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一馬日報(手記) 広報(アナウンス・告知) 文芸活動記録

「今年は……」

 いつの間にか年が明けていた。今更ですが、明けましておめでとう。毎年、ブログには抱負みたいなものを上げていた気がするが、いま思うとよくやっていたなと感じる。もう正月も過ぎちゃっているので、なんとなく今年の文芸活動の展開を考えるくらいでいいかと思う。あんまり気負いすぎたところでなにも叶いはしない。人生はもっとテキトーでいいんだって、『ピーナッツ』の誰かが言っていた気がする(嘘)。言うとしたら、ルーシーとライナスのヴァンペルト姉弟あたりかな。ところで今年最初の本の買い初めは『ピーナッツ全集 一巻』でした。大丈夫かな……僕。まあいいか。こうやって人生は曖昧になっていくのである。

 とりあえず近況報告からはじめる。去年の十二月辺りから更新を止めていた一馬書房の運営を再開した。この時期は毎年なぜか身辺が慌ただしくなり、なぜか(自分のわりには背伸びして)ひとに会いすぎて、体調を崩すということが結構あった。どうやら僕にはひとと会っていられる活動限界みたいなものがあって、大体ひとと一日に二、三時間も接していればもうお腹いっぱいというか、それ以上はよほど親密でもないかぎり無理っぽいようである。人前だと僕はかなりヘンな気の回し方をするので、初対面だろうと、親友だろうと、腐れ縁だろうと、家に帰ったときにはへばってしまう。

 僕がたぶん個人主義者(ぼっち)であるのにはそれなりの理由があって、文芸活動や書房の運営をネット上のやり取りのみで行っているのは、前述のその辺に理由がある。いつか対面での文芸与太話や古本の販売だってやってみたい、と思うときもあるが、結局、柄にもないことをするとあとで痛い目を見るのは分かっているので、リアルではかなり慎重になる。Twitterでもちらりと呟いたけれど、僕はもうこれで十分(good enough)なのであり、八年前の自分と比べれば、よくやっている方だと思う。いまは流行病もあり、時期も時期なので、案外オンラインでのみやり取りするという判断も、そこまで悪いものではなかっただろう。

 というわけで、書房の運営も再開しておりますので、また時々は見にきてやってください。書房から出た利益はすべて文芸活動関連のものに使っています。去年はおかげさまでモノクロプリンターが買えました、納品書の印刷や、完成原稿の印刷にありがたく使わせていただいております。個人アカで時々宣伝していてごめんなさい。もう少しマニアックな、趣味全開の棚にできたらと画策しております。これもオンライン文芸活動のうちなので。お待ちしております。

 いま通っている古本関連の職場は今年で三年目になる。僕にしてはかなり根気よく続いた方だ。どこの馬の骨ともわからん僕みたいなやつを拾ってくれたことに感謝している。学生の頃から筋金入りのぼっちにもちょっとだけ友人ができて、ほんの少しだけ昔よりこころを開けるときがあった。相変わらず、見知らぬひとには全身ハリネズミのように警戒心が解けないけれど。大人になった気はまったくしないが、僕は僕なりにこの八年の時間を過ごしてきたのだ、ぐらいのことは言ってもいいのかもしれない。夢は潰れたけれど、潰れた先にもやっぱり人生があった。僕はこれでいいって、真夜中に暗示みたいに言い聞かせている。枕を敷いて床に就くたび。

 今年は古本関連の活動だけでなく、ランサーズなどでライター関連の仕事ができればいいなと思っている。いまは仕事というほどのものではなく、タスク案件のような作業をやっているが、ちょっとした生活費の足しになればと思う。このあいだ、口座に二千円振り込まれていた(微々たるものです)。本業の古本関係の仕事と、一馬書房の運営、ランサーズの作業案件を進めながら、作品づくりに取り組んでいければ、いまのところはそれでいいかなと。まっとうなコースからは最初から外れているので、とくに今更騒いだところで仕方ない。『人生は、手元に配られたカードで勝負するっきゃないのさ』、いつの世も真理である。

 いまは時世が時世なので、職場があるだけありがたいと考えている。ただ、いつの日かネットの古本業とライター関連の仕事だけで食べていけるようになれたら、あとは執筆のことだけを考えられる生活になればと思う。
 あくまでこれは願望で、甘すぎる認識であることは重々承知しているけれど、言わなかったらはじまらない、ことだま信仰の祝詞だと思って、読み流して貰えればそれで結構です。

