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一馬日報(手記)

『復活、の兆し』

こんばんは、kazumaです。久々の記事投下ですが、夜中のテンションでやります。朝になったら反省しているかもしれません。とりあえず思ったことを書いてみます。

 五日前にこのタイミングで発熱があり、思わずひやりとしました。職場でも蕁麻疹が出て周りに心配されていた頃だったので、もしや、と考えると夜も眠れませんでした。翌日に救急で診察を受けたときは、熱があった、ということで念のため、隔離された部屋で診察を受けました。

 病院に行く前は、まだ発熱に気づいておらず(うちの体温計はわりと不正確でして)、救急はGW期間中に蕁麻疹を診てもらうために行きました。何らかの異常はずっと感じていたので、病院のベンチに座ったときは、力が抜けてしまって。貰った体温計を脇に挟むと、今までに見たことのない速度で温度計の数値が上昇していき、38℃まで上がったのを見たときには、これはもう駄目かもしれないな、と思いました。

 看護師の方も、発熱があるとは思っていなかったようで、別のゲートから診察室に入室し、その部屋で待機しているように、と伝えて足早に戻っていきました。部屋、といっても急ごしらえに用意された場所だということは一目見ればわかります。ドアは摺りガラスで、車椅子と寝台だけがあり、空調の音だけが響いている三畳間でした。

 結果的には例の病気ではなく(咳などの呼吸器系に問題なく、四日以内に熱が引いた)、風邪か何かの症状だった訳ですが、医師からの診察を受けるまでの空白の二十分間、殺伐とした雰囲気の医療室で、僕はここ数年間の生き方を振り返りました。もしかしたら、検査を受けることになったらどうしよう。本当に病に罹っていたら? 部屋の床には薬品の黄色い染みの跡が点々とあって、車椅子の上で僕はそれをずっと見つめて俯いていました。

 僕には色々と事情があって、病院は馴染み深いところなのですが、今までとは違う意味で血の気が引きました。一方で、消毒アルコールの懐かしい匂いがする部屋の中で安堵していたようにも感じます。

 やっと無理を止めてくれるものが現れた、やっと気づいて貰えたのだと、そんな風に思っている自分がいました。そこに辿り着くまでに、ぼろぼろの状態になっていました。首元は蕁麻疹で赤く腫れあがり、全身には湿疹と点状出血、体温は38度、測った血圧も160を一時的に超えていました。もう何となく無理じゃないか、ということが、分かっていました。

 もし入院したらどうしよう、と考えて一番最初に浮かんだことは、ベッドの上で小説が書けるなということでした。不謹慎、と思われても仕方ありませんが、僕はそういう生き物らしいです。まだ書き上げていない物語がある、だから僕はまだ死ななかったし、これからも死ぬわけにはいかないのだと、それを真芯で喰って信じて生きてきたような奴です。気が狂っているんじゃないか、と言われたら、僕は真顔で、そうですね、と頷き返します。サリンジャーの物語に出てきた人物たちのことを、時々、思い返しています。オルトギースの引き金を引く勇気がなかったことが、僕にとっての救いでした。

 八年前に病室でペンを執ることを選んだ自分にとって、生き延びてもいい理由はそれぐらいしか思いつきませんでした。生きることは強さではなくて、弱さなのだと思っています。何だか『鼠』みたいなことを言っていますね。

 あの病室の中にいた二十分の中で気付いたことはこうです。会社も、友達も、家族も、内にあるものも外にあるものも、世の中で出会った誰かも、いざというときまで来てしまったら、それが運命みたいな穴になってその底に落ちていったとしたら、誰も掬い上げることはできない。自分の身は、自分で守るしかない。少なくともそういうものがいつ迎えに来て、目の前に現れたとしてもいいように、自分の選択に納得した人生を送るしかない。

 僕はいまの人生に納得しているか、と問われたら自信をもってイエスとは答えられない。いまの生き方のままでいいとは思っていない。

 そうして家に帰ったとき、もう一度、小説を生活の根本に置こうと考えたのでした。どんなに最悪の事態や、待ち受けている苦しみに呑まれていったとしても、自分の見てきた世界、今までに考えてきたこと、日常の喜びや哀しみ、選んだ扉、選ばれなかった扉、分水嶺、報い、そういったものを物語の中に織り込むことができて、いつかそれを一冊の本の中に書き留めることができたのなら、僕の人生はそれでよかったのだと思いたいから。あとのことは皆、おまけみたいなもので、後から付いてくるものだと。

 その順番をはき違えて、書くことを生活のためにすべて犠牲にしていたら、僕は本当に生きる意味が分からなくなってしまう。書くことの前に生きることがあるのか、生きることの前に書くことがあるのか、と随分と悩んでいたことがありますが、今の僕はどちらでもよいと思っています。それが両輪のように廻り続けてさえいれば。生きることで、書くことは生まれるし、書くことで生き延びる道が見つかればいい。そんな風に思っています。

 終わりのない夜を青いインクで駆け抜けて、ホールデンの跡を追う。架空線の火花は、僕にも見えるだろうか。
 

 2020/05/09 23:48 kazuma