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一馬日報(手記)

『近況報告、というか、生存報告』

 今日はつらつらと綴りたい気分なので、近況や最近考えていることについて書く。近況というより、もはや生存報告になっているけども。読んでくれるひとがあれば嬉しい。

 世間はコロナ禍で相変わらず不穏な状態が続いていて、僕自身もその雰囲気に呑まれないようにするのが難しい(この文章を読んでいる皆さんは大丈夫だろうか)。一昨日まで、土・日・月と仕事でやむを得ず、出勤していた。勤めている会社はアマゾンなどに大口で契約出品しているネット書店で、土・日・祝もコロナにかかわらず出勤するように言われている。むしろ受注は伸びているくらいで、僕は何となく複雑な気持ちで玄関から出て行った。

 通勤には、大阪の一番大きな繁華街の駅から乗る必要があり、たかだか週五日のアルバイトのような時給のために、自分の身を危険に晒すリスクを冒してまで、電車に乗る必要があるのかと思いながら昇降口を昇った。生活が危ないのはもちろんあるが、それ以前に命あっての生活ではなかろうか。時間だけではなく、命まで切り売りするのに、僕は疑問が芽生えてきた。社会で何か問題が起きたときに真っ先に割を食うのは一番底にいる人間だと、身をもって体験させられている気がする。獣のような何かがおかしい方向へ向かって突き進んでいる。それが何であるのかははっきりと言えないが、おかしいということだけは分かる。みな、そういう空気を当たり前のように吸いながら、この時代を生きている。

 淀んだ曇り空。閉鎖したショッピングモールのガラス窓を見つめる。通行人と排ガスの減った交差点を奇妙に感じながら。

 僕は以前から、自分の生活に欺瞞を感じていた。多かれ少なかれ社会で生活を営むためには嘘を呑むことも必要かもしれないが、僕の胃の中はその必要悪の嘘でただれている。『社会生活を送るためには、どんな非常事態であろうと利益が出るのであれば出勤しなくてはならない』、そんな嘘を呑む必要が本当にあるのだろうか。あるわけないだろう、と僕は思っている。

 たぶんこの嘘は会社に属している限りずっと続く。会社に属していなくても続く。従業員の生活のための利益と、危険を晒すリスクを天秤に掛ける難しさがあるのも分かる。従業員でいる限りは出勤するかどうかを決める選択の余地がない、というのが建前を抜きにした本音だと思う。来ないなら辞めてくれ、という社会になっている。たまたま休業補償があったり、上が出勤を停めてくれるような会社だったらいい。でも、僕はそんな会社で勤めたことはない。そうやって先行きを案じている内に、しんどくなって昨日は寝込んでしまった。

 コロナ云々より前に、問題は常にあったのだと思う。僕は社会生活に元々向いている人間ではない。会社勤めも、アルバイトのような下っ端の仕事は出来るけれど、そこから先があるようにはとても思えない。誰かと一緒に何かをやるのはいつも難しいことのように感じるし、一人でやった方が早いしラクだと思っている。そんな仕事はどこにも存在しないので妥協点というか、落としどころを探している。

 その点、ひとりでやるネット古書店(一馬書房のこと)は僕にはぴったりの仕事だった。自分で好きな本を棚から抜いてきて、値付けをし、本を綺麗にして梱包して送る。僕はこの発送作業をやるときはいつもにこにこしながらやっている。純粋にお客さんの元に自分の選んだ本が届けられるのが嬉しいと思う。

 今年で運営三年目になるが、ようやくサイトの存在を知って貰えたのか、以前よりも注文を貰えるようになっていた。一方で、これだけで生活を送ることは難しいことも、いまの会社に勤めて分かっていた。

 四月は営業を自粛している。今の時期に営業するのは、お客さんに対しても自分に対しても不誠実な形になってしまうように感じていた(あくまで僕個人の判断です)。

 僕はよく自分のことを振り返る時間を作って、手帳やノートに書き留めているのだけれど(このブログ記事もそうかもしれない)、それを最近読み返しているときに、妙に引っかかる言葉があることに気がついた。

 『僕はものを書く人間になるはずだった』

 昔の僕は確かにそう言っていた。その言葉の中にはもちろん作家になりたかった、という願望も含まれてはいるが、きっと書いたときの自分はそれだけを思って書いたのではないのだと思う。

 僕は書いた文章で役に立てるのなら、それが小説の形式でなくともよいと近頃は思っている。それが物語の形式で伝えるしかないこと、物語の方がその物事を伝えやすいと思うのなら、小説の形を選べば良いのであって、それ以外のことについては、また別の形式の伝え方もあるだろうと思う。

 芥川も作家をやりながら、同時に教鞭も執ったし新聞社の社員としてジャーナリズムの文章を書いた(当時、中国へ特派員として派遣されているくらいだ)。村上春樹も、小説が最も心血を注いだ領域だろうけれど、それとは違う現実を描いたエッセイも、同じくらい読者に評価されている(むしろエッセイしか読まないひとまでいる)。

 今週の新聞の夕刊で偶然目にしたが、主要文芸誌のトップを取って堂々とデビューした作家でさえ、現実は派遣として働きながら執筆生活を送っていた。

 Twitterのプロフをkazumanovel時代(何時代だ笑)には、小説家志望と記していたけれど、僕はもうそういう風に自分を表す必要はないなと思った。ものを書いているんだったら、もの書きでいいやと。それがどんな種類の文章であっても構わないから。そんな願いを込めてシンプルにそうした。

 それが小説家であったら一番いいけれど、そうではなかったとしても僕はいいと思っている。僕は僕にしか書けないものが、書けるようになったらそれでいい。他に残るものはないような気がするから。いつかはその書き残した言葉も、消えるだろう。もしかしたら、一度も世に出ないままに棚の中で眠り続けるかもしれない。