 で、肝心の文芸方面の動きを。年をまたぐ前に短編小説をひとつ、noteに上げておいた。noteのアカウントは以前、Twitterを辞めたときにブログと一緒に閉鎖したのだけれど、また再開して作った。とりあえずいまのところは、短編小説置き場になると思う。以前、僕にアドバイスをくれたひとがいて、noteはそういう使い方をする方がよいと助言を貰ったので、その忠告に従っている。

 noteの公開名は、Twitterやこのブログと同じ”kazumawords”だ。今後も、このアカウント名義で活動していきますので、どうぞよろしく。note公開の短編集第一作は『赤い風船、笑うピエロ』です。興味のある方はチェックしてみてください。

 読書した本の感想は、このwords.ブログに上げるつもりでいる。去年の暮れに読んだ『シェイクスピア&カンパニー書店』の感想文を上げるつもりだったのだが、日程がかなり詰まっていたこともあって、まだアップできていない。この次の記事辺りで取り上げようかと思っている。ある意味、あの本のなかにはもの書きの理想や夢が詰まっていた。 

去年の十月に応募した群像提出作品を、身近なひとに読んで貰ったが感想はやはり芳しいものではなかった。完成したとは言い切れないし、物語上の破綻もかなり見受けられた。正直、まだ僕には長編の手綱を取って書き切るちからがないのだと思う。いまのところは、一旦長編に手を付けるのを止めておいて、代わりにもう一度、短い短編づくりからやり直している。年が明けたいま、noteに公開する予定の第二作の制作に取り掛かっている。僕が好きな作家はよくよく考えてみれば短編から中編をメインにする作家が多いので、この機会を大いに活用して、それらの作家達から学ぼうと思っている。サリンジャー、カポーティ、芥川、ドイル……。

 読書と言えば、つい最近、カミュの『異邦人』を読み終えたところ。あの本を読むと、僕は却って気が楽になった。ムルソーが、言いたいことを僕の代わりに思う存分、言ってくれたからだ。気に入った箇所に線を引くようにしたが、最後の数頁で司祭に詰め寄っていくところはひたすら傍線を振るところしかなく、万年筆の青い波線で埋め尽くされた。こんなものを読んでしまうと、僕が物語の中で言えることなんてまったく残されていないように思えたりもするが、それでもやっぱり悪あがきはせずにいられないし、何にも言わずに日々を過ごしつづけること僕にはできないので、タイプする手は止めないでいる。
 

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 ここまでの記事文章は、数日前に書いたものだ。実は家庭内の環境があまり集中できるものではなかったので、一旦、Twitterから離れ、今は違う場所を借りてこの文章を打っている。昔から落ち着いて文章を書けるところを探し求めているが、中々これといったところが見つからず悩んでいる。以前はアパートの一室を借りていたのだが、やっぱり住人の生活音が気になってしまい、作業にならないことがよくあった。人目が気にならず、個人的なスペースで執筆ができれば一番だと思っているが、ないものねだりだろうか。以前は作家になりたいという願望があったりしたが、今では小説を書く目的や意味合いも、僕個人の中で変わって来ているので、次回はその辺りのことも含めて書いていきたい。

 結局のところ、僕は未だに世間の底辺で暮らすただのアルバイト生活者で、特殊な事情が二、三あったにしろ、そういうものを含めて折り合いをつける時が来ているんじゃないかと思う。ここまで来たら、僕はいっそこのまま、この底の方から見た景色を伝える役割があるんじゃないかと思っている。もののはじめから、自分ではどうにもならない場所にあった物事、言葉によって処理することもできず、どこにも持って行きようのない暗い感情、日々の生活の中で澱のように沈殿しては底まで沈めていったものを、吐き出さずにはいられなくて、書く。僕はそうやって物語は書かれると思っている。でなかったとしたら、どうして何時間も何十時間も机の前に座ってああでもない、こうでもないとやったりできるのか。そうすることがいままで生きてきた甲斐であって、それぐらいしか僕は慰めになるものを知らない。それが傍から見ればただのお話にしか過ぎないものであったとしても。書くために生きているし、生きるために書いている、虚勢でなんでもなく、胸を張ってそう言える日のために。

いまはすべてがただの嘘のものごとであったとしても。

kazuma

2021/01/24 21:14

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