぼっちの時間を過ごすためにさ

I never thought I’d die alone
ひとりぼっちで死ぬなんてちっとも思わなかったんだ

Another six months I’ll be unknown
きっと僕の知らない別の六ヶ月があったら

Give all my things to all my friends
僕の持っているものはみんな友達にあげる

You’ll never set foot in my room again
君はもう二度と僕の部屋に立ち寄ることはない

You’ll close it off, board it up
扉を閉じて 札を上げる

Remember the time that I spilled the cup
Of apple juice in the hall
僕が玄関でアップルジュースを落としていたときのことをまだ覚えていたらさ

Please tell mom this is not her fault
それはあんたのせいじゃないんだって母親に伝えてくれないか

I never conquered, rarely came
うまくいった試しなんかめったにないんだ

But tomorrow holds such better days
けれど明日がきっといい日だったらさ

Days when I can still feel alive
生きているって感じられるんだったらさ

When I can’t wait to get outside
外へ出るのが待ちきれないんだ

The world is wide, the time goes by
世界は広くて、時計の針は進む

The tour is over, I’ve survived
旅はもうおしまい、僕は生き延びた

I can’t wait till I get home
家に帰るのが待ちきれないんだ

To pass the time in my room alone
ひとりぼっちの時間をあの部屋で過ごすために

Blink-182 『Adam’s song』 訳:@kazumawords

 どうだろう、この歌詞。何か引っかかるところは、皆さん、ないですかね。

 妙に思わせぶりな歌詞ではありませんか。はじめの出だしのフレーズから終わりに至るまで、ある意味これは孤独な青年が何とかして大人になろうとしている瞬間を、そしてその瞬間を振り返って眺めているような、そんな歌詞と歌い方なんですね。

 確かにこれはsuicide(自殺)の文言、そのものは出てこないですけれど、明らかにそれを思わせる歌詞であることは間違いないです。そして、実際に、とても悲しいことですけれども、この曲を掛けながらコロラド州の少年が自殺を図り、亡くなったそうです。(https://www.barks.jp/news/?id=52010463)

 でも、バンドのメンバーはこの曲をただ自殺を匂わせることで曲を締め括っていたわけではなく、むしろそういった孤独の極限の瞬間を乗り越えた先のことを歌っているんじゃないんですかね。明らかにこの曲は未来の時点から、過去を振り返っています。

“But tomorrow holds such better days”が曲の転換点になっています。


 この曲の主人公Adam(アダムとエバのアダムなので、日本でいうところの「太郎」みたいな意味じゃないでしょうか。あるいは長男とかに誰でも付ける名前、『ある男の子』という意味合いくらいの、そうしているのは、誰でもAdamになる可能性があることを示唆しているのかな)は、昔はよく笑う男の子だった。コードを辿るとプラグが刺さっていなくて〜、のくだりは、どう訳すか迷ったんですけど、バンドの曲なんで、演奏器具のプラグが刺さっていることにも気が付かなかったということを描いているようですが、これはおそらく表向きの訳で、たぶんこれは暗喩じゃないですかね。コードが壁まで辿ってみたら刺さってなかったっていうことはこのアダムはいったい何をしようとしてたんですかね? 深読みだったらすいません、ですけど、コンセントにコードを挿して自分に巻きつけて感電死しようとしたけど刺さってなかったから助かった、という暗喩のセンで僕は考えました。

“I took my time, I hurried up, The choice was mine I didn’t think enough”のフレーズは、どうもこれは対応している歌詞があるみたいなんですね。ニルヴァーナの歌詞にそれがあるらしいんです、僕もコメント欄で知ったんですけど。

ヴォネガットの『スローターハウス5』に出てくるクリアウォーターの『カラマーゾフ』への言及と似たような感じでやっているんですかね。ちなみにそっちの方は「人生について必要なことはすべて『カラマーゾフの兄弟』のなかに書いてある。だけどもうそれだけじゃ足りないんだ」という箇所です。有名なので知っているひとは多いと思うけど。


コメント欄から引用すると、

Take your time, hurry up
Choice is yours.
-Nirvana(1991)

I took time, hurried up
The choice is mine I didn’t think enough.
-Blink-182(1999)

 YouTube コメント欄より引用しました。

 どうでしょう、まんまスローターハウスじゃないですか? 先行する偉大なアーティスト(あるいは文学者)に対応する歌詞(文章)で上げてくるのはほんとに胸熱展開ですね、といつも思っております。サリンジャーの作品の中でフィッツジェラルドの名前を見つけたりするときとかね。 

 余談で逸れましたが、この歌の少年はやっぱりどこかへ行こうとしているんですね。そして大人になる旅を一通り終えて、またひとりぼっちの部屋に帰ろうとするのが懐かしいなって歌っているわけです。大人になる旅っていうのは、ひとりぼっちの孤独と抱えこんだ自殺願望を乗り越えて、という意味でしょう。そのあとにI’ve survived(僕は生き延びた)とあるんだから。

 十六歳に過ごした日々が人生の中で一番最高の日々だった、でも明日は違うかもしれない、そういうことを彼らは歌っています。何気ない歌詞の中で一番胸を打つのは、やはりアダムがアップルジュースをこぼしたときのことですね。そんときのことを覚えていてくれ、思い出してくれって彼は友人か身内の誰かに頼んでいるわけです。それでその頼んだ内容が、それをこぼしたのは母さんの間違いじゃないんだよって伝えてくれと。でもこのシーンが伝えたいのは言葉通りの意味ではないんですね。どう見ても違う、彼が言いたかったのはおそらく彼はもうまもなく自殺を図る、あるいはどこかへ行こうとしている、扉は閉まって、部屋には札が掛かり、もう二度と君が立ち寄ることはないだろうと言っている。そのなかで母親に向かって、あなたが僕を産んでくれたことに間違いはなかった、僕が行く、あるいは死のうとするのはあなたのせいではないんですよ、ということです。そう思って聴いてみると、こんなに響く、文学的な歌詞はなかなか滅多にお目にかかるものではないんです。色褪せない曲っていう言葉はこういう曲のためにあると思いますよ。

 そんなわけで、いかがだったでしょうか。僕も久しぶりに電子辞書を叩きながらこのBlink-182の曲について解読してみました。曲の翻訳は謎解きみたいで楽しいんですよね。いつか短編くらいの海外作家の作品の翻訳もやってみたいなと憧れておりますが、いまは手慣らしということで。MVなんかもひとつの短編小説みたいな仕立てのものがあって、そういうのを観るのが好きですね。

 Blink-182については、いま風のものならばchainsmorkersとコラボしたP.S. I Hope You’re Happyがお勧めです。昔のドット絵のレトロなMVで、曲調はOwlcityのFireflies(一時期、流行りましたよね! え? 僕だけ?)とBlinkの別の曲(I miss you)のあいの子なんて言われてますが。どちらにせよミレニアル世代には刺さりますね。『I miss you』もミステリアスな名曲でおすすめです。発音がコメント欄でネタにされるのはご愛嬌。Blink-182のコメント欄には大抵面白いやつがいる。

今日はここまで。

See you agein soon.

kazuma

余談ですが、Bluetoothのタイプライター型キーボードを入手しました。実はこの文書もタイプライターキーボードで書いています。カシャカシャ音を鳴らすのめっちゃ楽しい。今日はごきげんです。またいつか紹介しようかなと。写真だけ上げときます。

追記:Twitterから気になった点上げときます。

https://twitter.com/kazumawords/status/1377628117267800065?s=21