 青いインクの染みをノート一杯にまき散らすだけ。やるべきことは昔から変わらない。周りの世界がどんなに巡っていったとしても。

 kazuma

備忘録、日誌の記録に使っている手帳。ロイヒトトゥルム1917のネイビー。ものを書くために使うものだけは昔からこだわっている。これで多分、八代目か九代目のノート。前はMOLESKINEを使っていた。
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一馬日報(手記)

『ただいま、と言えたら』

(『一馬日報』このカテゴリ記事は日々の考えをまとめる『日報』になります。kazumaの走り書きの手記となります。)

こんにちは、kazumaです。そう話すのも久しぶりのことですね。ほぼ丸一年間、ネット上から姿を消しておりました。ひたすら職場とアパートと一馬書房のある実家を、往復しながら暮らしていました。

机の前でぐるぐると考える日々が続きました。繁華街の駅から職場に向かう電車に揺られながら、これでよかったのか、と鏡に向かうように問いかけました。何もない道端の往来で、突然歩くことを止めたくなったときがありました。

アルバイトの安月給で借りたアパートに戻っても、ただいま、と言うこともなく、ベッドの棚に積んだサリンジャーや、カポーティや芥川の全集を拾い上げては、読みました。答えの分からぬまま、夜が無限に更けていきました。大学の頃、白いアパートの壁を穴の開くほど見つめていたことがありますが、僕はまた同じところに行き着いたんだなと思います。スーパーの特売で買った冷蔵庫のアイスコーヒーと棚に買い置きした袋入りのエナジーバーばかりが減っていきました。

『架空線は相変わらず鋭い火花を放っていた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかった。が、この紫色の火花だけは、――凄まじい空中の火花だけは命と取り換えてもつかまえたかった』

(或阿呆の一生・八・『火花』)

一年前にネットから去ったとき、オンライン上だけではなくすべての人間関係が煩わしく感じられて、誰に対しても距離を置くようになりました。職場のひとと血縁の家族以外に寄る辺はありません。そんな隠遁生活を送って今日も暮らしています。

ひとりぼっちで寂しくないか、と聞かれて、いや、と答えたら嘘になりますが、もの書きは基本的に嘘つきなので、人前では、いや、と言います。そういうものです。

いまでは隠遁生活もすっかり板に付いて、音楽を聴きながら、ひとりぼんやりと椅子に座って、手帳に考えごとを書き付けているときに、なんともいえぬ気持ちになります。十八時を告げる寺の鐘が鳴り、近所のスーパーへと出かけていきます。

路上では、若い二十代くらいの夫婦が賑やかな会話を交わしながら高級外食店のドアをくぐっていきました。十字路の一軒家の前で黄色い帽子を被った小学生が、祖母らしきひとにむかって手を振っています。行ってきます、のひとことも言えずに明かりの消えたアパートを後にした数分前の自分を、僕は何故かそのときに思い出しました。がらんどうの街で暮らしている気がしました。

僕は昔、作家になろうとしていた人間でした。二十になる前にペンを取り、就職活動を早々と降りて非正規の野に下り、大学ノートに綴り続けて八年経っても何者にもなれなかった人間です。ここに来るまでに沢山のものを捨てたり、諦めたり、取りこぼしたりしました。作家になればすべてが変わるのだ、と無邪気に信じていた時期もありましたが、そんなものはどう考えたって幻想に過ぎないのだといまは思っています。賞を取ろうが取らなかろうが、僕は僕だし、もの書きはもの書きです。何も変わりません。同じ人間です、おそらく。

僕が大学ノートに青いインクの染みとよく分からない言葉の羅列を作り続けている間に、同い年のかつての友人たちは正社員として真っ当な社会生活を送り、結婚をして、家庭を築いて暮らしています。正直なところ、僕は彼らに合わす顔もないので、次第に疎遠になっていきました。その上、ひとには簡単には話すことの出来ない事情をいくつか抱えて生きてきたので、道端でかつて見知ったひとと出会っても、僕は挨拶することはありません。

素直にただいま、と言えたらよかったなと思います。そんな関係を知らずに今日まで歩いてきました。僕がかつて信じていたのは本の中の世界だけでした。僕がはじめてペンを取ったのは、周囲にいる誰の言葉も信じることができなかったからです。何を言っても信じて貰えず、受け止めて貰えることもなく、欠けているものが与えられることもない。それがこの世界なんだと、僕は病棟の中にいた二十の頃に分かっていたと思います。周りの人間の言葉よりも、自分の掠れかかったボールペンのインクの方を信じていました。いまでも、そのときの強く握る癖が抜けないでいます。

一生かかってもプロの作家にはなれなかったとしても、僕は一度握ったペンを離す気にはとてもなれません。そんなことはどうでもいいから、僕は世のホールデン・コールフィールドやホリー・ゴライトリーに向かって話がしたかったのかもしれません。この家にも、この学校にも、この病院にも、この街にも、この職場にも、この社会にも、この世にも、どこにも居場所を見つけられなかったアウトサイダーたちに向かって、すべてを終わりにする前に、何か言っておかなければいけないことがあるような気がして。

僕がものを書くのは、プロの作家になるためではありません。まだ会ったこともない彼らに向かって、伝えたいことがあると思うからです。それを伝える言葉を見つけるために、たとえ何年、何十年と時間が掛かっても、僕はいいと思っています。そのためになら、この世の端をひとりで渡って歩いて行くのもいいかなと思います。かつて帰る場所のなかった僕に、それを与えてくれた言葉があったように。

えーと、遅くなりましたが、ただいま。

kazuma